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準々決勝、オーストラリア 5

 レフェリーが険しい表情で中島さんへカードを提示して以来、ピッチ上には大きな温度差が発生していた。


 青いユニフォームに身を包んだ者は燃え上がる。

 ピッチ上の最高権力者から退場を直接命じられた中島さんを筆頭に、自陣へ引き返してきた日本チームのメンバーが大声を出しながらレフェリーへ詰め寄っていた。判定に納得がいかないほとんどの日本メンバーがヒートアップしている。特にGKの森さんが激しく抗議をしていた。今日のレフェリーはイタリア人らしいが、森さんが放つ片言の英語も十分に理解しているだろう。わかった上で首を大きく横に振り、厳然とした態度を貫く。

 日本ベンチは大騒ぎ。

 黒田監督はピッチに向けて、小野田コーチはベンチ内の選手たちに向けて、大きなジェスチャーと声を出して指示を放つ。慌ててベンチメンバーたちがベンチ外に出てウォームアップを始めていた。


 一方、黄色のユニフォームを着た者は落ち着き払う。

 歓喜の表情で日本陣内へとなだれ込んでいたが、全員からこのチャンスを冷静にものにしようという意思が感じられた。

 ペナルティエリア直前では、ファールを貰った功労者のウィルソンを囲み、よくやったと功績を労っている。当本人のウィルソンはレフェリーが赤いカードを提示したあたりで立ち上がり、周りの様子を窺っていた。表面上は喜んでいるようにも見えるが……どこか困惑ともとれる表情をしている。

 

 スタジアムは、当然揺れる。

 喜び、怒り、驚き。

 たくさんの感情が渦巻いていた。観客席から聞こえる声はぐちゃぐちゃにかき混ぜられ、混沌とした様相を表している。

 かくいう俺はあまりの驚きに感情をヒートアップさせることも出来ず、遠巻きに事態を傍観していた。

 

 ――今のが……レッド?


 どう考えてもおかしい。

 確かに今日のレフェリーはよくファールを取るタイプ。手を使って体を掴んだり、やや後ろ方向からのタックルには問答無用でファールを取っていたし、純粋に当たり負けした場合にでもファールを取るほどだった。だが、中島さんは手を全く使っていなかった。危険なスライディング等もしていない。今の、抜ければゴールという状況をファールと捉えられるのは、ある意味仕方ないところがあるかもしれない……が、いくらなんでもこれは……


「……ね君! 大峰君!」


 脳内に先程の中島さんとウィルソンがリプレイされていたところで――伊藤さんの声と、乱暴に右腕を掴まれた感覚が俺を現実に引き戻す。


「……伊藤さん」

「終わったことをいくら考えても答えは出ないよ! 今から出来ることを考えよう!」


 普段の穏やかな伊藤さんからあまりにもかけ離れた表情。鬼気迫る眼差しで俺を真っ直ぐに捉える。


 ……そうだ。俺が混乱している場合じゃない。


 どんな理不尽と思える裁定をレフェリーから与えられたとしても、俺たち選手は従うことしか出来ない。ここであれこれ考え、レフェリーに抗議したところで……ほぼ間違いなく判定は覆らない。なら、こんな無意味なことを考えている場合じゃない。


 ……わかっていたはずなのに、こんな当たり前のこと。いつもなら冷静さを失う事無くプレーしているのに。俺も知らず識らずオリンピックの舞台に舞い上がってしまっていたのか。


「……すいません。もう大丈夫です」


 俺の言葉を受け、伊藤さんが満足そうにひとつ頷き、そっと掴んでいた俺の右腕を離す。


「今、沢田さんたちに時間を稼いでもらってる。奥村さんと立木さんが監督からの指示を受けてるから、それに従って冷静に対処しよう」


 気がつけば喧騒から離れ、奥村さんと立木さんがベンチ前で黒田監督の指示を仰いでいた。感情的になってレフェリーに詰め寄っているように見えた日本選手たちも、少ない時間を使ってきちんと自分の役割を果たしている。……そんなときに俺は……。

