家族
「父さん、宝石のある土地は水に沈むって話、本当だったらって話にはならなかったの?」
潰したじゃがいものスープをすくおうとしていた匙が、動きを止める。
スープの湯気の向こうから、ジークに良く似た、それでいて老けている顔がこっちを見つめてきていた。
「へえ、まるで嘘だってことが前提みたいな言い方だなあ。」
そう言って、無精ひげの生えた口元がにやっと笑う。
「……だって、そうじゃないの。誰も信じてる人なんていないし……。」
ジークは気持ち、唇を尖らせた。
スープの中で潰れずに残っていたじゃがいもの塊を、ジークは匙で押しつぶした。場つなぎのその行動を、父親は何もかも見透かすかのようにじっと見つめてくる。
何か不思議に思ったことを父親に聞くと、いつも何だか嫌な気分になる。ジークはそう思った。
――今だって。どうしてか、まず最初に揚げ足を取られたような気分だ。
ジークの父親は、相変わらずにやにやしている。
「本当だったら、どうして宝石と、土地が水に沈むってことが関係しているんだと思う?」
宝石と、とジークが呟いた。
――そういえば、何故なんだろう。
考えられるとしたら、水って言うのは他国からの侵略者のことを指していて、宝石があることで、それを求めて侵略者たちがこの土地を制圧する。そのことを「宝石が水害を引き起こす」と言ったのだろうか。
いわば、比喩表現。
その旨を、ジークは父親に伝えてみた。
「だとすれば、都がわざわざ言葉を言い換える必要がどこにある? 普通に、宝石を求めて侵略者が来ることを防ぐため、と言った方が分かりやすいし、皆の同意も得やすそうじゃないか。」
それを言う父親の目は、きらきらと輝いていた。
ジークは頬が熱くなる。
――またこの気持ちだ。どうして俺はいつもこうなんだろう。
いつも自分は、不正解しか叩き出せない。「間違ってる」じゃなくて変な点を挙げ連ねられる。考えの甘い部分をつつかれる。
――きっと、よっぽど駄目な解答なんだろうな。
一度父親にそれを言ったら、「お前は自分が絶対に正解してないと嫌なのか?」と、あの笑顔で言われたことがある。
――あんまり、もうこういうことを聞かないようにしてたのに。
父親は、どうした、他にはないのか、ときらきらした目で問いかけている。
――このまま何も言わないで、間違えたから拗ねたんだな、と思われるのも嫌だし、でももうこれ以上何か言って、何かせっつかれるのも……。
だから、ジークは笑って、父親の目を見た。
「いや、やっぱり俺には分からないよ。」
父親は、眉を下げて そうかぁ、と声を漏らした。話はそこでなんとなく終わり、あとの夕食の時間は、普段通りの談笑をした。
「あー、うー。」
まだ座り方さえおぼつかない弟を膝に乗せ、ジークはその小さな手を握って、万歳させる。
足や手を もちょもちょと動かす弟に、思わずジークは顔を綻ばせた。
弟がこっちを見上げてくる。小さな頭が自分の腹に当たり、それが愛おしくてたまらなかった。
また万歳させていると、近くのソファで本を読んでいた母親が、呟くように言った。
「ジークはお父さんと違って、人付き合いがちゃんと上手で良かったね。」
ジークがそちらに顔を向ける。母親は、心なしか微笑を浮かべていた。
二人の間に沈黙が流れる。ジークが、なんと返していいかわからなかったために。
母親が続ける。
「本当お父さんは、人付き合いが駄目で……。ジークはちゃんと我慢ができるし、空気が悪くならないよう、でも上手に切り抜けることができる。」
「……でも、それ、父さんが馬鹿にしてる人たちのことじゃない? 『そうやって逃げて、何も考えようとしない、何も生み出さない人だ』って。」
「お父さんが何か生み出したことがあった?」
悪いと思いながらも、ジークはそれに吹き出してしまった。
――無い。せいぜい、ぴりぴりした空気くらいだ。
「お母さんは、ジークのそれはひとつの才能だと思ってるよ。」
ジークが質問を続ける。
「母さんは、どうして父さんと結婚したの。」
「駄目な人だけど、嫌いじゃないからだよ。」
「俺も父さんのこと、別に嫌いじゃないよ。」
二人で顔を見合わせて、ふふっと笑った。
「そういえば、宝石のこと気にしてたよね。」
「ああ、ちょっと気になったくらいだから、そこまで大した話じゃないんだよ。」
「そう。その『ちょっと気になった』の芽を摘むのが、上手いからね、お父さん。」
思わず、ジークが噴き出す。
――また笑ってしまった。なんだか、母さんが俺の正体の分からないもやもやを、全部代わりに言葉にして言ってくれているみたいで。
――母さんも、それを感じたことがよくあったってことなのかな。
まあ、もういいなら、と母親が呟いていた途中で、二階から だんだんと急いで階段を降りる音が聞こえた。
ジークと母親は顔を見合わせた。
二人の目が、ドアの方に自然と向く。がちゃっと扉が不器用に開く。
すると父親は、腕いっぱいに何冊もの本と、何枚もの紙、ペンを持って立っていた。
「ど、どうしたの父さん。」
父親は、よたよたと机に向かって歩いてきた。手に持っていたものが、雪崩のように机に落ちる。
そしてまるで何かの台詞かのように、ためてためて、父親は言った。
「ほら、これが宝石と水に関係しそうな文献と、この辺りを調べたら良さそうだっていうお父さんの目星だ。」
ジークは目を丸くしてその山を眺めた後、父親の顔を見た。
目は今日一番で輝いていて、上気した顔には笑顔が滲んでいる。
――ああ、頑張ってくれたんだな。
母親と顔を見合わせる。
――そうだ、父さんはこういうことを聞いたら、絶対にたくさん、使えそうな情報を調べて持ってきてくれるんだ。
心の中で少しだけさっきのことを謝りながら、ジークは顔を綻ばせた。
「ありがとう、父さん。」
弟を抱いたまま、机の上に広がる紙や、しおりだらけの本に近寄る。
最初はその量に笑えた本も、これを自分が読まなくてはならないのか、と思うと笑えなくなってきた。
何を言われるとかじゃない。だから自分は、父さんにはもうこういう話はしないようにしようって決めてたんじゃなかったっけ。その山を見てジークは思った。