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アイリーンは、ウィルの体調は万全ではないというのに、お構いなしに四六時中、付きまとっている。
さすがにイレーヌは見兼ねて声をかけた。
「アイリーン。いい加減、ウィル様に引っつくのはやめてちょうだい。この方の体調は万全ではないし、それでなくても四六時中傍にいられてはうっとうしいわ」
アイリーンは、むっとしたようでイレーヌを睨みつけた。
「気安く呼ぶな。それに、何で、お前ごときに、そんな事言われなければならないんだ」
「イレーヌを悪く言うな。ただ俺に引っついている君と違って、イレーヌはちゃんと俺の看護をしてくれている」
寝台で上半身だけ起こしたウィルが言った。
「それに、イレーヌの言う通りだ。君は一方的に俺を知っているというだけだろう。俺は全てを失って自分の事だけで精一杯で他人に構う暇などないんだ。俺の事は放っておいてくれ」
アイリーンは大きな瞳をぱちくりさせた。まさか彼にこう言われるとは思ってもみなかったという顔だ。
さらにウィルは追い打ちをかけた。
「君が何者か知らないし興味もない。この修道院から出て行ってくれ。二度と俺の前に現われるな」
「何で、そんな事を言うんだ! セブにやられた君を助けたのは、私なのに!」
今のアイリーンの科白はイレーヌには聞き捨てならなかった。
「ちょっと来て!」
イレーヌは有無を言わせずアイリーンの手首を摑むと扉に向かった。
「少しの間、失礼します。ウィル様」
いつも穏やかなイレーヌらしくない行動に驚いているらしいウィルにそう声をかけると、彼女はアイリーンと共に部屋から出た。
「何するんだ! 離せ!」
自分と顔ばかりか体格も似た女だ。簡単に振りほどけるはずだのに、どういう訳か、アイリーンがどれほどもがいてもイレーヌの手は外れなかった。
二人を見つけた中庭まで来ると、イレーヌはようやくアイリーンの手首から手を離した。
「……あの時もセブと言ったわね」
アイリーンが目覚めたウィルに言った事だ。
――セブ……魔族に国を乗っ取られたんだろう。
「それは、魔族のセバスチャンの事? あなたは彼と知り合いなの?」
本当に訊きたいのは、そんな事じゃない。
「あなたが『彼』のアイリーンなの?」
本当は、そう訊きたかった。
もし、彼女が「彼」のアイリーン、「彼」の想い人だったら――。
(……私は絶望するわね)
出会って数日だけれど、目の前のアイリーンには何の魅力も感じないからだ。
こんな子の身代わりとして「アイリーン」と呼ばれ……抱かれたのだと思うと絶望しかない。
だから、イレーヌは決定的な言葉で訊けないのだ。
「何だ。お前もセブを知っているのか?」
アイリーンのこの科白は『彼』と知り合いだと認めるものだ。
「……『彼』がウィルを傷つけたのね」
信じられないとは思わない。イレーヌの胎に宿ったばかりのウィルさえ殺そうとしたのだ。
――ずいぶん飛ばされたらしいな。
中庭にいた二人の様子からして普通の現れ方ではないと思っていたし、何よりウィルのこの科白だ。
「彼」はウィルを殺さず痛めつけるだけで、しかも、イレーヌのいるこの修道院にアイリーンと共に送りつけてきたのだ。
「彼」は魔族。人間の思考回路では量れないのは分かっているつもりだ。
だが、それでも、なぜ十八年も経ってウィルやイレーヌに係わろうとするのか。
(……ウィルではなく私の前に現われてくれればよかったのに。それで殺してくれれば)
イレーヌは目の前にいるアイリーンの存在を忘れて、つい物思いに沈んでしまった。
「それを私が助けたんだ。分かったんなら邪魔するな」
アイリーンがウィルにまとわりつくのを邪魔するなという意味だろう。
勿論、イレーヌは頷かない。
「……『彼』が本当にウィル様を殺すつもりだったのなら、いくらあなたがウィル様を助けようとしても無駄だったでしょう。あなたが助けたんじゃない。『彼』にウィル様を殺す気がなかっただけよ。ウィル様に恩着せがましく言わないで」
いくら正論であろうと、こういう強気な発言は「彼」に出会う前のイレーヌには言えなかった。「彼」によってもたらされた壮絶な体験や母となった事が彼女を変えたのだ。
「何だと!?」
アイリーンが気色ばんだ。
「ついでに言うけど、はっきり言ってウィル様にあなたは邪魔よ。うっとうしいの。この修道院から出て行って。二度とウィル様の前に現われないで」
「人間風情が、この私に向かって!」
叫んだアイリーンの外見が変わった。髪と瞳が黒く耳が尖ったのだ。
「……やっぱり、あなたは魔族だったのね」
イレーヌは驚かなかった。魔族の「彼」を気安く愛称で呼ぶなど普通の人間ならできない。それに何よりアイリーンの言動は常にウィル以外の人間を見下していた。自分は人間以上に高等な生物として下等な人間を見ている。そんな感じだったのだ。
「お前、魔族の祝福を受けた人間だったのか!?」
黒に変わった瞳をアイリーンは見開いた。イレーヌの胸、心臓の位置を凝視している。
人間に化けた時は魔力も使えないのだろう。だから、イレーヌの「これ」に気づかなかったのだ。魔族であれば気づかないはずがないのだから。
「……祝福? 私には呪いでしかないわ」
イレーヌは修道服の上から「それ」を握りしめた。
「それでも、ウィルを守るためなら喜んで使うわ」
イレーヌは、にやりと笑った。普段穏やかで優し気だと言われる彼女からは想像できない笑みだ。
「私に『これ』を施した魔族、あなたの言うセブは、かなり高位の魔族みたいだった。人間に化けた時には魔力が使えないようなあなたに私を排除できる? 私を排除しない限り、ウィルの傍には近寄れないわよ」
アイリーンはイレーヌを睨みつけた。
「畜生! いい気になるなよ! セブの魔刻印に守られた人間風情が!」
捨て台詞を残すとアイリーンは、その場から消えた。
「……好きで押されたんじゃないわ」
一人になった中庭でイレーヌはぽつりと呟いた。