 伊藤さんはゴール前へ戻ってきた奥村さんの方へと駆け寄って行った。一言二言言葉を交わし、そのまま近くの選手たちに指示を伝えている。


 ここで、レフェリーに促された中島さんがサイドラインへと歩いていく。

 顔を下に向け、失意の表情で。

 ひときわ大きなはずの中島さんの背中が、今ばかりはすごく小さく感じてしまう。中島さんはピッチを出ると、後ろを一度も振り返らず、そのままプレイヤートンネルの方へと消えていった。

 

 ――中島さんのことも心配だけど……気持ちを切り替えよう。


 一度大きく深呼吸し、首を大きく横に振る。

 2点リードしているとはいえ、まだ前半の35分。これから50分以上、日本はひとり少ない人数でオーストラリアと戦わないといけない。ただでさえ切迫している状況なのに、俺が足手まといになるわけにはいかない。

 いつも以上に頭をフル回転しないと。舵を取る立木さんの助けにならないと。

 ここで監督から指示を仰いでいた立木さんが俺のもとへと近づく。


「大峰。ボランチに下がれ。イギリスに来てからボランチでのフォーメーションチェックはやってないが……いけるな?」

「はい。大丈夫です」

「伊藤はDF陣へのカバーを重視させる。お前がバイタルを支配しろ。イメージは沖縄合宿の紅白戦。あの時のダブルボランチを意識しろ」

「はい」


 オーストラリアのFKに備えて壁を作るため、立木さんと並んでペナルティエリアの中へと足を進める。森さんの指示で選手たちが横一列に並び、壁は大方形を作っていた。そこに俺と立木さんも加わる。


 ボランチ。

 オリンピック本戦には初戦から全て出場しているが、ボランチの役割を与えられるのはこれが初めて。とは言え、パスヴィアでは今でもボランチで出場している。大丈夫、できる。

 まずはこの窮地を何としても凌ぐ。


 気持ちを切り替え、ボールをセットしているオーストラリアMF、ブラウンへと視線を向ける。

 これまでのオーストラリアはFKを必ず英雄ブラウンが蹴っていた。グループリーグでもFKで鮮やかな得点を決めている。そのときは確か……右隅へ緩やかなカーブをかけていた。

 おそらく、トリッキーなプレーはしてこない。

 イタリアリーグでのブラウンのプレーを見ていても、それは容易にわかる。彼は自分のプレーに相当な自信、言い換えれば強固なプライドを持って試合に臨んでいる。キッカーの位置にブラウンしかいないところを見ても、それは明らかだろう。かく乱するつもりなどない、真っ向勝負でねじ伏せる。そういうことだろうか。


 ペナルティエリア内部に作られた日本の壁が、レフェリーの指示で後退する。少しでも有利な場所に壁を置こうと、レフェリーから注意をされない程度にじわじわと前進し、わずかな抵抗をしていた。俺は壁の左隅から選手たちそれぞれのポジショニングをチェックする。

 

 FK自体は確かに危険だが、位置は微妙に悪い。

 今回のFKはほぼ正面、ペナルティエリア直前。


 なんと言っても、ゴールに近過ぎる。

 特にブラウンのような大きくカーブをかけることが得意な選手にとっては、ある程度距離がないと難しいものがある。距離があれば多少余裕を持ってボールを高く上げても、カーブをかけて『巻いて』ゴールすることは可能。だが、この位置だと巻ききる前にゴールへたどり着いてしまう。かといって、低いボールを入れてしまうと壁に当たってしまう。ブラウンはどの選択肢を選ぶのか……。


 ――いや、あれこれ考えても仕方ない。


 ブラウンのFKを防ぐ。

 おそらく、ブラウンは壁ギリギリの高さを狙ってくるだろう。なら俺は精一杯飛んでボールに当たる。これが今俺が出来る全て。

 加えて、ブラウンは右利き。

 この状況なら得意な左のコース(ブラウンから見て、右側)を狙ってくる可能性は高い。端にいる俺は180cmとそれほど大きくはないが、森さんの指示で最も背が高い南さんを俺のひとつ内側、最も警戒しているコースへ配置している。


