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Dear Friend

作者: 西本 緑介

 幼い頃の私は、見知らぬ人とも、初対面の人ともすぐに仲良くなり、友達がいっぱいいると思っていた。


 小学校の高学年くらいからだろうか、変わらず友達は多くいたが、頭の片隅でだんだんと思うようになった。


『私は友達だと思っているが、彼らは私のことを友達だと思っていてくれてるのか』


『私は皆のように、自慢できることや趣味がすくない。なでこんな私に皆友達でいてくれてるのか』と。


 このとき辺りから、私は無意識に友達のことを名前ではなく名字で呼ぶようになっていた。


 もちろん全員をではない。なかには名字が難しい人やあだ名がある人は名前やあだ名で読んでいたが、やはり基本は名字で呼んでいた。あだ名もよっぽどでない限り呼ばなかった。


 皆と楽しく話しているときも、ふいにそんなことを思ってしまう自分が嫌になった。


 きずけば、友達を遊びに誘うのが苦手になっていた。誘われるのはいいが、誘うのは難しかった。自分から参加するのもダメだった。

 

 参加したいとメッセージを送るのにも、三日ほどかかり、打った文を何度も見返し、送るときには足から力だ抜け、指が震えることもあった。


 送った後も気がかりで他のことに気が向かないし、OKの返信がきたとなれば両手もろてを上げて万歳をした。


 私はこんな自分に嫌気がさした。いつから私は他人を信用できない臆病者になってしまったのだろう。


 私は裏切られることに心底臆病なようだった。名字で呼ぶのも事故防衛の一環なのだと思った。


「こんなのは私だけでない、思春期にありがちな思考だろう」と割りきろうとした。しかし、一度染み付いたものは中々取れなかった。醤油のシミのようだった。


 そんな私の高校生活がもうすぐ終る。大学や未来の職場などでも友人や仲間は出来るだろうが、幼稚園や小学、中学 高校時代に比べれば縁も少なく、親友と呼べる人に会う機会は中々ないだろう。


 ああ、私が心のそこから信用できる、名前で呼ぶことができる。

親友ディアフレンド」は現れるのだろうか。


 私は変われるだろうか………






 




 ベットで横になりながら、スマートフォンの画面に文字を打ち込みながら私は思う。


 やはり深夜のテンションで打つべきではないな。なんだこれは、こんな駄文見たことがない。


 もはや小説でもポエムでもなんでもないだろう。いい年こいて中学生みたいな文を書きやがって。こんな落ちも、面白味も、感動も、悲しみも、起承転結も、スリルも、サスペンスも、恋も、ドキドキも、ワクワクも、憎しみも、怒りも、ヒーローも、悪役も、なにもないではないか。


 こんなのひどい文を打っている位なら、さっさろ画面を閉じ、寝てしまえ。


 そう思い、私は打つのをやめた。


 明日は早くから友達とカラオケに行く約束をしている。


 彼らは高校こそ違ったが、中学からの友達だ。会うのは久しぶりだから楽しみだ。


 しかし、こんな妄言を垂れ流した後だからだろうか。少し考える。

 

 彼らは、私が名前で呼ぶことができる彼らは、私を友人だと思ってくれてるのかと。

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