感謝の気持ちは、胸いっぱいに
大自然に囲まれた、キャリントンにある練習場。
日本の選手たちは報道陣非公開の1部練を終え、リラックスした表情で三々五々に散らばっていた。
「せっかくのオリンピックなんだから選手村行ってみたかったな。キャリントンなんてもろ地元だよ」
「そっか。ヴィンシェスター・ユナイテッドのクラブハウスはすぐそこにあるんでしたね」
爽やかな表情で沢田さんが愚痴を漏らす。
比較的涼しい今日の天気と、フォーメーションチェックが重視された今日のメニューは選手たちに滝のような汗を出させるまでには至らず、隣に座っている沢田さんも袖口で額の汗を軽く拭っているだけ。
次回の戦場であるヴィンシェスターに乗り込んだ日本は、沢田さんの地元であるキャリントンにて調整を行っていた。周囲にのどかな大自然が広がる練習場は、田舎好きな俺としては文句のない場所だけど、毎日過ごしている沢田さんとしては不満が残るものなんだろう。
フィールド競技を行うオリンピック選手たちの大半は、ロンドンにある選手居住地、通称選手村にて寝泊まりをしているが、サッカー代表が選手村を訪れるとすれば、決勝の前のみ。滞在することができたとしても、おそらく2、3日だけ。他種目の選手たちとも交流してみたいという気持ちは……少しはあるけど、閉会式も近いその時期に果たしてどれだけの人がいることやら。
「桑原さんのヴィンシェスター・シティもこの辺にクラブがあるんでしたっけ?」
沢田さんの隣であくびをしている桑原さんへ話を振ってみた。眠たそうに目をこすり、もう一度大きなあくびをしてから俺の質問へ答える。
「んー、知らね。近いのかな?」
「はは。桑原は興味ないことにはホント無頓着だからな。昔から変わらないよ」
「そっか。おふたりはリバルディユースからの同期でしたね」
ユースからそのままトップでプロ契約した1年目。19歳で早くもスタメンを獲得したふたりは、その年のリバルディ東京優勝の原動力となり、翌年には沢田さんがヴィンシェスター・ユナイテッドへ。そのさらに翌年に桑原さんがヴィンシェスター・シティへと移籍をしている。
「移籍先を決めたキッカケって……なんかあったんすか?」
「俺は……やっぱり『ヴィンシェスター・ダービー』に憧れたのが大きかったかな。沢田とはガキの頃から一緒だったから。沢田がユナイテッドで、俺がシティ。最高に興奮するじゃんか」
「お前そんな理由で決めたのかよ……」
沢田さんが桑原さんへ向かって苦笑している。
桑原さんにあきれの色を見せていた沢田さんもいざ自分のことになると、とたんに口を濁す。
「俺は……どうなんだろう。雰囲気かな。ニュアンスで決めた節が強いかも」
でた。天才のみが知る領域、ニュアンス。
結局みんなフィーリングとか、なんとなくの感覚で決めるものなんだろうか。
「そういう大峰はなんでパスヴィアなんだよ。親元離れてJ1ユースに行こうとは思わなかったのか?」
沢田さんにそう問い返されて、少しだけ返答に詰まってしまった。
俺の場合は……感覚で決めたわけでは、決してない。そのときの「事情」が頭をよぎるが……考えるのはやめよう。今はもう関係ないことだ。
「うーん。やっぱり地元が良かったんですかね」
「なに話してんのー?」
「福井さん、三宅さん」
先日の試合でも大活躍したSBのふたりが、こちらに歩み寄る。
「今の所属先決めた理由を聞いてたんすよ。福井さんはスペイン、三宅さんはイタリア……でしたよね。おふたりはどうして今のチームに?」
自然と5人で円を作るように福井さんと三宅さんのふたりが座る。
意外にも先に口を開いたのは、普段は寡黙な三宅さんだった。
「自分は最高額を提示したチームの書類に迷わずサインしました」
……なるほど。この人は斉藤さんと通じるところがありそうだ。
「僕はスペインに憧れを持ってたからねー。高校のときはスペインに留学もしてたし」
「へぇ。いわゆるサッカー留学ですか?」
「そうそう。私費留学で学校無許可の留学だったから一年留年しちゃったけどねー。今思えばあれが僕の未来を決めたのかもねー」
沢田さん、桑原さんに比べるとこのふたりは自分の意志によるところが大きかったのかな。
「大峰君は他のチームから誘われたらどうするのー? 多分誘いが来ると思うよー」
「どうなんでしょうか……。考えたこともなかったので……」
「ヴィンユナイテッド!」
「いやヴィンシティ!」
