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準々決勝、オーストラリア 3

 GKが悔しそうに地面を叩く。

 壁役のDFが頭を抱える。

 ゴール裏の観客たちが両手を挙げる。


 途端に巻き起こった、大歓声。


 肌をビリビリと刺す、地鳴りのような大音量。


 ――よし!


 ボールがゴールの中に入ったことを確認した瞬間、俺の中の研ぎすまされた緊張がゆるみ、代わりに言いようのない達成感がこみ上げてくる。気付けば小さく右手を握っていた。

 

 壁の横でこぼれ球に備えていた沢田さんが真っ先に俺へ飛び込む。


「ナイスシュート!」


 背中に飛びついてきた沢田さんは、そのままの体勢で俺の頭をわしゃわしゃと撫で始めた。沢田さんに続き、ペナルティエリアの近くにいた選手たちがノドを涸らしながら輪に加わる。みんなに手厚い祝福を受け、たまらずFKを蹴ったその場に倒れ込んだ。


「大峰! 化けもんかお前は!」


 大勢の屈強な男たちに潰されている俺。現在視界に映るのは青々とした天然芝のみ。この野太い声は……中島さんかな。


「やるねー」

「文句なしですね」


 やや小さな、マイペース気味な声は間違いなく福井さんと三宅さん。


「やったね大峰君。僕の出番は全くなかったな」

「さすが大峰君。僕は安心して見てたよ」


 少し口調が似てるけど、声から察するに植田さんと……伊藤さんかな。


「おーみぃねぇ! やるやないや! キーパーがもうちょい前に弾いてくれとったら俺の得点やったっちゃけどなー!」


 聞き間違えようの無い博多弁。南さんも喜んでくれてなにより。最後の方にちょっと本音が出てしまってるけど。


 一通り祝福を受け終えた俺は、ゆっくりと立ち上がり、スタジアム全体を一望する。自陣ゴールへ目を向けると……GKの森さんが、早々に自陣へ引き返していた奥村さんの手を掴んで、こっちに大きく手を振っていた。遠くまで俺の気持ちが届くよう、精一杯手を振る。

 あまりゴール後に時間を使ってしまうとレフェリーに注意されてしまうが、まだボールはセンターマークへセットされていない。オーストラリアからも急いでリスタートしようという意思は見られない。ほんの少し感慨に浸るくらい許してくれるだろう。


 未だ熱狂が冷めないスタジアムにはニッポンコールの大合唱が鳴り響いていた。日本の国旗もそこらで振られ、観客席は日本一色。特に目立っているのが……


「OMIIINEEE!」

 

 ゴール裏の最前列にいる数人がすごい声を出している。明らかに欧米人の風貌をした5〜6人の男性たち。全員が日本国旗のフェイスペイントを入れ、白と赤――これもおそらく日の丸――のマントを羽織っている。一番驚いたのは俺の名前を叫んでいること。

 ドリームトラフォードは最前列の観客席とピッチの高低差がほとんどなく、観客との物理的な距離が近い。観客の気持ちがダイレクトに伝わってくる。


 ……ドリームトラフォードで観客が俺の名前を。

 これは、素直に嬉しい。


 無意識に右手を挙げ、気付けばゴール裏の観客へ向けて手を振っていた。


「――――!!」


 凄まじいリアクション。

 周りの観客の声と混じって何て言っているかは聞こえなかったが、表情を見るにどうやら喜んでくれたらしい。ありがとうの気持ちを込めて頭を小さく下げ、自陣へ引き返す。

 センターサークル直前。そこにいた立木さんが腰に手を当て、俺を待っていた。


「よくやった」

 

