準々決勝、オーストラリア 7
後半10分。
雨脚は勢いを強める。
天候とリンクしているかのように、オーストラリアも活発な動きを見せた。
前線でボールを受け取った南さんがボールを戻し、続けて沢田さんがボランチのポジションにいる俺へパスを送る。すかさずオーストラリアの大型FW、ウィルソンが俺に詰めてきた。比較的余裕を持ってボールをコントロールし、右サイドの三宅さんへボールをはたく。
オーストラリアは前半に比べて、積極的なプレスを仕掛けてきた。
数的不利に陥っている日本は、単純なボール回しでさえ全く気が抜けない。罠に掛からないよう、周りをよく観察してスペースを探す。
「大峰! 積極的に動いて行こう! 福井! #7の飛び出しに注意してくれ!」
「はいっ!」
「あいよー」
伊藤さんに代わって後半から出場している佐野さんが、大きなアクションを伴った指示を出す。
佐野さんはプレーに関して突出した特徴があるわけではないが、全員の動きを細やかに観察して、的確な指示を後ろから飛ばしてくれる。今のようにシステムを変更したばかりの日本にとって、統率力というのはとても重要なファクター。精神的な支柱だった立木さん。ディフェンス陣のカギだった伊藤さん、最後の要だった中島さんがいない今、佐野さんの存在はとても大きく、頼もしい。
現在日本は右サイドを中心にしてパスを繋ぎ、オーストラリアの陣形を崩そうと模索している。右サイドの三宅さん、沢田さんが積極的にボール運びに参加し、俺と後半から出場している桑原さんが補助に入る。
細かいパスでの連携、三宅さんの飛び出し等でオーストラリアのハイプレスをかいくぐり、桑原さんのパスで南さんへ……といきたいところだが、なかなか思うように展開できない。おそらく原因は……俺。
本来、ボランチとしての俺は、ゲームメイクを得意とするプレースタイルではない。
パスヴィアの場合は、ジロー。
オリンピック代表の場合は、立木さん。
ふたりが自由気ままに動く俺を上手く使い、意表を突く動きで相手を翻弄するのが、俺にとっての理想形。オリンピックではFWを務めてきたが、どっしり構える伊藤さんとアイディア豊富な立木さん、それにスピード型の俺は相性が非常によく、この形で何度もいい形を作ってきた。今の場合であれば、桑原さんの切れ味鋭いパスへ走り込んでチャンスを作りたいところ。
だが、ひとり少ないこの状況。
ワンボランチの俺が前線へ飛び出すわけにもいかず、桑原さんと一緒にボール運びをせざるを得ない。俺はパスを多用しての連携が特に不得手というわけではないが、世界の選手たちを対象にすると、どうしても見劣りしてしまう。
おそらく、日本のメンバーは気付いている。
俺のプレーがぎこちないことに。
いち早く気付いた佐野さんから声をかけられたが……どうしても迷ってしまう。
このシチュエーションなら、俺が本来の動きをしにくいことは黒田監督も当然分かっていると思うが……。
なぜ俺をワンボランチで使ったんだろう……。
「大峰ぇ! ブラウンにつけ!」
良く通る、低い奥村さんの声がピッチに響く。
右サイドでボールを回していた日本だったが、結局決定打に欠け、オーストラリアのプレスに捕まってしまう。すぐさま日本陣営に攻め込んできたオーストラリアが、オーストラリアの#10にパスを送る。パスを受け取ったのは……
英雄ブラウン。
センターサークルやや日本陣内寄り。ボールを受け取ったブラウンの眼前に素早く回り込み、相対する。彫りの深い、ハリウッドスターのような凛々しい相貌に良く映える、引き締まった体、ゴツゴツの筋肉。黄色のユニフォームは胸元が大きく盛り上がり、サッカー選手にとって重要な足回りだけでなく、全身からパワーがみなぎっている。
目線、足下でのボールさばき、手を使った相手選手との距離の取り方。
全ての動作に全くの無駄を感じず、隙がない。
ブラウンはボールを保持したまま俺の方へとドリブルで近づく。
中央突破を一番に警戒し、俺はブラウンと一定の距離を置き、体を半身にして後ろへ後退する。
日本は前半よりやや引いた陣形を整えており、ブラウンから容易に崩される穴は無いが――いや、こればかりは分からない。俺では考えつかないような展開を描いている可能性もある。考え得るパターンを予想して、ブラウンの動きに備える。
やや緩やかなスピードでドリブルをしてきたブラウンが、一瞬左に視線を振った。つられて左を向いた俺の視界に、福井さん。そのやや後方から、オーストラリア#3がオーバーラップしてきている。福井さんももちろんその存在には気付いているが、それでもここをゴリ押ししてくるきだろうかと思った――瞬間。
ブラウンが、俺の隣にドリブルで並びかかっていた。現在ピッチ上の芝は雨水を多く含み、ドリブルがしにくい環境になりつつある。それでもブラウンには影響がない。全く淀みがない。
――速い!
俺とブラウンの距離は3m以上の間を空けていた。一瞬で詰めるにはスピードが速すぎる。……いや、一瞬じゃない。俺がつられて目線を左に流したとき。そこからすぐに俺へ向けてドリブルをしていたのか。
超一流選手の、何気ない目線でのフェイント。
立木さんに通ずるものがある。これが世界の……力。
日本ゴールに向かって俺とブラウンが並走する。
肩をぶつけただけじゃ止まらない。やや強引に腕を入れても止まらない。足を出しても躱される。
――まずい! もっていかれる!