「なんば言いようと! グラム! グラム!」
いつの間にか南さんまで参加して自チームの名前を連呼していた。
……こう言ってくれるのはホントありがたいんだけど……正直まだ想像もつかない世界の話。
パスヴィアとプロ契約してまだ3ヶ月ちょっと。そのうち半分以上の時間をU―23に割いている状況で、移籍の話なんておこがましい、と思ってしまう俺は頭が固いんだろうか。
「さて、そろそろ飯食いに行くか。午後からはミーティングもあるし」
沢田さんの一言で全員が立ち上がる。
練習のあとなのでみんな我先にレストランへ、と思いきや意外にもみんなの足取りは重い。
「お腹は空いているんだけど……正直、ねぇ?」
「自分も同じ気持ちです」
福井さんと三宅さんが並んでため息をついている。
「どうしたんすか?」
ふたりの気持ちがよくわからず、素直に問い返してしまう。
「料理……。イギリスの料理は……って聞いてはいたけど、正直ここまでとは……」
げんなりした表情で福井さんが漏らす。
「そうっすか? 俺は別にマズいと思ったことないっすけど」
「……若さは強さです」
なぜか三宅さんに肩を叩かれた。
「まぁ……そのうち慣れるよ。俺も最初は衝撃だったから。なんていうか、火を通しすぎなんだよな、なんでもかんでも。肉なんてほとんど焦げてるよな」
確かにソテーなんかは「ちょっと」焼き過ぎかな、と思ったことはあるけど……そんなに言うほどのことかな?
連れ立って歩く連中の顔を見るに、どうやら俺と同じ気持ちなのは南さんだけだったらしい。
「そうと? よーわからん。俺は毎日美味しく食いよーばってんが」
「……点取り屋になると味覚も狂うんでしょうか」
「……みやっち、『も』ってなんね?」
眼前に、田舎には似つかわしくない大きな、近代的なホテル。
イングランドリーグでヴィンシェスター・ユナイテッドと対戦するチームがよく宿泊するこの施設は、練習場にホテルが併設され、一歩も敷地外に出ることなく全てのスケジュールをこなすことが出来る。
関係者以外立ち入り禁止で貸し切りにすることもできるため、今日のような非公開練習をする場合などはもってこいの施設。
ホテルのグラウンドフロアにある大きなレストランへと入ろうとしたところで……
「あら? あのべっぴんさんは関係者やったかいな?」
入口に立っている女性を見て、南さんが疑問の声を上げる。
「ああ。あの人は『大峰の』関係者だよ。なっ?」
「なるほど。大峰は年上キラーなわけね」
沢田さんと桑原さんがニヤニヤしながらこちらを窺う。
「いや、違うと思うんですけど……」
「大峰! 紹介せんね!」
やっほー、とキラキラの笑顔で手を振る女性の前で立ち止まり、どう紹介したものかと悩んでいると、女性に先手を打たれてしまった。
「こんにちは。あたしは……大峰君の彼女です!」
こらこら。
「そうと!?」
「え!? マジで? ……適当に言ったのに」
「……大峰すげぇな」
「ほー」
「……羨ましい限りです」
「いやいや、みなさん……落ち着いて。違いますから。片平さんも悪ふざけはやめてください……」
……まったくもう。
こんなにキラキラの笑顔で悪ふざけされたら……怒るに怒れない。
「失礼しました。タイムリー新聞の片平と申します。黒田監督から許可を頂いて立ち入らせてもらってます」
すぐにビジネスモードへ切り替えた片平さんに数人が見蕩れているような気もするけど……見なかったことにしよう。
「どうしたんすか? ホテルの中まで」
「ん。ちょっと報告があってね」
自然と目線を下げた片平さん。数ヶ月も付き合っていればわかる。片平さんがこのリアクションをした時は……。
「大峰くーん。先行ってるねー」
「はい。すぐ行きます」
先頭の福井さんが「あいよー」と軽口を返すが、歩みは牛のように遅い。どうも体が前に進むのを拒んでいるらしい。……そんなにイギリス料理はマズいかな。
「ふふ。みんな個性的だね」
「……みんな片平さんには言われたくないと思いますけど」
「ちょっとー! どういう意味よ」
腕を組んで俺を睨む片平さん。怒っていることを表したいんだろうが、俺には全く通じない。
「そういや……よくホテルの中まで入れましたね。報道陣はみんなシャットアウトされてるのに」
「そうそう。それを言いに来たのよ」
ふーむ。
そう言えばスペイン戦のあともロッカールーム前まで入ってきていたけど……報道陣ってブース以外に入ってこれたっけ?
