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準々決勝、オーストラリア 9

 驚きの表情を見せるウィルソンとオーストラリアFW。おそらく、ウィルソンは佐野さんがスライディングに来た瞬間、「引っかかった」と思ったことだろう。佐野さんがウィルソンへ行けば、当然オーストラリアFWはガラ空き。福井さんは二列目、三列目を警戒しないといけないので、すぐにはフォローへ来られない、と考えていただろうが……


 ――予想済み! なぜなら……オーストラリアの左SBは既にスタミナ切れ! オーバーラップはない!


 どうもおかしいと思っていた。

 ブラウンとウィルソンがいくらスーパープレイ続出のスター選手であろうと、いくら何でも他の攻撃パターンが少な過ぎる。後半終盤は右サイドを多用していたのも、オーストラリアの左SBが上がって来ないから。この傾向は親善試合のときからあった。事前に佐野さんからもらっていた、「左SBは戻りが遅い」という情報がまさにこれを示していた。本来ならオーストラリアベンチは早く左SBを交代させたかっただろうが、ひとり少ない日本を攻め立てる為、後半早々攻撃的な選手をふたり投入していた。来るべき延長戦に向けて交代枠を残す為、変えるに変えられなかった、ということだろう。

 つまり、福井さんは三列目からの飛び出しを警戒する必要がなかった。結果、ポジションをひとつずらして、福井さんがオーストラリアFWへ、佐野さんがウィルソンへ行くことも可能。

 加えて、オーストラリアのSBはカモフラージュの為だろうか、ややポジションを前に移している。本当にスタミナが切れかかっているとしたら……


 ――願ってもないチャンス! 崩すならあそこ!


 福井さんがパスコースへ入ったのが見えた瞬間、俺は左サイドへ向けて走っていた。

 左MFの植田さんを追い越し、ライン際を駆け上がる。俺の意図に気付いた植田さんが、俺とクロスするように中央へと走る。植田さんのマーカーはどうすべきか一瞬迷った様子を見せたが、植田さんと共に中央へ向けて走る。


 こうなれば当然、俺のマーカーは……左SB。


 苦虫を噛み潰したような表情。

 重たい足取り。

 間違いない。左SBはスタミナ切れ。


 後ろから来るであろうボールに注意して左ライン際を駆け抜けていると……


 福井さんから、俺へ向けてのロングフィードが放たれた。


 ふわりと浮かせたボールが、雨を切り裂いて俺に飛んでくる――が。


 イメージしていたものよりやや短い。俺は走る速度を緩め、確実にボールをキープすることを最優先にして、後ろを向いてトラップの体勢に入る。

 これ幸いと俺の背後から左SBが詰めてきた。ここでプレスをかけられれば、左SBにとっては走る必要もなく、さらに高い位置でボールを奪うことが出来る。まさにカウンターのカウンターを仕掛けるチャンス。だが……


 センターライン付近。ボールの落下地点に入った俺は、背中側からの圧力へ必死に耐えながら、福井さんからのパスを胸トラップ。

 左SBから足を出されないよう、やや大きくボールを弾ませる。地面に接触したボールは転がること無く、その場に止まった。

 一呼吸置いて、左SBが回り込んで俺からボールをカットしようとした、瞬間。


 隣へフォローに駆けつけた桑原さんへボールをはたく。


 すぐさま反転し、左SBとラインのギリギリ横を駆け抜ける。


 ボールを受け取った桑原さんが間髪入れず――


 左サイドのゴールラインへ向けて大きくボールを蹴り出した。俺とのワンツー。


 つまり。


 ここからのスプリント勝負。


 ――千載一遇のミスマッチ!


 猛烈なスピードで駆け抜ける俺を、左SBが必死に手を使って邪魔をする。だが、弱い。この程度なら全く問題ない。ユニフォームの右半分を掴まれた俺は、左SBの手を強引に振り払い、ボールへ向けて走り込む。

