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新たな星

 やや頬を染めた片平さんを見送ったあと、俺は再びグラウンドの上に転がり、今後のことを考えていた。


 ――やっぱり何回考えても、今のままじゃダメだ。変えないと……小さくまとまろうとしていた自分に抗わないと……


「大峰君」


 目を開けたまま自分の世界に入り込んでいた俺を、爽やかな声が現実に引き戻す。


「伊藤さん」


 ハーフパンツに長袖のジャージを羽織った伊藤さんが俺の横に歩き、腰を下ろす。


「見ているこっちの方が恥ずかしかったよ」

「え? なにが……あっいや! 何にもないっすから! 変な勘違いはやめて下さいよ。……つーか見てたんすね」


 伊藤さんはひとしきり笑ったあと、俺の顔をしげしげと眺める。


「うん。昨日よりいい顔してる。さすが片平さん、ってところだね」

「やっぱり、顔に出してましたかね……俺」


 自分では全く意識をしていなかったが、頷く伊藤さんを見る限り顔に出してしまっていたようだ。今思えば、昨日の立木さんの話もどこかいつもと毛色が違ったように感じる。俺が悩んでいることを見抜いた上であんな話をしてくれていたのかな。


「大峰君の悩みも大体見当はつくんだけど……僕は君に有効なアドバイスは出来ない。やっぱり大峰君自身が考えて、行動して、結論を出すしかないと思う」

「そうっすね。さっき片平さんから発破かけられましたから。やれるだけやってみようと思います」


 右手の拳を左手の手のひらに勢いよくぶつける。

 やることが決まれば、当然だがあとは行動するのみ。頭で余計なことを考えなくて済む分、心のもやもやは幾分和らいでいた。


「そういや伊藤さんの方はどうっすか? 思考型ゾーン」

「うん。その話をしようと思ってたんだけど……大峰君と片平さんがいちゃいちゃしてるもんだから」

「その話はもう止めましょう。それにいちゃいちゃしていません」

「大丈夫なの? 大峰君。かわいい彼女がいるのに」

「あ、いや彼女っつーか……とりあえず結衣に後ろめたいことは一切ないです。メールと電話で大体のことは話してますし」


 俺の言葉に、伊藤さんが首を傾げる。


「彼女さんはイギリスへ応援には来ないの? 他の選手たちの家族は決勝トーナメントから結構来てるみたいだけど」

「あいつは来れるとしたら決勝のみっすね。色々事情があるみたいで」

「そうなんだ。じゃあ次は絶対勝たないとね」

「そうっすね」


 佐野さんの家族を筆頭に、ここマンチェスターへ来てから沢山の人達がホテルを訪れていた。家族の渡英費用や宿泊代をサッカー協会が負担してくれるわけではないので、決勝トーナメントに残ったら応援に、という人達が多いみたいだ。

 結衣は残念ながら、ばあさんの仕事の都合で決勝戦のみしか見ることは出来なさそうだが、これはもともと決まっていたこと。もしひとりでイギリスに……なんて言ってもばあさんが激怒して終わりだっただろう。

 結衣に試合を見てもらうためにも、伊藤さんが言うように次の試合は絶対に落とせない試合なんだけど……


「それにしても意外でしたね。まさかメキシコが負けるとは」

「そうだね。3―0の完封。ちょっと信じなれない結果になっちゃったね」


 準々決勝で日本とオーストラリアが文字通り死闘を繰り広げていた、その裏で。


 別会場は衝撃に揺れていたらしい。


 ブラジル、イギリス、スペインと並んで優勝候補と目されていたメキシコが、まさかの大敗。対戦相手のセネガルが大金星をあげた。


「今大会のセネガルの大躍進は確かに目を見張るものがあったけど……準々決勝は全くの別チームのようだったね」

「なんなんすかね、あのルイ・ティアムって選手。確か出場したのは準々決勝だけっすよね」


 大金星を勝ち取ったセネガル。

 その中でも、眩しいばかりの輝きを放った選手がひとり。


 ルイ・ティアム。18歳。


 なんとデビュー戦でメキシコ相手にハットトリックを決めてしまった。こうなれば、当然各国のメディアは凄まじい反応を見せる。なかでも酷評で知られるイギリスのスポーツ紙に、そのスピード感あふれるプレーから『彗星ティアム』と絶賛されていた。


