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イレーヌと共にウィルの部屋(正確には彼にあてがった部屋)から出たドノーは、こう言った。
「よかったわね。あの子と再会できて」
「よかった?」
イレーヌはウィルには見せなかった険しい視線をドノーに向けた。
当時三十前半だったドノーは、今は五十間近だ。十八年分しっかり年を取った。けれど、イレーヌの外見は、あの時から全く変わっていない。十代半ばの絶世の美少女のままだ。
けれど、中身は壮絶な体験をした三十代の女性なのだ。その苛烈な精神に整い過ぎた容姿。そのためイレーヌが少しでも怒ると、かなり迫力がある。
傍目には中年の修道院長が修道女の小娘に気圧されているように見えるだろう。
「あの子が生きていたから、私と再会できたから、自分の罪がなかった事になったと思っているの? だったら、ふざけないで」
イレーヌは声を荒げてはいない。けれど、それがかえって彼女の深すぎる怒りを感じさせた。
「……そんな事思ってないわ。私の罪は生涯許されないのは、よく分かっている」
ドノーは王妃に協力してイレーヌから産まれたばかりの息子を奪った。
王妃は「陛下が治めるこの国が亡びるはずがない」などと宣っていたが、ドノーは王族になれば魔族に殺される危険を分かった上で、そうしたのだ。
ドノーの罪は、それだけではない。
ドノーは自分の娘と宰相の娘を取り替えた。王妃サーリはドノーの娘なのだ。
ドノーは宰相の奥方の侍女だった。宰相の部下の一人と結婚し娘を産んだものの夫は流行り病で亡くなった。
自分一人で娘を育てる自信がなかったドノーは、宰相の娘が自分の娘と同じ頃に産まれたために乳母となったのを幸いに自分の娘と取り替えたのだ。
宰相の娘、貴族の娘ならば、幸せになれると信じて。王侯貴族は権力や贅沢な生活を得る代わりに重い義務や責任も背負わなければならないのに。それをドノーは分かってなかった。
ドノーが王妃のあんな無茶な願いを受け入れたのは、ひとえに彼女が自分の娘だったからだ。
けれど、イレーヌの息子を、ウィルを奪った王妃も報いを受けた。
赤ん坊のウィルが王太子として公表された後、王妃は行方不明になったのだ。
だというのに、夫である国王も父親である宰相も王妃を捜すために全く動かない。
業を煮やしたドノーは、領地に来ていた宰相に王妃を捜してくれるように頼もうとして驚愕の事実を知る。
国王は王妃がいざとなれば他人の子を王太子として差し出すのを分かっていて見逃したのだ。ひとえに愛する妾妃との間に産まれた最愛の息子ミッシュを守るために。
国王も分かっていたのだ。いずれ、この国は魔族に奪われると。
その際に、ミッシュが殺されないように、彼ではない子を王太子にしたかった。愛してもいない王妃を妻に迎えたのもそのためだ。王妃との子でも、王妃がどこからか奪ってきた子でも構わない。ミッシュさえ無事ならば。ミッシュは市井で隠して育てるつもりだった。魔族に目をつけられないように。
王太子となる子ができれば、もう愛してもいない王妃など必要ない。だから王宮から王妃を放り出したのだという。
宰相もまた王妃が自分の娘ではない事を知っていた。けれど、宰相の娘となれば魔族に殺される危険があった。だから、ドノーが自分の娘と取り替えても黙認したのだ。
けれど、宰相の娘はドノーの夫と同じ流行り病で亡くなった。それで、ドノーは修道女になったのだ。自分の娘として育てた宰相の娘の冥福を祈るため、そして、子供を取り替えた罪の許しを神に請うために。
宰相は自分の娘として育てても気位が高く賢くない王妃を愛せなかったという。そして、王妃が仕出かした事を知り完全に彼女に対する愛想が尽きた。国王が王妃と同じ事を企んでいたとしても、国と王を欺くという大それた事を仕出かしたのだ。国王が王妃を「行方不明」にしても捜す気はないとドノーに言い放った。
呆然としたまま修道院に帰って来たドノーは全てをイレーヌに打ち明けたのだ。
話して楽になりたかったのか。話す事で許される気になったのか。
それは分からないけれど、当然、そんな事でイレーヌは許さない。
全てを失ったイレーヌにとって息子だけが唯一の希望だったのだから。
なぜ、他人の思惑で、その唯一の希望を奪わなければならない?
あの子が、ウィルが殺されずに済みイレーヌと再会できたとしてもドノーの罪が消える訳ではない。
神が許したとしてもイレーヌは許さない。