 桑原さんが出したボールが数度のバウンドを繰り返した後、ゆっくりと停止した。ゴールライン5m前。雨の影響を考慮した絶妙な位置。さすがパスのファンタジスタ。

 オーストラリアはフォローへ入れない。

 中盤に厚みを持たせていたが、そのほとんどが中央と右サイド。あまり使っていなかった左サイドはかなり薄い。


 加えて、このチャンスをものにする為に、日本はかなりの枚数を攻撃に割いている。


 中央に南さん。俺とスイッチした植田さん。そのやや後方から桑原さん。

 右に沢田さん。三宅さんも猛烈なスピードで上がって来ている。

 俺を含めて6枚が攻撃参加できる場所まで上がってきていた。当然、オーストラリアはそれぞれの選手を警戒しないといけない。今までは日本の枚数が薄かったので、中央で最大級の警戒を南さんへ向けることが出来たが……今回はそうもいかない。


 おそらく、この試合最後のチャンス。

 延長に入って左SBが交代してしまえば、こんなに上手く崩せるチャンスはない。


 ボールへもうすぐ追いつく、という状況で後ろを振り返る。左SBはやや後方を苦悶の表情を浮かべながら俺に付いてきている。俺のスピードと後半に入ってもバテないスタミナの優位性は歴然で、かなりの距離を稼いでいる。

 このまま行けば全くのフリーでクロスを上げることも出来るが……


 まだペナルティエリアの中には、南さんしかいない。

 雨で走りづらいのは日本選手も同じことで、全速力で走る俺が先頭を駆け抜けてしまっている。


 ――どうする?


 このままダイレクトでクロスを南さんへ上げても、十分勝算はある。先程までは3人、ないし4人に囲まれていた南さんも、今のマークはふたり。

 本音を言えば、もっと確実に他の選手が上がってくるのを待ちたいところだが……そうすると、左SBが追いついてきてしまう。かと言って、このままドリブルで中央へ突っ込むのもあまり得策ではない。どのみちスピードが出せないこのピッチ条件では、おそらく捕まってしまう。


 ここで俺の右目が右手を大きく上げる選手にフォーカスを合わせた。


 ――何か考えがあるのか。ここは――任せよう。


 ボールへ追いついた俺は、左足でダイレクトにパス。やや後方。ノーバウンドで届くよう、少し浮かせたボール。


 そこに待っていたのは――桑原さん。


 桑原さんは俺からのパスを左足の太ももでトラップすると、続けて左足の甲でボールを捉え、少しだけ前へ進む。まるでリフティングをしているかのように。


 たまらず詰めてきたオーストラリアのCBがボールをカットしようと詰めるが――桑原さんはここで、くるっと後ろを向き、オーストラリアCBとの間に体を入れて壁を作る。ここまでボールを地面に全くつけていない。


 業を煮やしたCBが背後からのチャージ。桑原さんの体勢が僅かに崩れる。4回目のリフティング。このタイミングで、桑原さんが正面へ向き直った。あわやシュートか、と身構えたCBだったが……


 ボールはない。


 正面で相対しているCBからは、もしかしたらボールが消えたように感じたかもしれない。


 横へポジショニングしていた俺は、ギリギリでボールの状況を視認した。


 ボールは――桑原さんの背面。


 それを――桑原さんは左足のヒールで右へ流した。全くのノールック。まるで曲芸のようなプレー。


 ボールは、桑原さんの横へ走り込んで来た植田さんのもとへ寸分の狂いなく飛んで行く。植田さんへもマークは付いているが、植田さんは迷い無くダイレクトでボールを中央へ入れた。ペナルティエリアの左サイドギリギリ外から。逆サイドのポスト目がけて飛ぶ。


