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準々決勝、オーストラリア 6

「大峰君! 左! #7!」

「はいっ!」


 伊藤さんの指示に反応した俺は、猛烈なスピードで日本陣内を切り裂くオーストラリア#7の横を並走し、ブラウンから放たれた鋭いスルーパスへ走り込む。幸いスプリントには俺に分があったようで、#7より先にボールへ追いついた俺は、滑り込んでボールをサイドライン外へと弾き出した。

 オーストラリアの選手が素早くボールボーイから替えのボールを受け取り、スローインの構えを見せる。だが、オーストラリアの他の選手たちはまだスローインをする左サイドへは集まっておらず、短く舌打ちした#7がボールを一旦胸元へ下げた。

 これを見た俺は後ろの状況を確認し、マークすべき選手と埋めるべきスペースの再確認を行う。


 予想通り、オーストラリアの猛攻が日本を襲っていた。


 やはり長身で屈強な中島さんがピッチを去ったことの影響は、甚大だった。

 数的不利に立たされた日本は、思うような動きが出来ない。


 おそらく……伊藤さんへ課せられた枷の影響。


 前半最初に上手く機能していた全員攻撃、全員守備は伊藤さんが自由に動けてこそ、というもの。伊藤さんが自由に動ける背景には、必ずと言っていいほど手厚いバックアップの存在があった。これが、中島さんが退場した影響で大きく崩れてしまった。


 最たるもの、そのひとつが……伊藤さんが得意な「連携したプレスからのパスカット」。


 前線、中盤から激しいプレスをかけ、相手選手たちのパスコースを限定させ、伊藤さんの戦術眼でそのコースを読み、ボールをカットする、というもの。

 序盤に伊藤さんはこれを使ってオーストラリアの攻撃の芽を多く摘み取ったが、今はなかなかその場面を作ることが難しい。

 このプレーは、全員の連動性が大きくカギを握る。

 だが、今の日本は前線に南さんがひとりだけしかいない。激しい運動量を誇る南さんでも、さすがにフィールド全般をケアすることは出来ない。前線からのプレスが薄くなった影響で、オーストラリアに逃げ道を多く与えてしまっている。

 加えて、一連の行動には「もしボールをカット出来なくても後ろがしっかりしている」という前提が必要になる。奥村さんという、しっかりとした大黒柱が日本の最終ラインを守っているが、オーストラリアのFWはふたり。その片方、ウィルソンだけに集中するわけにはいかない。誰かがフォローへ入る必要がある。


 伊藤さんに今まで通りの仕事をしてもらうためには、俺がその役割――ある種、CBと同等の仕事――を受け持つ必要があるが……悔しいことに、俺ではその役目は果たせない。CBもこなすことが出来る伊藤さんだからできること。俺に出来るのは、体力とスピードを生かしてピッチを走り回る、ただそれだけ。実際、パスヴィアでも三上さんに統率されたDF陣の援護がないと、俺はボランチの役目を満足に果たすことは出来ないだろう。


 実戦経験。

 変化して行くピッチ上の状況へ柔軟に対応する、応用力。


 自覚していた俺の弱点が露呈した結果。この劣勢を、どうしてもこう評してしまう。


「大峰君。今のままで十分だよ。難しく考えちゃいけない」

「……伊藤さん」


 まるで心の中を見透かしたかのように。

 背後からかけられた伊藤さんの声が、俺をゆっくりと落ち着かせる。


 ……この人はどうしていつも俺の思考、その先を行くんだろう。


 いや、伊藤さんの言う通りだ。難しく考えちゃだめだ。


 スローインを入れようとしているオーストラリアの選手をもう一度意識して視界に入れ、俺は気持ちを無理矢理ピッチ上に固定した。



* * *



『今井さん、前半ももうすぐ終了しますが……意外な展開になってきましたね』

『そうですね。序盤の攻勢がウソのようですね。それだけ中島の存在というのは日本チームにとって大きなものだったんでしょう』


『大峰のFK、立木の豪快なシュートで2点を取った日本でしたが、ブラウンのFKで1点を返され、なおオーストラリアの猛攻に耐えているという状況です』

『確かにひとり少ない状況というのは苦しいですが、今のところなんとか凌いでいます。特に立木と伊藤が上手く立ち回っていますね。このふたりがいればなんとかなりそうだ、という気持ちもあります』


『ただ、その伊藤……『The first half prince』が今日は後半も継続して出場するのか。結局、伊藤が前半しか出場しないのは謎に包まれたままですね』

『そうですね。こればっかりはどうなるかわかりませんが、立木の強力なキャプテンシーがあれば……おっと、その立木が倒されましたね。今のはちょっと危険なスライディングでしたよ』


