12.赤い百合の正体
その頃。
レオンは食堂で騒いでいる造園業の一団から抜け出し、そうっとイシュタル商会の庭へと向かった。
馬鹿騒ぎに付き合ってはいられなかった。
レオンはいつか別の大商会の男と結婚するディアナを思い、大分感傷的になっていたのだ。
庭から、披露宴の様子をじいっと眺める。
ようやく食事会が終わったところらしい。イルザとグスタフはどこか緊張の面持ちで座っているが、周囲の人間はうろうろと立ち上がって歓談している。
招待客の酔いが回り、けたたましい声があちこちに飛びかっている。
ふと、庭に歩き出す足音がぞろぞろと聞こえて来た。レオンはおっかなびっくり、木の裏側に隠れてしゃがみ込む。
頭上から声が聞こえて来た。
「なあ、見たか?イルザ様の妹のディアナ嬢を」
レオンはどきりとして身をすくませる。
「ああ、すげー上玉だったな」
「そうか?ちょっと芋っぽくないか」
「16歳だろ。今はああでも、二年後には大化けしてるかもしれないぞ」
下世話な会話だ。
(何だよ……見た目の話ばかりしやがって、嫌な感じ)
レオンは心の中で毒づいた。
「でもあれを娶るなら、婿入りになるな」
「そうだろうな。俺、異国に行くのなんか嫌だな。いくら嫁がきれいだからって」
「じゃあお前はブスとこの国にいろ。嫁は美人に限る」
「えー?お前、ディアナ嬢が気に入ったのか?」
「お前ら、顔の話ばかりして大事なところを見落としてるぞ。体を見ろ、体を」
レオンは木にずるずるともたれた。
「あの顔で体はイルザ様と同様、なかなかの巨乳だ。そのレベルは巷になかなかいない」
「うはは。まあ確かに……」
「肌ももちもちしてそうだし、抱き心地がいいぞありゃ」
「お前の言う通り。顔の話だけしてても駄目だな」
「やっぱり女は体あっての顔だよ」
下卑た笑いがこだまし、レオンは奥歯を噛みしめる。
(あー、今ここで全員ブン殴ったらスッキリすんだろーな)
ちらりと全員のご尊顔を拝見する。全員、人の外見の話をする割には肥え過ぎている。金持ちのくせして、全員鏡を持っていないと見える。
(腕力でなら勝てるんだが……)
しかし、ここは我慢するべきだ。
(新婦側の雇人が披露宴会場で揉め事を起こすわけにはいかないからな……)
太っちょたちは、去って行く。
レオンの握りこぶしが行き場を失っていることすら知らずに。
(けっ。腹立たしい)
レオンは立ち上がった。
(やっぱり造園団のところへ帰ろうっと。あいつらの方がよっぽど上品だ)
そう思い、尻についた土を払っていた、その時だった。
「……ぐすっ」
鼻をすする音が近くから聞こえた気がしたのだ。
聞き覚えのある声の気がして、レオンは慎重に庭を徘徊した。
すると──
低木の間に身をこごめ、泣きじゃくっている少女がひとり。
「……ディアナ様?」
赤毛の少女は、はっと涙に濡れる顔を上げた。
「……ディアナ様、どうしてこんなところに」
「わ、私、お酒臭いところからどうしても出たくて、ここに──」
彼女はクリーム色のドレスを着て、きらきらとパールの髪飾りで燃える赤毛を飾り立てている。
レオンはその美しさにしばし見惚れてから、ディアナの横にすとんと座った。
彼女が泣いている理由に、心当たりがあり過ぎた。
ふつふつと怒りがこみ上げたが、レオンはなるべく平静を装って彼女に話しかける。
「俺、ここにいますから」
ディアナは頷いた。
「ずっと、そばにいます」
レオンは次の言葉が出て来ない。何もかもを捨ててしまえたら、泣きじゃくる彼女を抱き締めてやれるだろう。けれど、立場上、そのようなことは決して許されない。
ふと、ディアナが呟く。
「二年後、私はあいつらのお嫁さんになるの?」
レオンは唇を噛んだ。
「私は芋っぽい、体だけの女なの……?」
レオンは立ち上がった。
それからそのまま顔を隠すように披露宴会場に飛んで行き、何の脈絡もなくその中にある赤い百合の束を引っこ抜いた。
そして、小走りに戻って来る。
ディアナは庭師を見失って、先程より余計に泣きじゃくっていた。
レオンは令嬢の隣に座ると、赤い百合の花束を横からそっと彼女に手渡す。
ディアナはきょとんとして、泣き止んだ。
「実はこの、赤い百合」
レオンは周囲が薄暗いのをいいことに、真っ赤な顔で告げた。
「あの日食堂の前に活けた赤い百合は、私が──イルザ様ではなく、ディアナ様をイメージして活けたんです」
ディアナはかじかむように震えながら、その花束を受け取った。
「……私を?」
「はい」
「ど、どうして?」
「どうしてって……」
レオンは、ディアナからは見えない暗がりにいるのをいいことに、小さく口を動かした。
好きだから。
けれど、声に出すことはしなかった。
「ディアナ様は、充分お美しいですよ」
「庭師さん……」
「あいつらの顔には目玉がついていないんです。それか、家に鏡がないんでしょう」
ディアナが暗がりで、くすっと笑う声が聞こえる。
「だからあんな奴ら、相手にすることないです」
「……そうね」
「そうだ、今から調べ上げてアウレール様に報告してやったらいい。全員婿候補から外されます」
「うふふ。そうね、それがいいわ」
「早急に害虫を排除出来て良かった。ものは考えようですよ、お嬢様」
「……いいことを言うわね、あなたって」
ふと、ディアナの額がレオンの肩に乗せられる。
レオンはごくりと喉を鳴らした。
百合の芳香とディアナの香りが相まって、今までに嗅いだことのないような良い匂いがする。
「す、すみません」
レオンはぐいとディアナの体を押し戻した。
彼女は呆気に取られている。
「お、お願いですから……そんなにくっつかれると、あの……」
ディアナは花束を抱え直し、くすくすと笑った。
「庭師さん、この赤い百合みたいになってるわよ?」
レオンが額の汗を拭うのを、ディアナは泣き笑いの表情で見つめた。
「……ありがとう、庭師さん」
レオンは頷いてから、ふと自分に湧き上がった気持ちが抑えられなくなった。
(そこは……名前で、呼ばれたかったな)
レオンは今日この時ほど、自分の情報を出し惜しみした己を恨んだことはなかった。