 ニアサイドへ切り込んできた、三宅さんを飛び越え。


 いつの間にか中央へ走り込んで来ていた、奥村さんを飛び越え。


 ややファーサイドで、待ってましたとばかりにどっしり構えていた南さんを――さらに飛び越え。


 ボールがファーサイドのポスト付近まで飛んで来たところで、それに合わせてジャンプした選手がひとり。


 沢田さん。


 沢田さんは走ってきた勢いそのままにボールへ飛びつく。完全にフリー。


 左足で踏切り、右足を前に出して。


 沢田さんが、跳ぶ。


 宙を舞う沢田さんと、飛翔するボールの呼吸がぴたりと合った。


 そのまま右のインサイドでボールを迎える。


 まるでゴールへパスをするかのように、静かにボールを送る。


 キーパーは南さんを意識し過ぎて、沢田さんへ全く追いついていない。


 結果――ボールはゴールの中へ。ネットを揺らす。


 着地した沢田さんはそのままの勢いでゴール横からゴール裏へと走り抜けた。ヒザを立てたままスライディングし、豪快に右腕を天へと突き上げる。


「っしゃあうるぁぁぁ!」


 沢田さんの咆哮。

 激しい雨音。

 レフェリーの笛の音。

 そして……観客たちの叫びが、重なった。


 雨脚はさらに勢いを強める。

 もはや視界が悪いどころの騒ぎではない。霞がかかる視界を頼りに、左側からゴール裏へ回り込み、走る。懸命に目を開いて、頭から飛び込む。沢田さんのもとへ。

 すでにたくさんの日本選手が沢田さんのもとへ駆けつけていた――が。

 まるで俺を待っていたかのように。

 ヘッドスライディングをして飛び込んだ俺の頭を全員から叩かれた。あと一歩で沢田さんへは届かず、俺の手は宙をさまよい、顔は水浸しの天然芝に埋まる。


 普段なら文句のひとつも言いたいところだが。

 このときばかりは……笑顔で返す以外の返答を俺は思い浮かばなかった。



* * *



『いやぁ、今井さん。一時はどうなることかと思いましたけど……日本、準決勝進出です!』

『順調に進んで来たこれまでと違って、今日はトラブル続きでしたね。中島の退場、立木の負傷。そして伊藤が交代することによる、システムの変更。そんな中でも、後半最後の勝ち越しゴールは見事でした』


『と、言いますと?』

『桑原のプレーが見事でした。まだ上がりきれていない選手を待つため、自らを囮にして上手い具合に『タメ』を作りました。ボールキープの技術もそうですが、状況判断が素晴らしかったですね』


『飛び込んだ沢田の判断もよかったですし……何より、ひとり少ない状況にもかかわらず、攻撃の枚数も揃ってました』

『ピッチ上は雨の影響で、おそらくベンチの指示も伝わりづらかったでしょう。それでも途中交代した佐野が懸命に声をかけている様子が伺えました。注意する箇所、崩すべきポイント、勝負をかけるタイミング。全てをピッチ上の選手が自ら考え、意識を共有することが出来ました。言葉にすると簡単そうに聞こえますが、代表チームという短期構成の枠組みでは非常に難しいことです。チームの底上げが出来た結果、と言えるかもしれません』


『未だ不安材料はありますが、同時にまだまだ成長している、ということですね。これは数十年ぶりのメダルも期待できそうです。次の対戦相手はメキシコ―セネガルの勝者ですが、ここはいかがですか?』

『おそらくメキシコが上がってくるでしょうが、こちらも強敵です。まぁ、どのチームが上がってきても、最前を尽くせば勝てない相手ではありません』


『さて、速報が入ってきました。他会場で行われている結果ですが……イギリスとブラジルが準決勝進出です。こちらは前評判通り、といったところですね』

『ブラジルが凄いですね。スペイン相手に4―1ですか。優勝候補最有力の実力は伊達じゃなさそうです。イギリスとの準決勝も非常に楽しみですね』


『それでは次回は準決勝でお会いしましょう。今井さん、ありがとうございました』

『ありがとうございました』



* * *



 静まり返った廊下。

 薄暗い照明。


 スタッフから教えてもらった番号と、目の前に記されているプレートの番号、「702」を何度も脳内で照らし合わせる。ノックをしようと右手を持ち上げてはみるものの、なかなか実行には移せず。勢い勇んで来てみたはいいものの、二の足を踏む。


 何度か躊躇したあと、決意してドアを三回叩く。


 暫くして、部屋の主が姿を表した。


「よー。おつかれ。どうした?」


 立木さん。


 右足には病院へ行く前と変わらず、太く巻かれたアイシング。片足で立っている姿が何とも言えない気持ちを滲ませる。

 未だジャージを来たままの姿は、到底ゆっくり休んでいたとは思い難い。

 いつもの弾けんばかりの笑顔、大きな声は鳴りを潜め、あたかも傷心を一回りしてしまったような印象を受けた。


「すいません。部屋には来るなって言われてましたけど……その、足……どうだったんですか?」


 俺の問いに、僅かな笑顔を零した立木さん。


「心配ねーよ。ただの捻挫。2、3日で治るってさ」


 立木さんの一言に、ほっと胸を撫で下ろす。一息つき、笑顔で「よかったですね」と返す前に、気付いた。


 全治3日なら……次の試合は出られない。


「……つったってねーで入れよ。こっちも片足で立ってるの面倒なんだよー」

「あっ、すいません」


 立木さんに促され、頭を下げながら入口をくぐる。

 もしかして本当にイギリス人ナースがいたらどうしよう……と、若干挙動不審ぎみに辺りを見回した俺に、立木さんが苦笑した。


「誰もいねーよ」

「で、ですよねー」


 窓際のソファに立木さんが座り、テーブルを挟んだ向かいに俺が腰掛ける。少しの沈黙が流れ、自然と目線が窓へ向いた。外は土砂降りの雨で、本来なら併設されたグラウンドが一望出来そうだが、今は白いベールに覆われている。


