マンチェスターでの決意 1
「……これ、スイッチ入ってるのか? ……あぁ、大丈夫。映った」
照明が落とされたやや薄暗いミーティングルームが、プロジェクターから放たれる青白い光に包まれる。壁面にぶら下がっている真っ白な、大きなスクリーンにはたちまちパソコンから出力された映像が映し出されていた。
このキャリントンのホテルには100人規模の大人数でミーティングするための大会議室が備わっていて、こういうパソコンを多用するミーティングの場合には非常に重宝している。
全員が沈黙してスクリーンの前に立つ小野田コーチの言葉を待つなか、スクリーンに映し出されている、なんてことないパソコンの壁紙を全員が食い入るように見つめていた。……手持ち無沙汰なときになんでもないものへ集中してしまうのは俺だけじゃなかったんだな……と、ついついどうでもいいことを考えてしまう。
「……スクリーンは全画面表示に出来ないか? ……オッケー。それでは始めようか」
スタッフがパソコンを操作し、画面が切り替わる。
スライドショーのようなアプリケーションの1ページ目には「8月2日ミーティング資料」、副題に「決勝トーナメントへ向けて」と書かれていた。
「順番におさらいして行くか。まずはグループAから」
画面が移りグループAの国名、勝ち点、得失点差などが表になって映し出されていた。
―――
A 勝点 勝 分 敗 得失点差
イギリス 7 2 1 0 +5
セネガル 4 1 1 1 +2
ウルグアイ 4 1 1 1 0
NZ 1 0 1 2 ー6
―――
「グループAはニュージーランド、ウルグアイ、セネガル、そしてホスト国のイギリスだな」
オリンピックは計16カ国で頂点を競っている。
欧州、アフリカ、アメリカ大陸、アジアとオセアニアをそれぞれ4カ国、4組のグループにまんべんなく振り分け、総当たり戦の結果、上位2チームが決勝トーナメントへ駒を進める運びとなっていた。
「イギリスの1位は下馬評通り、2位のセネガルが大躍進、といったところだな」
開催国イギリスは3戦を無敗で切り抜け、順当にグループリーグを1位通過していた。
次点で有力視されていた南米予選2位通過のウルグアイを得失点差で抑え、アフリカのセネガルが初出場ながら決勝トーナメントへ。
「個々の特徴と対策については最後にまとめてやろう。次にグループB」
―――
B 勝点 勝 分 敗 得失点差
メキシコ 7 2 1 0 +3
韓国 5 1 2 0 +1
ガボン 2 0 2 1 ー2
スイス 1 0 1 2 ー2
―――
「このグループは比較的順当に勝ち上がっていたな。下3カ国が混戦になったが……韓国がスイスとの直接対決に勝ったのが決定的となった」
韓国は日本とよくアジアの頂点を競い合っているが、今回のオリンピックでは日本よりも高く評価をされている。オリンピック出場回数は日本より多く、ユース世代でも日本としのぎを削っていた。
「そして……グループC」
―――
C 勝点 勝 分 敗 得失点差
ブラジル 9 3 0 0 +6
AUS 4 1 1 1 +1
エジプト 3 1 0 2 ー3
ベラルーシ 1 0 1 2 ー4
―――
室内に若干のざわめきが起こる。
小野田コーチのこわばった表情が、この暗い部屋で皆が共有する緊張感を物語っているように感じる。当然全員がすでに結果を知っていたわけだが、改めてブラジルの戦績を見ると……俺も気持ちが引き締まる思いだ。
「ブラジルがサッカー大国と言われる力量をこれでもか、と見せつけていた印象だな。2位のオーストラリアは、うちとの親善試合でも活躍していたブラウンとウィルソンが特に光っていた。ここは警戒すべきだな」
ブラジルが全勝での決勝トーナメント進出を決めていた。世界各国のリーグで活躍する選手たちを集めた、まさにオールスターチーム。2010年の南アフリカワールドカップではベスト8と結果は振るわなかったものの、このU―23代表はもちろん優勝候補に挙げられている。
そして、オーストラリア。
現在はオセアニア地域ではなくアジア地域に所属しているオーストラリアは、圧巻の強さを見せつけ、アジア予選を突破。その勢いをオリンピックの本戦でも存分に発揮している。
「最後に……我らがグループDだな」
―――
D 勝点 勝 分 敗 得失点差
日本 7 2 1 0 +4
スペイン 6 2 0 1 +3
ホンジュラス2 0 2 1 ー2
モロッコ 1 0 1 2 ー5
―――
「日本が1位通過。2位のスペインも結局負けたのは日本戦だけ。ホンジュラスとモロッコ相手には2―0、3―0とどちらも無失点で勝っている」
初戦こそ日本相手に完敗を喫したスペインだったけど、ホッジュラスとモロッコ相手にはその底力をまざまざと見せつけていた。特にモロッコ戦ではボール支配率81%という聞いたこともない数字をたたき出していた。
「そして、決勝トーナメント初戦、つまり準々決勝の組み合わせが……これだな」
―――
イギリス―韓国 カーディフ
ブラジル―スペイン ニューカッスル
メキシコ―セネガル ロンドン
日本―オーストラリア マンチェスター
―――
「日本がオーストラリアに勝利すれば、次はメキシコ、セネガルの勝者と対戦することになる。どのチームも強豪揃いなのは間違いないが……やはり、スペインとの直接対決で勝利したのは良かった」
決勝トーナメントはグループリーグの順位によって対戦相手が決まる。もし、日本がグループリーグを2位通過していたとすれば、準々決勝の相手はブラジルになっていた。こういう意味でもスペインを抑えて1位通過したことの意味は大きい。