 このティアムという選手、ベンチメンバーには登録されていたが、オリンピック本戦はおろか、予選にすら一度も出場していない。イタリアの強豪チームに所属しているらしいが、トップチームではなく、ユースチーム。

 露出もほとんどなかった選手で、正直結果をスタッフから聞いたときは「え? 誰それ」と俺だけでなくみんなが困惑した。


「どうやらセネガルの隠し球、のようですよ」

「斉藤さん」


 俺と伊藤さんの話に入ってきた斉藤さん。

 今日はネクタイを締めておらず、比較的ラフな格好をしていた。ハンカチで額の汗を拭う斉藤さんの顔は、いつもよりやや険しい印象を受ける。


「隠し球……ってどういうことっすか?」

「全く意図していないところから、しかも裏付けも全くない情報なので、話半分に聞いて頂いて結構なんですが……。イギリスの狂獣、イーサン・オースティンについて調べてみる、と私が言ったのを覚えていますか?」


 確か……伊藤さんが思考型ゾーンについて暴露したとき。伊藤さんが親善試合でオースティンから意味深なことを言われたから、それを斉藤さんが調べてみる……みたいな流れだったかな。


「それでちょっと事情通から情報を仕入れたんで……昨日、日本の勝利を見届けてから……行ってみたんです」

「行った? どこへ、ですか?」


 斉藤さんが俺の質問に一拍おいて答える。


「ノッティンガム国立研究所」

「……研究所?」


 なんの研究所か知らないけど、何かオースティンに関連している施設なんだろうか。


「斉藤さん、そこって……」


 どうも心当たりがありそうな伊藤さんが斉藤さんへ問いかける。


「そうです。平たく言えば『イギリス国立のサッカー学校』です」

「イギリスにもそんなのがあったんすね」


 国立のサッカー学校といえば、まず思い浮かぶのはフランス。

 フランスは俺が生まれるよりも昔から、国策でサッカーを推進するためにサッカー専門の養成機関を立ち上げている。卒業生に有名な選手が数多くいることから、認知度も人気も高い。噂では20人の枠に1000人が入団テストを受けに来るとか。

 各国にそういう機関があるとは聞いたことがあったが、なんたら研究所というのも、フランスのそれと似たような感じなんだろうか。ちなみに、日本にも似たような組織は存在する。


「私も先日知人にこの話を聞くまで存在を知りませんでした。設立が5年前の2007年。卒業生『には』目立った活躍をしている選手が少ないので、一般にはあまり認知されていないのかもしれません」


 なるほど。

 設立も最近だし、卒業生に活躍している選手がいないなら……ん?


「卒業生……『には』?」

「結論から言いましょう。オースティンとティアムは、ノッティンガム国立研究所の『中退生』なんです。研究所自体は国立ですが、イギリス国籍を持っていなくても入所は可能のようですね」


 オリンピックで大活躍しているふたり。

 そのふたりが、どちらも研究所を中退しているとしたら……関連が全くない、とは言えなさそうだ。


「どうもオースティンのことを調べていると、どこか不透明なバックボーンがチラついたんです。それでノッティンガム国立研究所に出向いて話を聞こうとしたら……」


 ここで斉藤さんが息継ぎを挟む。


「聞こうとしたら?」

「オースティンのことは何も答えてくれないんです。いろんな方面から話題を振ったんですが、全く相手にされず。ダメ元で卒業生と中退生のリストを見せてくれ、と頼んだらオッケーを頂きまして……そこにティアムの名前があったんです」