 日本は中島さんが退場して、システムの大掛かりな変更を余儀なくされていた。FWの南さんさえ壁に組み込んでいるから、カウンターはできない。とりあえずボールを大きくクリアして体勢を整えるべき。

 オーストラリアはDF陣のみセンターサークル付近に残り、他の選手たちは壁を取り囲むようにポジショニングしている。おそらくこぼれ球に詰める算段なんだろう。この体系ならやはりトリックプレーはない。


 レフェリーが日本の壁から離れ、口元へ笛を運ぶ。


 スタジアムの緊張感が一気に加速し、観客の声は次第に薄くなっていった。


 次いで、空気を切り裂くレフェリーの笛。


 これを受けたブラウンが、ゆっくりと助走を開始する。ピッチ上の全員が、さながら静止を強制された舞台の脇役。ならば、ブラウンひとりだけがあたかもスポットライトを浴びた主役のよう。この先のストーリーは、アドリブで劇を演じるブラウンにしかわからない。


 ゆったりした動作でブラウンが軸足の左足をボールのわきに差し入れた。


 このタイミングで日本の壁役を務める選手たちが一斉にジャンプ。


 次の瞬間には――ブラウンの右足がボールを捉え、ボールが地面を離れた。


 コースは日本側から見て――左。


 つまり――俺がいる方向へ。


 懸命にジャンプをした俺に、ボールが勢い良く向かってくる。


 ――当てる!


 予想通り、ブラウンは低い弾道で壁のギリギリ上を狙ってきた。このコースなら俺の頭でクリアできる。猛然と迫るボールを睨むように瞳を大きく見開く。反射的に目を閉じてしまいそうな恐怖へ必死に抗いながら。

 大きく目を開けたままの俺は――ある種畏怖とも言える感情に襲われた。ブラウンの人間離れした、正確なキックに。

 ボールが俺の頭のてっぺん、ふわりと揺れる髪の毛のみに触れ――上空を通過して行く。まさしくここしかない、という高さ。


 ――くそっ! 届かない!


 重力が俺の体を地面へ向けて引っ張るのに任せ、落下しながら体をひねり、自陣ゴールへと目を向けた。


 ボールは鋭く曲がりながら、ゴール左隅へと飛ぶ。


 森さんが抜群の反応でジャンプし、ボールへ手を伸ばしていた。この反応の早さは、おそらくコースを予想していたんだろう。森さんでなければ出来ない展開の先読みと、それに対応した反射的な行動。


 だが、ブラウンはその上をいった。


 森さんの手は――惜しくもボールへ届かない。ゴールバー(上方のバー)とサイドバー、丸みを帯びた2本の棒、その交点付近へとボールは飛んでいき……両辺へ均等にぶつかった。斜め45度の角度で下方へ弾かれる。俺が地面に着地したと同時に、ボールも地面と接触した。


 着地点は――ゴールの中。


 レフェリーのホイッスルと同時に、スタジアムが沸騰する。驚愕のFKを見せたブラウンへの感嘆と、試合が面白い展開へなってきたことへの感情が昂った叫び。ブラウンのFKに驚く気持ちは俺にもわかる。

 俺のジャンプの高さを正確に考慮した、ボールの高さ。

 例え森さんにコースを読まれたとしても、手が届かない速度。

 さらにそれらを完璧に実行した、技術。

 オーストラリア国民から英雄と呼ばれるだけのことはある。


 結局、全て読み通りなのに……決められてしまった。


 これで、2―1。

 まだ一点リードはしているが、ここから日本は10人で戦わなければならない。もはや日本チームの余裕は皆無に等しい。

 沈鬱な表情を浮かべる日本チームとは対象的に、オーストラリアチームが躍動している。オーストラリアのFWはすでにボールを手に取り、素早いリスタートをするためセンターマークへ走っていた。その表情を見るに、これからの展望へ希望の光が差し込んで来た、といったところだろうか。


 無意識に上空を見上げる。

 分厚い雲に覆われ、今や空からは一筋の光も差し込んでいない。

 まるで、この先の日本チームの『なにか』を、暗示しているかのように。

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