黒い手帳
――リズのことが心配で心配で、あの時はあの不安なんて頭から消し飛んでしまっていたんだ。
開け放した窓から降り注ぐ星の光。
ジークはベッドの上で一人、目はつぶらないまま横になっていた。
草が風にそよぐ音がする。
――あれが、本当に宝石のせいで水に沈んでしまった国だとしたら。そんな恐ろしい物を、こんな村の近くに置いておいちゃ駄目なんじゃないだろうか。
――うちが湖に捨てた宝石を全て水からさらってあの亡国に放る? 不安なら、それが一番良いに決まってる。
――でもリズの話じゃ、人魚たちは宝石を所有まではいかなくても装飾品として気に入ってるって話だ。そんな確証のないことで人魚たちを振り回せるか?
――大体、水の中にあるんだからもう安心じゃあないか、なんて言われてもその通りだし。いやでも、宝石が水を呼ぶ範囲が分からない。もしかしたら、この町どころかこの国丸ごと沈むかもしれない。
――何かあってからじゃ遅い。それこそ事後じゃ責任が取れない。でも早とちりだったらと思うと……。
――いやでも、今まで大丈夫だったんだから、大丈夫なんじゃないのか?
これから何かあったとして、責任を背負う勇気が無いから今のうちになんとかしたいと思うのに、踏み出せない。だからといって、確証もないのに周りを振り回す勇気も無い。
星のきらめきが音になって聞こえそうなほど、満天の夜空に包まれて。
ジークはいつの間にか、眠りについていた。
翌日、朝一番にマシューは村の役場にやって来ていた。
自分たちが初めて会ったあの場所。
マシューは黒い手帳を手渡してきた。
「当たりどころか、予想以上の大当たりだ。偶然拾ったとは思えないほど。」
マシューのその顔は、真剣すぎて怖かった。
言わずと知れた、宝石の産地。
そこはもう宝石によって沈められた亡国と成り果てていた。
そもそも、その亡国はどこから宝石を取って来たのだろう。
全てはそれが始まりだった。
手記は日記から必要な部分を切り取ったものらしく、そしてその余白に、後から書き足されたと思われる箇条書きが見受けられる頁もあった。
ジークとリズは顔を見合わせ、静かに黒い手帳の表紙をめくった。
花香りの月 9日
崖が崩れ、岩がむき出しになった。道が埋まったため、今日は皆で土砂や岩の撤去をした。
その中でいくつか、不思議な色の石が紛れていた。普通の石とは思えない、割ると赤や青の透き通った美しい断面が覗けた。
石でありながら宝のような美しさに、それを上に渡した。すると目の色を変え、土砂や岩の中に、このような石があればここに持ってくるよう命じた。
この国の新しい産業になるのではないか、と私達は囁いた。
花香りの月 22日
前に見つけた宝のように美しい石、それを探す者が募られた。あれは我々の重要な産業になり得る、力の無い、誇れる文化も無いこの小国にとって最大の武器になるということになったらしい。
あの石達は「宝石」と呼ばれるようになった。どこからが宝石でどこからが宝石じゃ無いのか、これから明確な区分分けが必要になってきそうだ。
花香りの月 50日
今日は枯れ井戸に水が湧いたらしい。人々は水が汲めると喜んでいた。吉報が続いて、街は明るい雰囲気に包まれている。
降光の月 13日
西にある、とある家が陥没したらしい。行ってみると、土くれだったそこの地面は泥になっていて、今まさにゆっくり、ゆっくりと建物は泥の中へと沈んで行っていた。
その陥没している場所からは泥水が溢れている。
しかしそれが起こったのは、そこだけではなかった。今度はあっち、今度はこっちと、国のあちこちで地面が陥没していく。
・この時には脅威はもうすぐ側にやって来ていた。
・俺達は薄氷の上に立たされているようなものだった。
・誰かが、大地の中に埋まっていた宝物を俺達が横取りしたから、大地が怒ったんだと言っていた。その時には気もとめていなかったが、良く考えれば、これが俺の、宝石に疑いの目を向けたきっかけだったと思う。
降光の月 日
宝石を井戸の中に入れてみた。井戸と言っても水がこれっぽっちも出なかった外れの穴がそのまま残っているだけだった。宝石を入れる前に中を調べてみても、水の気配は無かった。それも、わざわざ私は他国の国の井戸を実験に使った。あの土地では、意味が無いから。
しばらく日を置いて宝石を引き上げた。宝石には水が付いていた。
月 日
私は様々な実験の結果を上に伝えた。間違いない、宝石のある場所に水は呼ばれていくんだと。
このままじゃきっと大変なことになる、早く宝石を回収して、元の場所に戻すんだ。そう言ったが耳を貸すものは居なかった。私が国に認められた研究者では無いからか。それとも実績が無いからなのか。
いや、突拍子も無い発想だと思われたからだ、分かっている。
どうすれば信じてもらえるのか、何の証拠を提示すれば、真実だと判断される材料になるのか。
起こってからでは遅いのだ。実例は何よりもの証拠になる。だが、証拠を提示できる時は、この国が沈んだ時になってしまう。
誰か助けてくれ。信用を得るための手伝いを、頼む。
月 日
この国は、この土地はもう終わりだ。あちこちから水が吹き出て、地盤は緩くなっているし、水に埋まる。
宝石というものは、自然のエラーなのでは無いだろうか。私たちの体の中に生まれるガン細胞のように、宝石は地球にとってガン細胞、または異物という扱いなのでは無いだろうか。本来作られる物ではなかった産物。
貝は自分の中に異物が入れば、自分の身を守るために、それが有害無害に関わらず自分と同じ物質で包むという。それが、真珠になるのだと。
それと同じなのでは無いだろうか。地球は宝石を異物と見なし、貝が真珠で包むように、地球は宝石を水で包んでいるのではないだろうか。
この推論が合っているとすれば、何故自然は宝石を自分の一部で包もうとするのか。
宝石は何か危険な物質なのか? それとも人が発症するアレルギーのように、宝石という特定の物質を敵だと勘違いをしているのか?
それとも宝石とは、 本当は地球の産物ではないのか? 隕石か何かに含まれていた地球外物質なのだろうか。
『宝石は大地の宝、それを我々が奪ったから、大地が怒って取り戻そうとしているのだ。』
馬鹿らしいと思ったこの言葉が、やけに的を射ているような気がしてきた。
大地が怒るとかは思っていないが、もたらされる結果としては同じだ。
宝石に手を出したばっかりに、俺達は俺達の国を滅ぼした。
この手記を手にした誰かが、この手記と、俺達の国の顛末を証拠として、宝石による難から逃れてもらえることを願う。
黒い手帳を読み終わったジークが、リズに尋ねた。
「リズ……これ、水の下の……。具体的には、水の中のどこで見つけたの?」
「えっと、先っぽ……。黒い珊瑚の、一番高い岩の先っぽに、黒い手帳が入ってた皮袋の紐で、ぎゅっと結び付けられてたの……。」
ややあって、リズは付け足した。
「多分あれは、お城のてっぺん……。」
リズがすぐ見つけられたのも、皮袋のおかげで手帳が水に浸食されなかったのも。
「偶然でも奇跡でも無い。この手帳を書いた人の明確な意思だったんだ」
ジークは力を込めて言った。
「誰かこれを見つけてくれって。」