 斉藤さんが胸元のポケットから折りたたまれた2枚の紙を取り出す。片方の紙を広げて見せてくれたそこには……びっしりと英語が埋まっていた。


「……読めません」


 英語の羅列から目を逸らした俺に、伊藤さんが説明を入れてくれた。


「上段に卒業生、下段に中退生の名前が書いてあるね。斉藤さん、これ僕たちに見せて大丈夫なんですか?」

「もともと入学生と卒業生のリストはウェブに公開しているそうです。つまり、私が直接足を運んだことは全くの無駄骨だったわけですね」


 はぁ、と斉藤さんがため息をつく。


「そのリストの右端に日付が書いてあるでしょう? それが中退した年月日なんですが……オースティンとティアムの日付を見て下さい」

「……どこに書いてあるかわかりません……」

「ちょっと待ってね……オースティンがここ、ティアムがここ」


 親切な伊藤さんが指を指してくれた場所を見ると……


 『Ethan Austin 9th April, 2008』

 『Louis Thiam 9th April, 2008』


 どちらも同じ日に中退していた。


「もうひとつ妙なことがあるんです。最下段にスタッフの名前が書いてあるでしょう? ご丁寧にスタッフの着任、離任の時期まで記されているんですが……」

「なるほど。これですね。斉藤さんが疑問に思っているのは」


 すでに解答へたどり着いた伊藤さんが、リストの中からある名前を指差す。


 『George Bagwell 9th April, 2008』


 この人もオースティン、ティアムと同じ日に研究所を離任していた。


「ジョージ……バグウェル、かな。指導者なんですか? この人」


 伊藤さんが斉藤さんに目線を向け、疑問を飛ばす。


「ノッティンガム国立研究所でどういう立ち位置だったかまではわかりません。少なくともイングランドのサッカー指導者ライセンスは持っているみたいですが……この人物の本質はそれとは少し外れます。どちらかと言えば私に近いですね」

「斉藤さんに……っすか?」

「研究者です。ウェブで検索しただけで、ジョージ・バグウェルが第一著者の論文がゴロゴロ出てきました」

「何の研究をしている人なんですか?」


 伊藤さんの質問に斉藤さんが頷き、もう1枚の紙を広げる。それも全て英語で書かれていたので、俺には何のことかさっぱりわからない。

 伊藤さんがA4用紙の上部を一瞥し、納得したような表情を見せる。


「……Sport Psychology……なるほど。そういうことですか」

「あの……伊藤さん、出来れば解説を……」

「スポーツ心理学。つまり……」


 伊藤さんからの視線を受けた斉藤さんが、伊藤さんの言葉を引き継ぐ。


「この3人が今でも関わりを持っているとすれば……オースティンとティアムは『ゾーンの使い手』である可能性が高い、ということです」


 世界の舞台で活躍しているオースティンとティアム。

 そして、スポーツ心理学の専門家。

 同日に研究所を離れた3人。


「じゃあティアムもゾーンに……ってことっすか?」

「確証はありませんが、状況から見て可能性は高いでしょう。しかも、伊藤君がおっしゃっていたオースティンの口ぶりから判断すると、我々よりもゾーンに聡い可能性すらあります。強敵ですね」


 斉藤さんから渡された紙を眺めていた伊藤さんが、小さく呟く。


「この論文はゾーンについてではないようですが……このジョージ・バグウェルという方はゾーンに関しても論文を書いているんですか?」

「私が把握している限り、ジョージ・バグウェルは3つの雑誌に合計11の論文を投稿しています。その中にゾーンに関連するものはありませんでしたが……最後の論文が2006年。つまり、ノッティンガム国立研究所へ赴任する前年。それから論文は出していないようです」

「なるほど。名誉よりも実益を取った可能性がある、ってことですか。きな臭いですね」

「伊藤君は話が早くて助かります」


 さもこれで話は終わりと言わんばかりに、ふたりは満足そうな表情で立ち上がる。俺も慌てて立ち上がり、歩き出そうとするふたりの前に立ちふさがった。


「ちょっちょ、待って下さいよ。俺、ちんぷんかんぷんなんですけど……」


 英語の文章(論文?)を苦もなく読んでしまう伊藤さん。

 昨日今日にしてはものすごい数の情報を集めている斉藤さん。

 阿吽の呼吸で納得するふたり。

 俺はと言えば、今のふたりのやり取りは1ミリたりとも理解出来ていない。そもそも論文ってなんですか……。

 伊藤さんがやや困惑したような表情を見せ、俺に笑いかける。


「うーん……ティアムは強敵みたいだ、ってことだよ」


 これは間違いない。

 伊藤さんは今、間違いなく「説明するのが面倒くさい」と思っている。


「今ジョージ・バグウェルが何をしているかはわかっているんですか?」


 伊藤さんが俺から目を逸らし、斉藤さんへ問いかける。明らかに話題を逸らされた。

 斉藤さんが苦笑しながら伊藤さんへ答える。


「わかりません……が、おそらくバグウェルは私と同種の人間でしょう。色々な意味でね」

「そうでなければ研究所を辞めないでしょうしね」


 あははは、と笑いながら、ふたりがホテルへ向けて歩き出した。

 どうにも釈然としない気持ちを抱きつつ、俺もその後をとぼとぼと追う。

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