『レフェリーがすかさずオーストラリアの選手へ近づき……あー、イエローですね。オーストラリアの#5にイエローカードが提示されました』

『これは当然でしょう。背後からの非常に危ない行為です。これに比べれば先程の中島のケースは……いや、言ってもしょうがないですね』


『立木が立ち上がりませんね……あっと、日本ベンチからスタッフが立木のもとへ駆けつけます。これはどうしたんでしょうか』

『怪我でなければ良いのですが……』


『……ああ! レフェリーが手を振っています! タンカがピッチに運ばれ……立木が乗せられています! どうやら負傷した模様です!』

『これは非常にマズいですよ……』



* * *



 前半を終え、ロッカールームへ引き返した日本をひとつの感情が大きく包んでいた。


 不安。


 もちろん誰も口にはしないが、間違いなく全員が感じている。


 中島さんの退場。

 立木さんの負傷退場。交代。

 そして……


「黒田監督! 後半も僕を出して下さい!」


 伊藤さんが大声をあげて黒田監督へ詰め寄る。だが黒田監督は頑として首を縦に振らない。


「前半何回ゾーンへ入った? ウソはつくなよ」

「……3回です」

「後半の45分間を1回に抑えることは出来るのか?」

「それは……断言はできませんが……」


 伊藤さんの勢いが目に見えて弱くなる。下を向いた伊藤さんの肩に黒田監督が手をかける。


「じゃあ今交代してシステムを整えるほうが先決だろう。博打を打つタイミングではないと思うが?」

「…………」


 伊藤さんを冷静に諭し、黒田監督がホワイトボードの前にゆっくりと進む。全員を一望し、落ち着いた表情で話し出す。


「後半はシステムを変えるぞ」


 サッカーコートが黒い線で描かれたホワイトボード、その上にポジション名が書かれた磁石を手に取り、パチパチと音を立てて黒田監督が貼付ける。


「4―1―3―1。後半はこれで行く」


 4バック、ワンボランチ。これ自体はスタートと同じ布陣だが……問題はふたりいるCB。ひとりは間違いなく奥村さんだろうけど、もうひとりは……


「伊藤に替えて佐野を入れる。佐野、CBもやれるな?」


 入口近くのベンチに座っていた佐野さんが名前を呼ばれ、少しだけ困惑した表情を浮かべる。


「確かにJリーグではCBをすることもありますから、問題はないですが……その……」


 佐野さんが戸惑うのもわかる気がする。

 途中交代の可能性が高い伊藤さんを先に交代させる、というのはまだ理屈が分かる。

 ある意味、万全の状態の日本は伊藤さんを中心にしてシステムが成り立っていた。ひとり少ないこの状況なら、なおさら伊藤さんという核が無くても成り立つようにシステムを組み、しっかりと浸透させて馴染ませる必要がある。

 問題は交代して出場する選手。

 登録メンバーにはCBで登録されている選手がいる。今海さん。彼をなぜ使わないのか、なぜあえて佐野さんを使おうとしているのかが、俺には良く分からない。

 ロッカールームを沈黙が支配する。

 黒田監督が口を開こうとした、そのとき。意外な人物が先に言葉を発した。


「佐野さん。この場面は俺じゃなく、佐野さんが行くべきだ」

「……今海」


 当事者である今海さんが、真剣な表情で佐野さんを見つめる。


「理由は佐野さんにも……分かるでしょう?」

「…………」


 目線を今海さんから外し、佐野さんが下を向く。やや間をあけて顔を上げた佐野さんの顔に、もはや迷いはなかった。


「監督。精一杯の仕事をさせて頂きます」


 佐野さんの言葉を受けた黒田監督が表情をわずかに緩め、ひとつ頷く。


「ボランチは大峰。佐野と奥村の指示に従え。ひとつ言うとすれば……そうだな、お前はお前、ってところか」

「え? ……あっ、はいっ!」


 黒田監督が俺へ向けた言葉の真意を読み取れず、若干うわずった声で返答してしまった。どうやら黒田監督はこれ以上俺に詳細なアドバイスをするつもりはないらしく、ホワイトボードに向き直る。貼付けられたひとつのマグネット――トップ下、つまり立木さんが務めていたポジション――を指差し、顔だけ俺たちの方へ向けて一言。


「桑原。お前がゲームを作れ。やり方は任せる。ひとり少ないからって後手後手にまわるなよ」

「了解です」

「南。お前もいつも通りでいい。無理にディフェンスを意識し過ぎるな」

「わかっとうって、先生!」


 黒田監督の指示に桑原さんが静かに首肯し、南さんが大きな、自信に満ちた返答を返す。「うむ」と小さく返した黒田監督が、揺るぎない態度でこうミーティングを締めた。


「この状況を絶体絶命とでも思っているヤツはいるか? 確かに状況は不利だが、ここを乗り切れば……俺たちはもう一歩先へ行ける。そして無理にでも先へ進まなければ勝ち進めないのが国際マッチの常だ。いいな、ここからは総力戦だ。中島、伊藤、立木がいない状態であがけ。あがいて自ら道を作れ」


 黒田監督のある意味演説ともとれる言葉を、ミーティングルームにいる選手全員が静かに迎え入れた。自分がすべき仕事と目指すべき目標が明確になったことで、不思議と不安な気持ちは薄れていった。

