想い
ジークは宝石を、宝石の捨て場の、水の中へと捨てた。
水底へ沈んでいく宝石たちは、月明かりに照らされて、星明かりのように点々ときらめいていた。
暗い水の中を、宝石の光がちらついている。それはやがて、暗闇に飲まれ、次第に鈍い光となって、消えて行き……。そして、その一連のことが過ぎると、ジークはそこから背を向けて歩き出した。
――早くリズに会いたい。
半日歩いた疲れなど感じないくらいに、不思議なエネルギーに満ちていた。
黒い珊瑚を踏みつけながら。ジークは走るようにして、歩みを進める。
黒い珊瑚と水で満たされたここは、まるでこの世の果てのような不毛の地。
変わらない景色の中延々と走るジークは、不思議と頭の中が冴えて行くのを感じた。
宝石と水の地で、リズと出会って。
最初はリズと喋るきっかけを作るために、宝石と水のことを調べてたんだっけ。
でもそのうち、宝石を捨てる係としての責任を感じ始めて。宝石の怖さに、いてもたってもいられなくなって。
これまでの思い出の中を駆けて行くような。
空の星が、地上の水辺にうつっている。空と地上の境目がわからない、濃紺の世界で。
ジークはただひたすら、歩き続けた。
街についたのは、夜明け頃だった。
遠くの空が淡い青と、わずかな東雲色に染まっている。そして逆光で黒々と染まる木々を見て、ジークはそれが、宝石のラブラドライトのようだと思った。
初めてラブラドライトを見た時、まるで夜明けの森のようだと思った。淡い青と東雲色が溶けあい、黒い糸のような線が走る宝石。もうあの宝石は人の手からも、人魚の手からも離れ、水の中で横たわっていることだろう。
――ここを抜けたら、リズといつも会っていた場所だ。
家族も心配しているだろうが、ジークは今何より、リズと一番早く会えるだろう行動をしていたかった。
――きっと、リズのことを知らせてくれる人魚が来てくれるとしても、ここのはず。
――ここで、少し仮眠を取ろう。
朝の匂いがする。ひんやりとした、凛とした空気。夜露のついた芝生の上を歩いていく。
ジークがやっとその場所に辿り着いた、その時。
湖の中に、一人空を仰ぎ見る、女の子の後ろ姿があった。
その髪の色に、立ち姿に。ジークは体中にしびれが走った。
初めて見た時、童話の人魚姫みたいだと思った女の子。
世界の誰よりも素敵だと思える、自分の好きな女の子。
「リズ……。」
ジークは思わず呟いた。
後ろ姿がくるりと振り向き、その女の子の髪に通した真珠が光る。
――ああ、真珠や琥珀は、持っていても大丈夫なんだっけ。
ジークは場違いにもそんなことを思いながら、振り向くその姿を見つめていた。
どこまでも澄み渡る、愛らしい瞳。言葉を紡ぐたびに震わせる、桃色の唇。
「ジーク。」
リズは、宙返りするかのようにくるんと回って、水の中に潜ってしまった。
えっ、と。ジークが声をもらす。しかし次の瞬間水の中で見えたのは、自分に向かって泳いでくるリズの姿。
その魚影はぐんぐんとジークに近づき、そして尾びれをめいっぱい震わせて、
「ジーク!」
水から思い切り飛び跳ねた。
水の雫をきらきらと見にまとわせながら、リズはジークの胸に飛び込むようにして着地した。
リズが落ちる、と思ったジークは、リズを抱き抱える形で庇うことになった。
その事にジークは、一瞬だけ、顔が ぼっと熱くなった。途端、すぐにリズが叫んだ。
「熱いっ!」
リズはジークから べりっと身を引き剥がし、水の中へと入ってしまった。
水の中では、くるくると泳いで、体を冷やそうとしているリズが見えた。
「ご、ごめん!」
ジークはそう言って、すぐに湖に、服のまま飛び込んだ。
――リズが無事だ、無事だ、無事だ!
その喜びか、それとも抱擁のせいか。ジークの心臓はどくどく脈打っていた。
水で自分の体を冷やしている間も、ジークは笑みが収まらなかった。
ちらりとリズの方を見ると、リズは上目遣いでジークの方を見ていた。
見つめ合う。そして。
ジークは冷えた体で、おずおずとリズに向かって手を広げた。心臓どころか、こめかみまで脈打っているのを感じる。抱擁の続きを促す自分に。
リズはジークの方を見ては目を伏せてを繰り返し、やがて頬を赤らめながら、そっとジークにくっついた。
ジークは、顔中が熱くなるのを感じた。自分の腕の中にリズがいる、リズと今、くっついている。
その事実にどうにかなりそうなほど、恥ずかしくて、至福だった。
しばらくはお互い、何も言えずに抱擁していた。お互いの「好き」という想いが、お互いにばれてしまった。
緊張の中、先に動きを見せたのは、リズ。
リズはジークに身を寄せたまま、囁くようにして呟いた。
「あのね、ジーク。私のためにいっぱい頑張ってくれたんだってね。本当?」
ジークは、リズの顔を見つめた。そして、そっと頷いた。
「宝石のことも、すごく頑張って……。ジーク、ありがとう。」
ジークは首を傾げた。そしてはにかむ。
「どうしてリズがお礼を言うのさ。やだな。」
ようやく普通に笑えたことと、声がうわずらなかったことに、ジークは人知れず安堵した。
ただ、ジークの胸元で、リズの顔がくもった。
そして、リズの白い手は とん、とジークを優しく押して、二人の体を引き離した。
ジークはリズの感触が遠ざかってしまったことに。じく、と胸の奥で何かが傷んだ。
しかし、目を伏せたリズを見て、その気持ちもどこかへ行った。
「どうし、」
「あのね。」
二人の声がかぶる。
お互いの視線が交差する。さっきまで意識していなかった水の冷たさが、ジークの足腰に届く。そして、手を胸の前で組んでいたリズが先に口を開いた。
「すごく変なことを言うんだけどね。私、あの子達……黒い珊瑚達が生まれた理由が、分かっちゃったの。」
物語は、終わりに向かう。




