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炬燵                     Y作

  炬燵

                      Y作



 私は、夕方になっていつものように部室棟へと向かった。

 その日は授業後に教授から雑用を言いつけられてしまい、普段よりいささか遅い時間になっていた。それ故、既に先客がいるだろうと考え部室へ直行したのだが、予想に反し鍵はかかったままだった。思わず出る小さなため息。部室の鍵は防犯のため事務室で一括管理されていて、活動の際にはその都度鍵を受け取りに行く必要がある。そして、二階の角にある部室と一階の角にある事務室は直線距離ではごく近くなのだが、実際には階段が反対側の端にしかないため建物内をぐるりと回っていくしかなく、地味に面倒なのだ。

 事務室へ行ってまた戻って来たのは、約五分後といったところだった。中へ入ると、入り口から対面になる西向きの窓から夕日が差し込み、4畳半の部室内を必要以上に明るく照らしていた。眩しさに目を細めながらブラインドを下ろし窓を半分ほど開けると、涼し気な風と虫の声と他の部活が活動する音とが室内に吹き込んできた。

 日々増え続ける品々によって順調に縮小を続ける足の踏み場の一角に荷物を下ろし、部屋の真ん中に鎮座する炬燵へいそいそと潜り込む。すると、足からは炬燵に入り始めの際のあのひんやりした感じではなく、ふんわりとした熱気が伝わってきた。ひょっとして昨日電源を切り忘れたかと思い、布団を捲って中を覗く。

 電熱線の赤い光に照らされたそれと目が合った。



「暑いー暑いよー暑くて死んじゃうよー」

「いや普通に自業自得でしょう」

 呻き声を上げてぐったりと転がっている彼女の枕元に座って下敷きで扇ぎながら、私はそう言い放った。

 彼女は私の一学年上の先輩であり、今いる部屋の主、すなわち部長である。背はほぼ男性平均の私より少々高く、その凹凸の少ない身体の上に全体的に小作りな頭と艶やかな肩位まである黒髪を載せている。文庫本でも持たせて喫茶店のテラスに座って頂けば中々に爽やかで理知的な雰囲気を漂わせることだろうが、生憎その中身は理知的とは言い難い。

 今日普段より少し早く部室に来た彼女は、私がまだ来ていないのを確認するとわざわざ事務室へ鍵を返した後、部室の内側から鍵をかけ、履物を袋に入れて荷物と一緒に炬燵に隠し、そして自分もその中へ身を潜めたのだという。かくしておおよそ30分後、いい感じに意識が朦朧としてきた所で布団を捲った私と対面を果たし、顔を真っ赤にして全身汗だくの状態で発掘されたというわけだった。

 そういえば、鍵を取りに行った際事務員が怪訝そうな顔をしていたような気もする。鍵を取りに来たと思ったらすぐに返しに来て、さらにその後別の人間が同じ鍵を取りに来たら、誰だって妙に思うというものだ。

 まあ、つまり、そんな感じの人である。

「だいたい、なんでこういう時に限って遅れてくるのさー空気読めー」

「教授の手伝いがあったんです。文句ならそちらへどうぞ」

 どうやら多少落ち着いてきたらしい。身を起こして文句を言ってくるのを軽く躱すと、彼女はむっとした顔で頬を膨らませた。

「第一、私が来なかったらとか考えなかったんですか」

 そう言うと、彼女は一転してキョトンとした表情を浮かべた。完全に予想外、といった感じだ。

「来ないつもりだったの?」

「そういう訳ではないですが……」

 目をパチクリさせて彼女が問うてくる。その真っ直ぐに過ぎる視線に対抗できず、つい目を逸らし言葉を濁してしまう。

 なるほど確かに私は入部以来この部室にいつも来ている。それは事実である。だがそれはたまたま私のスケジュールに空きがあったというだけのことであって、別段意識的な行動ではない。うむ、偶然である、偶然。

 畳の目を見ながら誰に対するでもない弁明じみたことを考えていると、ゴソゴソと彼女が起き上がったらしい物音が聞こえた。もう大丈夫なのかとつられて顔を上げる。

「うんうん、いつもなんだかんだ言ってちゃんと来てくれるもんねー。いい子いい子~」

 そう言って彼女は私の頭に手を置き、小さな子供にするように優しく撫でる。そのコロコロと表情を変化させる顔に、今度は柔和な笑みを浮かべていた。

 さて、正直に言えば、この時私は非常に追い詰められていた。先にも述べたように、彼女はこと外見に関してはほぼ文句の付け所が無い訳である。で、まだその顔は赤く火照っている訳である。更に衣服の隙間から覗く素肌、首元やふくらはぎには流れ出た汗が伝っているのである(なお本日の彼女の服装は膝丈のフレアスカートと白の半袖ブラウスであり、その上裸足である)。かくの如き状況で頭を撫でられて平静でいることが、果たして可能だろうか。いや、無理である。

「つ、冷たいもの買ってきますっ」

 というわけでここは戦略的撤退である。行ってらっしゃーい、とノホホンと手を降る彼女の声を背に、私はそそくさと部屋の外へ出た。



 廊下を抜け階段を降りて外の自販機置き場につく頃には、胸の動悸も大分治まっていた。硬貨を投入し、スポーツドリンクのボタンを2回押す。ガラガラと排出されてきた缶を取り出して片方を開けて、喉に流し込む。一息ついた所で周囲を見渡すと、流石にだいぶ夕闇が迫っていた。騒がしく鳴り響いていた虫の音も随分落ち着いてきている。青々とした木々を靡かせる風が心地良い。

「……あれ?」

 若干の違和感。何かがずれている感覚。空になった缶を捨てて部室に戻る道すがら考えてみたが、どうにも何がずれているのかが分からない。

「あ、お帰りー。買い物ありがとね~」

 既にほぼ回復したらしく、彼女は炬燵に入ってどこからか掘り出したみかんを剥いていた。彼女の前に買ってきたスポーツドリンクを置き、私も彼女の対面に座る。

 少し迷って、私は先程の感覚を話してみることにした。

「あの、なんか変な感じってしませんか。違和感というか、どっかおかしいなって感覚」

 そんな曖昧な言葉に、彼女は缶を開ける手を止めて考えている風だったが、すぐに首を横に振った。

「特にないなあ。何かあったの?」

「いえ、特には。ただ何となくそんな感じがして」

「気のせいじゃないかなあ」

 彼女はそう言うと、両手で缶を持ってクピクピと飲み始めた。先ほどの余韻が残っているのか、その仕草にも微かにドキリとさせられる部分があった。

 まあ、実際気のせいなのだろう。彼女の様子を見ているとそう思えてくる。私は気を取り直して剥きかけのみかんへ手を伸ばした。

 ある、夏の日の夜の事だった。





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