 短い、労いの言葉。

 続けて差し出された、右手の拳。


 いつもだったらもっとバカ騒ぎしてそうなものだけど、今日の立木さんは静かな凄みを携えている。

 いや。

 もしかしたら、俺は勘違いしていたのかもしれない。いつものチャラい雰囲気が地の性格だとばかり思っていたが、本来の立木さんは――


「よくやったって褒めてんだろーがよー! 素直に『ありがとうございます』って返せやボケ!」


 なかなか手を合わせようとしない俺に焦れた立木さん。勢いよく隣に回り込み、構えていた右手で俺の頭をヘッドロックした。

 これぞいつもの立木恭介。

 ただ――頭を抑える立木さんの力はいつもより優しい。


「とりあえず上手くいったなー。まーあの位置でFKもらった時点で半分は決まったようなもんだけどなー。ん? じゃあ俺のおかげか。大峰、点半分よこせ」

「ちょっと……無茶言わないでくださいよ」


 普段通りの軽口を叩く立木さん。ヘッドロックから解放された俺は、じっと立木さんを見つめる。

 結局、よくわからなかった。

 立木さんが試合開始直後から見せていた全力プレー、大胆な動き。本当に自分自身を目立たせるために行っていたのか。

 いつも通りの立木さんに戻ってしまったせいではっきりはしなかった。


 ただ――ひとつだけはっきりした。やっぱり……天才が考えることはよくわからない。


 ようやくボールがセンターサークルへ運ばれ、オーストラリアのリスタートから試合が再開されようとしていた。

 不意に視界へ入った日本ベンチを見ると、佐野さんと今海さんが未だに大声をあげて喜んでいた。ちょうどよくふたりがこちらを向いたので、右手で小さくガッツポーズ。驚きの表情でこちらを見やるふたり。少しのタイムラグを置いてふたりは再び叫び出したが、小野田コーチに襟首を掴まれ抑え込まれていた。


「頂きへ至る道、か」


 隣で立木さんが小さくつぶやく。意味を尋ねようとしたところで、レフェリーの笛が鳴った。オーストラリアボールからの試合再開。

 急いで気持ちを切り替え、左サイドへ回されたボールに向かって懸命に走る。



* * *



『さぁ、オーストラリアボールで試合が再開されました。いやー、今井さん。大峰の見事なFKでしたね』

『いわゆるブレ球というやつですね。あれだけ大きく変化すれば、キーパーからすれば手前でボールが消えたように感じたかもしれません』


『これで大峰はグループリーグから合わせて現在、4得点。FKからの得点は……あっ、これが初めてですね』

『ええ。加えて、無回転のシュートはJリーグでもほとんど見せたことがないように思います。弾丸のような豪快なシュートが大峰の特徴ですから』


『……えー、私の記憶だと……J2開幕戦に1本だけ無回転のFKを打っていますね。実戦でも1回しか試したことがないシュートを、オリンピックの舞台で見事に決める。今井さん、素晴らしい度胸ですね』

『ええ、ホントに。各国のサッカーファンも彼に注目をしているようですし、もっともっと活躍する大峰を期待したいですね』


『……おーっと! その大峰がパスを受け取って抜け出しました!』

『これは良い形ですよ! 後ろから絶妙の位置にフォローも来ています!』



* * *



 リスタートから僅か1分。たったのワンプレー。


 オーストラリアの選手たちが浮き足立ったのを日本は見逃さなかった。立木さんを中心に攻撃的なプレスを開始し、ボールを奪った。

 中盤でボールを回していたオーストラリアの選手たちは、さながら肉食獣に噛みつかれたように感じたかもしれない。

 左サイドにてボールを受け取ったオーストラリアのホルダーが僅かなトラップミス。そこを見逃さず、中央から立木さん、後方から福井さん、前方から植田さんの3人で瞬時に囲んだ。慌ててボールをはたいたオーストラリア選手だったが――そこに伊藤さんが待ち構えていた。

 

 そこまで確認し、センターサークル付近から全力で前を向いて走る俺のもとへ、足に吸い付くような繊細なパスが伊藤さんから送られた。

 ボールを受け取る直前にさっと周りを確認したところ、俺の左から南さん、右から沢田さんが走り込んでいた。


 対するオーストラリアは俺についているMFの選手を含め、4人。3人のDF陣は横1列に並び、今後の展開に対応しようとしていた。


 ――チャンス!


 試合開始直後から日本の猛攻に耐えていたオーストラリア。だが、先の失点でやや緊張が切れている。畳み込むには絶好の場面。ここは――外せない。


 体を強引に入れてくるオーストラリアMFを必死に抑え、一瞬の隙をついて――右にパス。

 沢田さんが勢いに乗ってドリブルを開始する。ペナルティエリアまでもう少しというところ。


 ここで、いきなり沢田さんが右足でのシュートモーションを見せた。


 眼前にいたDFが慌てて詰めてきたところを――華麗にフェイント。右足のアウトサイドを使って一気に抜き去る。ゴールポストやや右より。

 オーストラリア陣内を深く切り裂いた沢田さんのもとへ、カバーに入ったオーストラリアのCBが駆け寄る。これを見てGKがやや右に動く。


 おそらくGKは2つの展開を警戒している。

 ひとつは、このまま沢田さんがシュートを打つこと。

 もうひとつが、中にいる俺と南さんへのパス。

 

 沢田さんにはオーストラリアCBがシュートさせまいとやや強引に体を入れている。GKも絶妙なポジショニングをしている。角度も悪い。だが、沢田さんなら狙えなくはない。このようなチャンスなら、尚更強引にシュートする選択もあり。

 

 だが――かく乱するなら、ここだ!