 通常、状況を好転させたい場合や劣勢を挽回する場合は、ブリーフィング(簡単な状況説明)を行った後、綿密な戦略的指示を与える監督やコーチが多い。実際俺が所属したレディアFC、パスヴィアユース、現在所属しているパスヴィアのトップチームでさえ同じような指示を受けている。

 ところが、黒田監督はどちらかと言えば抽象的な言葉のみを選び、具体的な戦術については一切触れていない。フォーメーションの変更ついて話しただけで、理由に関しては一切説明していない。


 黒田監督の言葉を脳内で反芻し、その裏に含まれるメッセージについて思いを馳せていたところで、唐突にロッカールームのドアが開いた。

 顔を覗かせたのは……


「立木さん!」


 俺の声が、比較的広いドリームトラフォードのロッカールームへ響く。真っ先に立木さんへ気付いた俺に続き、全員の目が入口のドアへ向けられる。比較的元気そうな立木さんの顔を見てほっとしたのもつかの間、ぎこちない動きでドアをくぐった立木さんの姿を見て、全員が絶句した。


 右足に、包帯でぐるぐる巻きにされた、分厚いアイシング。

 そして、大きな車椅子。


「立木さん。その……大丈夫なんですか?」


 まさか車椅子で来るとは思っていなかった俺は少々動揺してしまい、配慮の欠片もない問いを立木さんへ放ってしまう。

 俺の問いを受けた立木さんは普段通りに白い歯を覗かせ、右手を大仰に振って答える。


「だーいじょーぶだよ。オッサンが大げさ過ぎんのよ」


 後ろに立つチームドクターを左手の親指で差し、「このオッサンが」と付け加える。


「骨にも腱にも異常はないと思う。ただ、念のため今から病院で精密な検査をしてくる」


 オッサン呼ばわりされた――おそらく立木さんと同年代の――チームドクターがやや憮然な表情を見せながら、俺の問いに答えた。大事に至っていないというチームドクターの一言に安堵し、俺は大きくため息をつく。

 なんせ、芝の上に倒れた立木さんは、今まで見せたことがない苦悶の表情を浮かべ、全く立ち上がることが出来なかった。もしかしたら選手生命にかかわるような大きな怪我を……と思ってしまったのは俺だけじゃないはずだ。


「んじゃーちょっくらイギリスのナースをナンパしてくるわ。お前ら、試合終わってホテルに帰ってきても俺の部屋には来るなよー。ナースコスプレ堪能してっから」


 そう言って選手たちを一望した立木さんは、チームドクターに車椅子を引かれ、ロッカールームを後にした。

 いつもの調子で。

 いつもの軽口で。

 いつものイケメンな笑顔で。

 

「大峰。負けられない理由がひとつ増えたな」

「はい」


 俺の隣に立っていた佐野さんが、目線をドアに固定したまま、俺にそっと話しかけた。


 悔しくないわけがない。

 いくら立木さんが日本のサッカー界を背負う大選手であろうと、この状況、この場面でピッチを後にしないといけないことに何も思わないはずがない。無理していつもの調子を演じていたのは、誰の目にも明らかだった。


「中島もスタジアムのどこかで、やるせない思いを秘めながら俺たちのプレーを見ていることだろう」


 退場を宣告された場合、ベンチにて試合を見守ることすら許されない。中島さんはロッカールームには戻ってきていなかったので、スタジアムのどこかで試合の様子を見守っていることだろう。

 ふとロッカールームの奥に目がいく。

 伊藤さんがDF陣へ向けて、身振り手振りを交えて必死になにかを説明していた。いつもは伊藤さんの行動につっかかる奥村さんも、今は真剣な表情で伊藤さんの話に聞き入っている。


「伊藤さんも……そうっすよね」


 ピッチ上から強制的に排された、中島さん。

 予期せぬ事故から交代せざるを得なかった、立木さん。

 ゾーンの制御に苦しみ、緊迫した状況での交代を余儀無くされた、伊藤さん。

  

 俺に出来ることは少ないが……やることはハッキリしている。


 勝って、次につなげる。


「佐野さん。勝ちましょう」

「ああ。負けてたまるか」


 右拳を軽く合わせる。


 後半開始の時間より早めにピッチ上へと戻ってきた俺を、ムシムシとした湿気とやや冷たい風が出迎え、しっとりと肌を撫でた。


 ――本降り、か。


 今やピッチ上は空から絶え間なく降り注ぐ雨にて覆われていた。観客席の最前列は、色とりどりのレインコートを羽織っている人たちの姿が目に付く。

 俺はベンチ内へと一旦避難し、右手に持っていた雨天用のスパイクをケースから取り出す。雨でひんやりと冷たくなったシートに浅く腰をかけ、スパイクを履き替えながら……もう一度ピッチへ目を向ける。

 多くの感情は表に現れなかった。

 ただひとつ、揺るぎないものが、ひとつだけ。


 負けられない。

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