「正式に話が決まったら伝えようと思ってたんだけど……あたし、異動するかもしれないの」
「……え? スポーツ部に転属されたばかりなんじゃ?」
思いもよらなかった言葉にあぜんとしてしまった。
続けて話し出した片平さんの表情が明るかったのを見て、少なくとも悪い話ではないんだろうか、と俺の心の中に安堵の気持ちが少しだけ浮かぶ。
「次の部署はね……出版部」
「出版部?」
「本を書いたり、作家さんの書く本の編集を手伝ったり。そんな仕事」
新聞社の業務はよくわからないけど、今までとは全く違うフィールドに行くってことなんだろうか。会っては憎まれ口を叩くような関係だけど……目に映るのは、寂しい気持ちばかりだな。
「……そうですか。今までお世」
「ちょっと待って! 勝手に人をお役御免にしないで!」
え? 違うの?
「人の話は最後まで聞いてよ。出版部へ異動するとしても、それはまだ先のことなんだけど……上司に話していたある企画が会議で通りそうになっててね。その企画ってのが……大峰君の本を書くこと、なの」
俺の……本?
「つまり、大峰君の自叙伝をあたしが代筆するの。大峰君がプロになって何を成し遂げたのか、何に苦労したのか、とか。出来るだけたくさんのことを世に広めたい。でも……これは大峰君が断れば、やめる。少なからずプライバシーにかかわることも取り上げるからね」
自叙……伝。
想像もしていなかった方向からの話に、おそらく俺の顔は間抜けな表情で固まってしまっていることだろう。
そんな表情をいち早く察知した片平さんが、俺の顔を覗き込んで心配げな表情を浮かべる。
「……ごめんね。人前に出るのを嫌がる大峰君にとっては、苦痛なことかもしれない。でも……あたしは……」
それっきり口を閉ざしてしまった片平さんの表情は……固い。
レストランの入口近くの壁に寄りかかってぼーっと天井を見つめる顔は、どこか憂いに満ちていた。
急な話に心も体も追いつかず、心臓の鼓動はいつもより気持ち早めに。どうするべきか考えはするものの、結論は出ず。
頑張って、振り絞って出した言葉はたったこれだけだった。
「……お返事は、すぐに?」
「んーん。いつでもいいよ」
自叙伝、というからには、俺がサッカーを始めたキッカケや家族のことも書かないといけないだろう。そんなこと……すぐには決断できない。
「あっ。もしダメだってなっても、あたしの立場が悪くなったりとかしないから心配しないでね。大峰君優しいから。あたしのために……って思っちゃいそうだから」
どこまでも俺を第一に考えてくれる、片平さんの優しい気持ち。
決してビジネス的な気遣いじゃない、と確信を持てるのは……俺が片平さんへ相当に心を開いている証拠なんだろうか。
「わかりました。じっくり考えてから……お返事します」
「……うん」
普段から若く見える片平さんの童顔が、このときはさらに幼く、同級生と話しているような印象を受けた。
「……あっそうか。だからホテルやロッカールームにも」
「そう。関係者施設内で見聞きしたことは執筆する本以外では他言無用、って条件で入れてもらってるの」
なるほど。他の記者さんと片平さんの扱いが違うのも、そういう理由があったのか。
「あっ……。だからさ、この前スペイン戦のあとにロッカールーム前で感想聞いたじゃん。そして大峰君が格好良く『最高の試合内容でした』って言ってくれたけど……あれ、残念ながらお蔵入り」
「あー、……さいですか」
……せっかく伊藤さんにカッコいいセリフを教わってたのに。
「でも……そしたら仕事できないんじゃないですか?」
「施設外でのインタビューは記事にしてもオッケーだからね。記者業務もしっかりやってるよ」
「……ちゃんと仕事してるんすか?」
「しっつれいな! ばりばり仕事しようとよ!」
顔を見合わせて、ふたりで笑う。
自然にレストランの中へ足を運ぶ俺と片平さん。片平さんの笑顔が眩しすぎて、俺は前しか向けない。
「スペイン戦のあともちゃんと仕事したんだよ! 各社が『カーディフの奇跡』とか『大番狂わせ』って見出しを出してるなか、うちだけは『日本、実力でスペインをねじ伏せる』にさせたんだから。褒めていいよ? あたしの功績」
「……自分で言ったら手柄も半減っすよ」
感謝の気持ちを胸いっぱいに溜め込み、みんなが座っているテーブルへと足を進めた。




