姉弟の事情
ラビ子は、シュウとケンに促されて、自分たち姉弟の境遇を話し始めた。
「私とウサ太は、ルクシア共和国の南東部に位置する『パルプン』という街で生まれ育ちました。
猟師をしていた父と、食堂を開いていた母と家族4人、
然程、裕福では無いものの幸せな生活を送っていました。
猟師の父が森で獲って来た獲物や山菜などを、
母が切り盛りする食堂で調理して、お客さんに提供するという形を取って居りまして、
そこそこ常連さんなども付いて繁盛していたんです。
朝夕の忙しい時間帯などは私やウサ吉も手伝っていたので、
私は料理が、そして、ウサ太は料理などを運ぶのが上手くなりました。
そんな或る日の事でした。
父の狩人仲間の人が慌てた様子で食堂に駆け込んできて、
一緒に森に狩りに出ていた父が、六腕熊に襲われて重傷を負ったと告げたんです。
母と私達が急いで食堂を閉めて、父が運び込まれた治療院へと到着した頃には、
もう既に父に意識は無く、母や私達の必死の呼び掛けに答える事も無く、
その日の夜に、静かに息を引き取りました。
母と私達は、父の葬儀を終えてからも暫くの間、
意気消沈して食堂を開く事が出来ず
そうしている内に、一部の常連さんを除いて、ウチの食堂を贔屓にしていて下さった
お客さん達が離れて行ってしまったのです。
少なからぬ期間を得て、父の死から立ち直った母は食堂を再開したのですが、
一度離れてしまった お客さん達が直ぐに戻って来て下さる訳も無く、
また、その頃の一番の問題は、
今まで食材を調達していてくれた父が居なくなってしまったので、
他から高い金額で仕入れなくてはならなく、その分の穴埋めになる様にと、
朝早くから深夜まで無理して食堂を開いていた母が体調を崩してしまったのです。
それでも母は暫くの間、体を騙し騙し仕事を続けていたのですが、
或る日、仕事中に倒れて、それからは寝たきりの生活になってしまいました。
当時、困窮していた我が家に、当然、治療院に掛かれる様なお金は無く、
母の容体は日に日に悪化して行くばかりでしたが、
子供の私とウサ太では、街のゴミ拾いや、石畳に落ちている馬糞の掃除などをして貰える、
僅かな賃金で食い繋いで行くだけでも精一杯でした。
そんな、ギリギリの生活が続いていた或る日の事、
私とウサ太が働きに出ている間、母の様子を偶に見ていてくれた近所の小母さんが、
『母の容体が、いよいよ良く無い様だから覚悟をしていた方が良いよ』と、
私に告げたのです・・・




