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引きこもりの夏のよくない思い出        湖無カー(Wkumo)

『引きこもりの夏のよくない思い出』

                         湖無カー(Wkumo)


 将来に対するただぼんやりとした不安。

 それを原因として書き残し、自殺した作家がいる。

 俺は作家でも何でもないけれど、人生に対する不安はある。

 灰色の毎日、生きるか死ぬかもわからない。勤めていた企業を辞めて引きこもり、家賃に税金に保険料に医療費、貯金がどんどん減っていく日々。

 通帳を開くのが嫌で、現金引き出しはカードしか使っていない。未記載の通帳が30件以上ありますの文字はもう見飽きてしまった。わかっているんだよそんなことは。できないからこうしているのであって。

 じりじりと日が照りつけて、冷房の効いた部屋の温度をいくらか上げてゆく。

 できないからこうする、俺の人生はそんなことばかりだった。だけどそのどれもがうまくいかない。見通しが立てられない、締め切りを守れない、どうにかしようとしてもどうにもならず、謝り倒しては後悔し、悩んで苦しんで空回りして、心を病んで身体を壊してドロップアウト。

 いつからかお金のことを考えるのをやめて、寒いくらいに部屋を冷やすようになった。

 自律神経が馬鹿になっているのか、冷房をつけていても暑いし暖房をつけていても寒い。冬に冷房をつけたり夏に暖房をつけたり、基本は季節に合った温度でやっているのに足先だけは馬鹿みたいに熱い。

 いつからだろう、全てが狂ってしまった。だけどどうにもならない。破滅の坂をゆるやかに下っていることから目を背け、引きこもって暮らしている。

 日々があっという間に過ぎていく。一日中眠って、深夜のわずかな時間だけ目を覚まして動画を見る。それもほんの一瞬だ。

 一ヶ月二ヶ月半年一年、光陰矢のごとし。時間は過ぎるのに中身は成長しないから、いつまで経っても何にもなれない。なるつもりもない。

 深夜のわずかな時間の終わりに、中途半端に生きてしまったこととかこれまでうまくいかなかったこととかこれからも悪くなる一方であることとかを色々考えてしまうけれど、それを動画などを見て誤魔化しては寝る。その繰り返し。

 ぼうっとする時間を作ると終わりだ。考えてしまう。できるだけ何も食べずに思考能力を落とし、現実を見ずに生きなければ生きられない。生きていたくもないのだけど、死んでも色々面倒なので。

 どうしようもない俺の日々は続いて続いて、続いて、続いて。ある日起きると昼だった。


 セミの声。空調のついていない部屋に日差しが照りつけ、温度を上げている。近くの公園で子供が遊ぶ声。そういや夏休みだ。真っ昼間なんて、嫌な時間に起きてしまった。

 俺はエアコンのスイッチを入れ、布団を被ってまた眠りに落ちようとした。

 ところが、目が冴えていて眠れない。お腹がとても空いている。ここ数日間何も食べていないから当然だ。

 何か食べた方がいいと思ったが冷蔵庫には何もない。

 確か大通りにラーメン屋があったはず。そこまで行って、何か食べよう。

 外に出るのは本当に嫌だったが、空腹には勝てず学校指定の青ジャージのまま外に出た。

 太陽。

 セミ。

 青すぎる空。

 一瞬で外に出たのを後悔した。夏には嫌な思い出が多い。思い出してしまう。だが部屋に戻ることはできない。空腹だったし、何より思考が回り始めてしまったからだ。戻っても自責に苦しむだけ、ならば進んだ方がいい。