「あの……結果はもう知っていると思いますけど……勝ちました」

「ああ。さっき録画した映像見させてもらった。よくやったな」


 そう言って、立木さんはベッドの上で眩しく光るノートパソコンを指差した。言葉がスラスラ出て来ない俺は、またもや口をつぐんでしまう。その代わりに、立木さんがシニカルな顔を作っていた。


「しっかしなぁ、お前ブラウンにぶっとばされてたろ。筋肉が足んねーんだよ、筋肉が。このクソガリめ」

「……すいません」


 最後の言葉に反論したい衝動を抑え、頭を下げる。立木さんから言われてしまえば事実なので、反論のしようもないわけだけど。


「でもまぁ、ホントよくやってくれたよ。これで俺も中島も未練で終わる可能性が低くなったわけだしな」


 立木さんが次の試合に出るかどうか、俺にはっきりとしたことは分からないが、少なくとも中島さんは次の試合に出場できない。

 オリンピックの本戦は、決勝トーナメント進出時点でイエローカード累積による出場停止ルールはなくなる。だが、一試合イエロー2枚、もしくはレッドカードで一発退場の場合は……次の試合出場停止。

 つまり、中島さんがプレーで気持ちを晴らすには……決勝へ行くしかない。おそらく、立木さんも同様の心境だろう。


「中島が退場したときは『俺が支える』なんて考えてたんだけどなー。無様なもんだよ」

「そんなことは……。あれは事故ですし」


 俺の言葉にも反応は見せず、立木さんは雨で真っ白な窓から視線を外さない。


「大峰。最高の選手って、どんなヤツだと思う?」


 視線は変わらず窓の外。俺の方は見ずに、立木さんがそうつぶやく。


「最高の選手、ですか……そうですね……」


 突然の質問に即答は出来なかった。頭の中で理想の選手像を思い浮かべる。

 技術がある選手。

 統率力がある選手。

 なにより、数字として結果を残している選手。

 陳腐な俺の頭ではこのくらいしか思い浮かばなかった。


「俺が小学生の頃な、ある選手に同じ質問されたんだよ」

「へぇ、プロの選手ですか?」

「いんや。そんときは確かプロじゃなかった。その後もプロになったかは知んねーけど」

「有名な方、ですか?」

「多分有名でもないんじゃねーかな。名前も知らないしな。俺もプレーを一回見たことがあるだけだし」


 小学生のときとは言え、立木さんが一回プレーを見ただけで印象に残っているなんて、相当な選手だったんだろう。


「その人がな、言うんだよ。『てっぺんに昇るキングってーのはなぁ、ひとりで支えて、ひとりでひっくり返せるヤツなんだよー!』って。くそ真面目な顔して。小学生に向かってだぜー? 当時はぽかーんってしちまったわ」


 当時を思い出したのか、立木さんが笑いを零す。


「今思えば……的を射た言葉だよ。俺もお前もまだまだだな。なー、大峰」

「……そうですね」


 立木さんに関しては、ほとんどその領域に足を踏み入れているような気もするけど……俺に関しては、ホントまだまだ。気付けば、頭の中で今日の反省を並べていた俺を、立木さんがじっと見つめていた。


 不意に、立木さんが笑う。


「ホント、楽しみは増える一方だなー」






 8月4日、土曜日、12時キックオフ。

 マンチェスター、ドリームトラフォード。

 ロンドンオリンピック、決勝トーナメント、初戦。準々決勝。

 日本 V.S. オーストラリア。

 3―2。

 日本、勝利。



 得点。

 前半23分、日本、大峰裕貴、FK。

 前半25分、日本、立木恭介。

 前半34分、オーストラリア、サミュエル・ブラウン、FK

 後半12分、オーストラリア、ジャック・ウィルソン。

 後半37分、日本、沢田大樹。






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