第8話:悲鳴
「んあ?」
間抜けな声と共に火彩は目が覚めた。
相変わらず寝起きは弱いのか、目は開いてはいるがまだ完全に覚醒はしていないようである。
そのまま数分はぼーっとしていたが、ようやく起きる気になったのか地面に手を着きながらノロノロした動きで起き上がる。
その時になってようやく火彩が自分が布団でも――地面でもない、何かゴワゴワしたもので寝ていたことに気が付いた。
「何だこれ?」
そう口に出しながら掌の感触を確かめる。
地面みたいに固くはなく、かと言って布団みたいにさらさらはしていない。表面は毛のようなもので覆われていて、ゴワゴワしていてまるで毛皮のような――。
思考がそこまでいってようやく火彩は完全に覚醒した。
「毛皮っ!?」
そう、それは毛皮だった。
全体的に黒く、端の元腹の部分だけが白い毛で覆われている。
そして、その毛の色に火彩は見覚えがあった。間違いなく、自分が倒したウルフの毛皮だ。
「そうだ。俺は……うっ!?」
寝る直前まで自分が何をしようとしたのかを、そしてナニをしでかそうとしていたのかを思い出して急激な吐き気が火彩を襲う。
思わず手で口を覆おうとして、それに目が入った。
「こ、これって……」
真っ赤だったのだ。掌が。
まさかと思って自分の体を見下ろす。すると、反対の手も、胸も胴も、太ももの辺りまで全身が血で真っ赤に染められていた。
そしてこの状況を察するに、自分の口の周りもきっと血で真っ赤になっているに違いない。
「う、うげぇえええええええええええ!!」
そこまで思い至り、込み上げてくるものが抑えきれなくなった火彩はそれからしばらくの間嘔吐き続けるのだった。
(閑話休題)
「はぁ……はぁ……」
かれこれ10分ほど吐き続けた火彩。
しかし、あれだけ食べた筈なのに不思議と何も吐けなかったのだ。
出てくるのはただただ透明な液体ばかりで、肉片の一片たりともない。
まるであの光景が夢だったかのように……。
(夢だった……?いや、流石にそれはないか)
未だ真っ赤なままの手のひらを見つめながら火彩は考える。
ただ、現実と考えるには少し奇妙なことがある。
無いのだ。
毛皮と最初に剥ぎ取った爪以外、一切の骨や筋、爪といった通常食べ残るものがないのである。しかも、もう一頭のウルフの死体とリーダーの下半身に至っては影も形も無く消えてしまっていた。
もはやミステリーを超えてホラーである。
(流石に全部まるまる食べたってのも考え辛いしなぁ……はぁ、そもそも一体俺どうなっちゃったんだ?)
分からないことは一度棚上げしておいて、火彩は今度は自分の体の変化について考え始めた。
身体能力強化や探知能力はまだいい。異世界ものでもテンプレとしてあるし、実際に便利な能力だからだ。まぁ、身体能力は日常生活で不便そうであるが。
だが、さきほどの現象は違う。
潰れた臓物を見た瞬間、それを食べることしか考えられなくなったし、当然そんなもの異世界テンプレで見たことがない。血肉が食べたくて堪らなくなるとか、それはむしろゾンビとかヴァンパイア……。
(まさか!?)
自分の思考に火彩は戦慄した。
だが、考えれば考えるほどその考えが当たっているような気がしてくる。
数は少ないが、ゾンビやヴァンパイアを主人公とした作品が無いわけは無い。その作中で見られる食肉衝動や吸血衝動はそのまま先ほどの自分に当て嵌まるのではないか……?
そして、自分の記憶が確かならば、自分は一度死んでいるのだ。
今ではもしかして気のせいなんじゃないか?と思い始めてもいたが、もしあれが記憶違いじゃないのだとしたら。全てが現実で、自分は生き返ったわけではなく、ただの動く死体になっているのだとしたら……。今の自分は……。
火彩が自分の考えに顔を青くしたまさにその時。
「やぁあああああああああああああ!!」
森の奥から幼い女の子の悲鳴が響いてきた。
(今のは……!?)
その悲鳴を聞いて火彩が躊躇したのはほんの数秒だった。
「確認するだけ。そう、確認くらいはしないとな……」
まるで自分に言い聞かせるようにそう呟くと、毛皮と爪を手に取り火彩は駆けだした。
それは森の中で少女の悲鳴を聞くという異世界テンプレに興奮したからか。
それとも見たくない現実から逃げ出したかったからなのか。
ただただ火彩は走った。声のする方へと。