 じりじりとした日差しに耐えながら、小道を通って大通りまで出た。

 ラーメン屋に入ると、空調がとてもよく効いていた。

 出された氷水を飲みつつ、つけ麺を頼む。俺は昔からつけ麺が好物で、あれば絶対に頼むのだ。

 麺を啜るという行為には生きる喜びを実感させる何かがある。

 だが今は別にそんなことを感じたくもなんともなく、ただ腹が満たされればいいと思っていたが、それでも習慣の力は恐ろしい。無意識につけ麺を頼んでいた。

 つけ麺が来るまでは無限に水を飲んでいた。冷たさを感じるのが快感で、つい飲んでしまう。おかわりを頼んだら水差しを持ってきてくれたのでそれで注いでは飲んでいた。

 出てきたつけ麺は味を感じる間もなく胃に消えた。おいしかった、と思う。久々の食事に少し人心地ついたような。

 会計を済ませながら考える。せっかく外に出たのだし、どこか遠くに行きたい。

 俺は都会の方にある駅に行くことにした。

 バスの時間を見るともうすぐ来るようだ。一時間に数本しかないバスなので、運がいい。

 表示のとおり、遅延もなくバスは来た。車内は驚くほど空いている。

 一番後ろの座席に座り、窓の外を見る。ほどなくラーメン屋が後ろに流れていった。

 夏で、道には緑が多い。時折子供が見える。その他はしんと静かで、セミの声もバスの唸る音にかき消されて聞こえない。

 人気のない車内と切り取られた夏空に、ふと自分がどこにいるのかわからなくなった。

 このままどこか知らないところへ行けたなら。

 そうしたら何か変わるのだろうか。

 何も変わりはしない。そもそも、そんなことは起こり得ない。考えるだけ無駄である。それでも俺の頭は遠く行ったことのない北の国のことをぼんやりと思った。

 がくん、とバスが動いて目が覚める。うたた寝していたらしい。

 バスは終点である駅に着いていた。

 急いで席を立ち、ICカードで運賃を払ってバスを降りる。

 むっとした空気が俺を迎えた。

 さすが都会なだけはあって、俺が住む郊外よりは暑い。だがやはりしんとしている。いつもなら車の音が絶えない駅だが、夏休みで皆出払っているのだろうか。

 てくてくと駅ビルに向かい、自動ドアが空くと、冷気。俺は小さく息を吐く。

 エスカレーターを上がって100均ショップを目指した。

 目当てのものを見つけるまで少し時間がかかった。

 必要のないものがどこにあるかなんて普段は気にしない。必要になってから探し始めるので手間取って困るのだ。宿題と同じ。仕事と同じ。締め切り間際になってから取りかかるので切羽詰まって馬鹿になる。俺の人生を象徴しているかのようだなと思いながら会計を済ませて外に出た。

 物がいっぱいありすぎて少し疲れた。どこかのんびりできる場所は、と考えて、駅から少し離れた緑地に行くことにした。

 買ったスポーツドリンクを飲みながら歩いていると、だんだん緑地の緑が見えてきた。

 遠く、子供の遊ぶ声がする。嫌な記憶を想起しそうになって、蓋をしようと眉間に皺を寄せた。

 緑地の公園部分を過ぎ、ハイキングコースの道を抜けると、森だった。

 公園部分には申し訳程度に人がいたが、森には全く人影がない。うっそうと茂るそれらの隙間に所々、木漏れ日がのぞいていた。

 俺はしばらく森を歩いた。ぼんやりと木々を見上げながら歩いた。

 そして立ち止まる。

 手に持っていたビニール袋を地面に置いて、中の物を取り出そうとして、尻餅をついてしまった。

 運動不足で体力が落ち、姿勢制御能力も落ちていたのだ。

 一度尻餅をついてしまうと立ち上がる気力が失せ、しばらくそのまま座っている。

 だんだんと周りの音が聞こえてきた。木々のざわめく音。セミの声。じりじりと滲みるその音を聞いていると、なんだか身体が夏の大気に溶けて同化してしまいそうな心持ちになってきた。

 俺が世界で、世界が俺。世界が俺ならこれをしたら俺の世界はなくなってしまうのだろうか。

 急に億劫さが戻ってきた。さっきまでの行動力は消え失せている。こんな暑い場所からはすぐに離れて、涼しい部屋で休みたい。

 森は生命力に溢れている。そんなところでこんなことをするのも微妙だし、もう帰ろう。

 俺はのろのろとビニール袋を持って立ち上がり、帰路についた。

 買った物は駅のゴミ箱に捨ててしまった。持っていたって面倒なだけだ。どうせ見る度に思い出してしまう。嫌な記憶を想起させるものはなるべく処分した方がいい、平穏に生きていくのなら。

 俺の人生が平穏なのかどうかはもはやわからないが。

 それから俺は部屋に帰って冷房をつけて寝た。外の夏は遠く、下り坂の人生のことも忘れて。

 深夜に目が覚めるまでは何もかも忘れて寝ていよう。

 やっぱり夏にはいい思い出がない。



(おわり)


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