 ゴール中央に向けて走っていた俺は、コースを右に変え、ニアサイドへと突っ込む。一瞬の緩急にマーカーはついて行けていない。マーカーの前は取れなかったが、この位置ならボールを受け取れる。


 ここで沢田さんがマイナス方向にグラウンダーのパス。


 ゴールライン直前からの角度がついたボール。まっすぐに俺へと転がってくる。


 ボールはカットされないが――シュートコースは……ほとんどない。

 おそらくこの展開を予想していたであろう俺のマーカーは、スライディングで完全にコースを消している。なによりGKの位置がいい。

 でもここは強引にでも――と考えていた俺に鋭い声が飛ぶ。


「スルー!」


 この声を受け、振り上げた右足を地面に着き、股の間を通してボールをスルー。


 声の主は――南さん。


 振り返って確認すると、ちょうど沢田さんと俺のライン上にポジショニングしていた南さんが、ボールに向かって走り込んでいた。南さんにもマークがついているが、俺よりもコースに余裕がある。


 南さんの右足が振り上げられ、マーカーが体を張ってボールを止めようとする。


 GKがポジショニングを変えるため中央へ走った――そのとき。


 南さんの足がボールを捉える。


 ただし、右足のアウトサイド。


 ボールは南さんの真横に転がる。一見ただのトラップミスにも感じる。南さんが何を狙ったのか俺にはわからなかった。


 この状況を真っ先に、正確に判断したのは……おそらくGK。恐怖とも取れる表情をしていた。


 ボールには――いつの間にか走り込んで来ていた立木さんが詰める。完全にフリー。


 そのまま立木さんは左足で豪快にシュートを放つ。コースはガラ空きの左。


 まさに弾丸のように放たれたシュートは――矢のようにゴールネットへ刺さった。


 結局、GKはその場から一歩も動けなかった。


「っしゃああああ!」


 立木さんが咆哮すると同時に、レフェリーの笛。続けて大観衆から放たれた、怒号のような叫び。


『ワァァァァァ!」


 立木さんは脇目も振らず、日本ベンチへ向かってひた走る。

 すぐさまベンチから飛び出してきたメンバー、コーチ、スタッフ陣へ向かって豪快にダイブ。真っ先に飛び出してきた佐野さんとがっちり抱き合っている。全員から頭を叩かれ、背中を叩かれ、もみくちゃにされている立木さんだが……今日1番の笑顔を見せていた。少し離れた位置にいる黒田監督からも笑顔がこぼれる。


「ナイススルー。タイミング悪かったけん、聞こえんかと思いよったけど」

「いやいやバッチリですよ。ナイス判断」


 隣にいた南さんと右手で勢いよくハイタッチ。

 ……そういえば。


「南さん、立木さんが走り込んで来てたの見えていたんですか?」

「んにゃ。目では確認できんかった。ただ、立木さんっぽいオーラを感じたけんね。あの人やったら来るやろうとは思っとったし」


 ……スゴいな。

 完全に立木さんを信用していないとあの場面であのパスは出来ない。普段はいがみ合ってるふたりも、底の部分ではしっかりとした信頼が土台を作ってるんだな。


「別に俺が打っても良かったっちゃけどね……はっ! いかん、これで立木さんに並ばれたやんか! なんばしようと俺は!」


 頭を抱える南さん。

 普段は他人の考えていることなんてこれっぽっちもわからない俺だけど……これはさすがにわかる。

 ホントにこの人たちは……照れ隠しが下手だなぁ。

 いつも自分が、自分がって言ってるけど、試合になったら自分優先で動いているところを見たことがない。


 個性溢れる、我が強い日本チーム。

 だけど。

 こんな素敵なチーム、見たことない。

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