「では次の対戦相手、オーストラリアについて詳しく見てみようか」
画面が切り替わり、オーストラリアと日本が7月に行った親善試合の様子が動画で映し出されていた。
「まずは先月行ったうちとの親善試合。これについては実際に体を合わせた人間の意見から聞こうか。では……佐野。オーストラリアの特徴について簡単に頼む」
最前列に座っていた佐野さんがその場で立ち上がり、スクリーンを一瞥してから後ろを振り向く。画面にはちょうど日本が失点したシーンの映像が流れていた。
「この失点の場面もそうですが、オーストラリアは中央からサミュエル・ブラウンが攻撃を組み立てるケースが非常に多かったですね。親善試合でも彼の動きに翻弄された結果、失点を許してしまいました。……あっ! ちょっとそこで一時停止できますか?」
佐野さんに促されたスタッフが動画を止める。
日本陣内、ペナルティエリア直前でボールを持ったサミュエル・ブラウン。その前にふたりの日本選手が立ちはだかり、DF陣が2列目、3列目からの飛び出しを警戒している場面だった。
「このパターンですね。日本はボランチふたりでブラウンを止めに行っていますが、彼の勢いを止めることが出来ませんでした。ボランチふたりが躱されたそのときにはすでに数的優位を奪われ……FWのジャック・ウィルソンへボールが渡った時点でもはや完全に崩されていました」
佐野さんのアイコンタクトを受けたスタッフが動画を再生し、場面はウィルソンのゴールシーンへ。おそらく南さんより背が高いであろうウィルソンの華麗な足さばきに目を奪われてしまう。
「この状態でウィルソンにボールを渡されたら……ほとんど絶望的だねー。強いし、上手い。僕もリーグ戦で痛い目を見てるよー」
静まり返っていた室内に福井さんのつぶやきが反響する。
同じスペインリーグに所属している福井さんならではの、実感がこもった感想。実際に対戦し、身をもってその脅威を体験している佐野さんの表情も、険しい。
「福井の言う通り、ここまで崩されたあとにウィルソンへ繋がれれば止めることは難しいと思います。しかし、逆に言えば……」
「ブラウンに崩させなければいいわけですね」
俺の隣、佐野さんの真後ろに座っていた伊藤さんが、佐野さんが言いかけた続きを代弁する。
自信に満ちた表情。
自分ならひとりで止められる、という確信。
個性派揃い、くせ者揃いの日本において静かに秘める気の強さは……おそらく奥村さんと1、2を争っているだろうな。
「その自信は買ってやらねぇこともねぇが……その前にてめぇの口から聞きたいことがある」
奥村さんが伊藤さんへ向けての質問。鋭い目つきを添えて。
突如研ぎすまされた緊張感が場を支配する。
「どうぞ」
「なんでお前は毎試合前半で抜けんだよ?」
スペイン戦では、前半終了とともに交代した。
前半圧倒的なカバー能力と、一対一での強さをまざまざと見せつけた伊藤さん。スペインがバイタルエリアから先になかなかボールを運ぶことができなかったのも、ほとんどが伊藤さんのおかげ。後半日本が苦しめられたスペインのレブロンが行った奇襲とも言えるドリブル突破さえ……ひとりで止めてしまった。
続くグループリーグ第2戦、モロッコ戦でも伊藤さんは前半終了と同時に交代している。
3―1と快勝した日本だったが、やはり伊藤さんが後半に抜けた穴は大きかった。モロッコのFWが単機攻め込んだ場面で、躱された日本MFの植田さんへのカバーリングが遅く、ペナルティエリア外からの豪快なミドルシュートを決められてしまった。
特に厳しかったのが、第3戦、ホンジュラス戦。
この時点ですでに日本の決勝トーナメント進出は決定していたが、グループリーグを1位で通過するためには大事な試合。
ホンジュラスに負ければ2位もあり得る状況で……伊藤さんは前半20分に早々と交代してしまった。
伊藤さんが抜けた穴を各自で必死に埋めていたが……1点リードした後半40分に失点してしまった。その後、アディッショナルタイムを含む8分間を何とか全員守備で凌いだ日本。グループD1位通過とはいえ、かなり不安が残る一戦にしてしまった。
伊藤さんの活躍は言わずもがな。
各国メディアが今、日本選手で一番注目しているのは、間違いなく伊藤さんだろう。その証拠に地元イギリスの新聞では伊藤さんを「The first half prince(前半だけの王子)」として大々的に取り扱っていた。
もちろん、俺は伊藤さんが交代する理由を知っている。
思考型ゾーンへ4回入った時点、または頭痛がした時点での交代。
理由はわかっている……けど。
言えない。
俺が軽々しく言っていいものじゃない。もちろん疑問に思っている奥村さんの気持ちもよくわかるけど……。
ゾーンは、俺と伊藤さんにとっての……紛れもない「生命線」。
なんとか奥村さんを説得できないだろうかと頭を回していた――そのとき。壁際に立っていたひとりの男性が声を上げた。
「伊藤君」
斉藤さん。
メンタルトレーナーとして、俺たちにアドバイスをしてくれている、心理学の専門家。今回のオリンピックには黒田監督と日本のチームドクターから声を掛けられ、現在男子チームに同行している。
斉藤さんは多くを語らず、伊藤さんへただ呼びかけただけ。
それだけで、おそらくふたりの間では意思の疎通ができたのだろう。伊藤さんが斉藤さんの目を見て力強く頷き、立ち上がる。
「奥村さんが疑問に思うのも当然でしょう。全てお話します」
全員が固唾を飲んで見守るなか、伊藤さんの声がロッカールームに響いた。
「僕は、ゾーンへ入ることができます」