現在中央左寄りをドリブルで突き進まれているが、このまま切り込ませると非常に危ない。中央最前線には……ウィルソンが構えている。
このシチュエーションは……ミーティングで話題になっていたもの。すなわち、強引にブラウンが崩してからの、ウィルソンへの繋ぎ。予想される中で最も危険なパターン。
――行かせるわけにはいかない!
日本の最終ラインは4人が横に並んでゾーンを形成している。左にいるウィルソン。その前に佐野さん。さらに右に奥村さん。このまま俺が突破を許せば、中央の狭い地域で2対2の状況になる。
ここは……ファール覚悟でも強引に止めないと。
まだペナルティエリア前。
レフェリーの裁定にやや不安はあるが、この状況で手を使わず、足を使わずならカードはないだろう。考えている時間はない。
シュートを狙っているであろうブラウンが、ややスピードを緩めた。
――ここだ!
左足でのシュートモーションへ、もしくはフェイントへ繋げようとしているブラウンへ右側からありったけの力を込め――
「馬鹿野郎!」
タックルを――
「待て! そのまま付いてろ!」
――えっ?
明滅する視界。
音を拾わない鼓膜。
右腕に感じた衝撃。右頬が芝の上に溜まった水に、濡れる感触。……芝?
気付いたときには、俺は芝の上を転がっていた。
『……ワァァ』
歓声が遠くから、薄く聞こえる。
寝転んだ姿勢のまま視線を前に向けると、ウィルソンがボールを持ち、奥村さんと並んでゴールへ突き進み、シュートをするところが見えた。
GKの森さんがスライディングする、その横を――
余裕を持ってボールがすり抜けた。ネットが揺れる。
『ワァァァァァァ!』
ようやく上体を起こした俺の耳に、大きな歓声が飛び込んで来た。
ウィルソンが勢い良くブラウンと抱き合う光景が目に飛び込む。
……決められ、た?
状況がよくわからない。
俺はなんで……芝の上に?
「……バカ野郎ぉ。真っ向からぶつかってどうするよ」
奥村さんに右腕を掴まれ、勢い良く引っ張り上げられた。
「しょうがない。切り替えよう。大峰、怪我はないか?」
後ろから佐野さんが俺の左肩を叩く。
「ちょっと中島の退場を意識し過ぎたみたいだな」
……そうか。ぶっ飛ばされたのか……俺。
確かに中島さんの退場を意識した。ふたり退場なんてふざけた事態にならないように、手も足も使わず……。
――なにやってんだ俺はっ! 普通のタックルで崩せるなら苦労しないだろうが!
「……まぁいい。てめぇのその根性だけ買ってやるわ」
奥村さんが険しい顔で腕を組み、俺を睨む。
……本当に、なにやってんだ、俺は……。
立木さんのように上手くゲームメイクは出来ず。
伊藤さんのようにブラウンを抑え込むことも出来ず。
中島さんのようなパワーも無いクセに、真正面から勝負を挑んだり。
脳内で大反省会をしていた俺に奥村さんが並び、右手で俺の頭を掴む。
「監督がなんつってたか覚えてるか? てめぇはてめぇなんだよ。大峰ぇ」
顔をベンチに向けられ、固定される。
同点に追いつかれた責任を感じ、申し訳ない気持ちで目線をベンチの中に向けると、黒田監督がちょうどこちらを見ていた。ベンチの外まで出てきていて、スーツはびしょ濡れ。声をあげることもなく、黙って腕を組んでいた。
「奥村。いいこと言うじゃないか。その通りだぞ、大峰」
「あぁ? オッサ……野さん何言ってんの?」
「……そこまで言ったならもうオッサンで通せよ……」
奥村さんが視線を彷徨わせ、佐野さんが苦笑い。
呆然とする俺の横を、オーストラリアの選手がボールを手に持って走って行く。濡れた芝からばしゃばしゃと勢いよく水しぶきが跳ね上がった。この勢いを止めたくないというオーストラリアの意思と重なる。
日本選手もそれぞれ位置につき、リスタートに備えていたが、沢田さんがひとり最終ライン付近まで戻ってきた。
沢田さんは俺の目の前まで来ると、センターサークルの方へ一度目線を送り、時間を気にしながら、
「大峰、俺の目を見ろ」
俺の両肩を正面から掴み、じっと俺の目を覗き込む。
沢田さんが何をしたいのか掴めない俺は、やや困惑したまま言われる通り沢田さんの真剣な目を見据える。
3秒ほど経って、ようやく沢田さんの意図に気付いた。
斉藤さんのアドバイス。
「落ち着いたか?」
にこりと笑う沢田さん。
俺の横で見ていた佐野さんが朗らかに笑い、奥村さんが鼻を鳴らす。
沢田さんがサイドライン側に設置された時計を一瞥し、俺にこう告げた。
「あと30分で、同点。ひとり少ない状況か。こりゃヤバいな」
沢田さんでさえ危機感を持つ場面。それを作ってしまった俺は責任を感じてやや俯く――が。
「っしゃーぁぁ! 燃えてきたぁぁぁぁ!」
突然空に向かって咆哮を上げる沢田さん。
普段の沢田さんからは考えられない行動。
「おらっ! 大峰っ! 残り時間ガンガン行くぞっ! やべー、マジ燃えるわこういうシチュエーション」
どうやら「ヤバい」のニュアンスが俺と沢田さんでは違ったらしい。
「今までの試合ではピンチらしいピンチも無かったからな。逆境に強い沢田の鬱憤も溜まってたのかもしれない。あんまり見たことないだろ? 案外沢田は熱い男なんだぞ」
目を爛々と輝かせながらポジションにつく沢田さん。それを佐野さんが遠目で見送る。
リスタートに備え、佐野さんの前に移動した俺に、後ろから声が掛かった。
「さぁ行こう。お前の舞台はまだまだ今からだぞ」




