大人〜町長〜
「あの、宝石が水害を起こすって本当なんですか。」
木とコーヒーの匂いでいっぱいの、町役場。
リズが帰ってったあと、ジークは都遣えの男が来るのをずっと待っていた。そして今日ようやく、男は来たのだ。
ジークが都遣えの男にそれを聞いた瞬間、部屋中の音という音が無くなったかというくらい、辺りがしんとした。
都遣えの男は、相変わらずいかつい顔でジークのことを見下ろしている。
肝が冷えるような心地で、ジークはその場に踏みとどまり続けていた。
「嘘だ、と思ってるのか?」
低く、低く。
低い声で、男は言う。その姿に威圧の気が見え始める。
部屋の隅で、町長が体を強張らせている。
ジークは収まりのつかない空気の中、話を続ける。
「違います。純粋に知りたいって思ったんです。宝石と水の関係性について。」
都遣えの男が黙る。
知っているなら言えばいい。純粋な根拠を口止めする上なんて、いるだろうか。
――やっぱりこいつ、知らないんだ。
しかしもうひとつの考えが、頭をよぎる。
それに呼応するように、役場にいた誰かが声を上げた。
「言えないんだろ。言えないような理由なんだろ。」
視線が、さっとその職員に向けられる。座ったままだったその職員が、蹴るようにして椅子から立つ。
「どうせ理由なんてないんだろ! 本当に宝石が水を呼ぶんなら、その根拠を言ってみろよ。もううんざりなんだよ、お前のその横柄な態度とか! ほら、今ここで、言ってみろよ!」
町役場に、異様な熱気がこもり出した。
他の職員たちもにらみ、少しずつ声を上げ出した。
――やばい、こんな風に追い詰めるつもりじゃなかったのに。
都遣えの男の眼が血走りだす。
これまでじっくり煮詰められてきた職員達の不満。その蓋が外れてしまった。
吹きこぼれた怒りは収まらない。そこに、力づくの蓋が来る。
「都の決定を疑うのか! ひと握りの疑念でもある不届き者は出てこい! ここで極刑にしてやってもいいんだぞ!」
びりびりと、男の獣のような声が辺りに響く。
収まりのつかない空気に、ジークの血の気が引いていく。
――どうしよう。この男が、ここまでだなんて思わなかった。どうすれば。
「申し訳ございません!」
空気を切り裂くように叫んだのは、町長だった。
気の弱そうな、線の細い町長が出てくる。そして町長は、地につけてしまいそうなほど深く深く頭を下げた。
最初に声を上げた職員が、か細い声を上げる。
「町長っ……!」
町長は謝り続ける。
「申し訳ございません。申し訳ございません。すべて私の責任です。どうかお許しください。どうかお許しください。」
その腰を低くした姿に、熱気に包まれていた町役場の空気がどんどん冷めていく。
年のいった町長が、彼よりも年下の相手に平身低頭している。
妻も子どももいる町長。ジークは、もし自分の父親がこうやって許しを請うている姿をしていたら。そう思うと、目も当てられなくなった。
そして何より、そうさせてしまったのは自分だと、その思いがひどく胸を痛ませた。
都遣えの男の煮えたぎったような目から、熱が引いていく。
職員の皆の顔も、血の気が引いていた。
都遣えの男が、静かに言った。
「……気をつけろ。」
それだけ言って、都遣えの男は去って行った。
静まり返った部屋。
誰一人として身動きを取るのが許されないような、そんな雰囲気。
この場で唯一、それが許される者。町長が声を発した。
「やあ、びっくりしたね。うん、皆無事でよかった。」
町長は へら、と優しく笑っていた。
その瞬間、ジークは目の奥が熱くなった。
最初に声を上げた職員の男も、わなわなと口を震わせ、言った。
「すみません、すみません町長。自分のせいで、あんな。」
あんな、の先は、言わなかった。
ジークもまた、謝りたかった。それでも声を発した瞬間向けられる目が脳裏によぎり、喉が詰まった。
町長と目が合う。ああ、自分の感情を悟られているな、ジークは漠然とそう感じた。
「ごめんなさい……」
声が、こぼれた。
町長は優しく笑った。
「いいんだよ。頭を下げるだけでこの場がおさまるんなら、安いものだ。大体僕はいつもあんな感じだろう、大差ないさ。」
町長が、おどけるように肩をすくめた。その姿に、尚更胸が締め付けられた。
さあ、仕事仕事、と町長が皆に声をかける。ぱらぱらと、職員たちが散り出す。
――正直言って、俺は今まで町長さんの姿を、恥ずかしい、情けないもののように見ていた。
――でも、今の姿を見て思った。なんて格好良いんだろうと。
――誰かを守るために下げた頭だから? いや、それもだろうけど、違う。部下の失態のせいで頭を下げる羽目になったのに、それを責めない懐の広さ。それを俺は、格好良いと思ったんだ。
誰かのために頭を下げられる人。
ジークは漠然と、自分が町長に憧れを抱いたことに感じた。
――何も聞き出せてない。本当に何も知らないのか、知っているのか、嘘なのか。このままじゃ、ただ町長さんに頭を下げさせただけだって結果になって終わる。
そうはさせない、させたくない。
ジークは人のいなくなったところで、走り出した。
都遣えの男に話を聞くために。