グループリーグ初戦、スペイン 6
ロッカールームに反響するコーチや選手の激論。
あのスペインから2点のリードを奪い、2―0で前半を折り返すという最高の立ち上がりを見せた。にもかかわらず、日本の選手たちは緊張感を途切れさせることなく、それぞれが感じたスペインの傾向についての対策を練っていた。比較的楽天的な態度を示しているのはこのふたりくらいか。
「立木さーん。ぼさっとしとったら俺がハットトリックば決めてしまうよ?」
「言ってろくそガキが。後半に追い越してやるっつーの」
ロッカールーム中央。薄いクリーム色の冷たい床に座り込んだ南さんと立木さんが、ペットボトルを片手に自身の成績についてせめぎあっていた。
「デル・レイだけでなく、右サイドにも注意して下さい。前半はあまり目立った攻めを見せませんでしたが、後半はおそらく……」
「いちいち言わなくてもわかってるんだよ! うぜぇ野郎だなぁ」
「奥村……お前もいちいちつっかかるなよ」
奥のスペースにかたまっているディフェンス陣に伊藤さんが注意を促し、それを奥村さんが煙たがる。中島さんが奥村さんをなだめ、三宅さんと福井さんはぼーっとそのやり取りを見ていた。
ある意味、いつも通り。
このメンバーが2点リードくらいで浮かれるとは到底思っていなかったけど……慢心することなくいつもの態度を貫いていることは、ある意味頼もしく思える。
俺は入口近くの床にマットを引いて寝そべり、マッサーからの処置を受けていた。マッサーから力強く太ももを揉まれ、「いぎっ」っと変な声が出てしまったところで、沢田さんが俺の顔を覗き込んできた。
「いいシュートだったな。日本が勢いづくには十分な得点だったよ」
「ありが……痛い! 生田さん、もっと優しくして下さい……」
太ももを力強く押したあと、俺のリアクションに満足顔を見せた日本スタッフの生田さんが、白い歯を覗かせる。体勢を入れかえ、うつ伏せ状態の俺の右足を掴み、力強く、ゆっくりと上へ持ち上げた。痛気持ちいいとしか表現できない感覚が俺の体を駆け巡る。
「……しっかし、なんで前半だけでこんなに筋肉が張るんだ? 俺も長いこといろんな選手たちを見てきたが、こんなヤツ初めてだぞ」
足を下ろし、今度は羽交い締めのような体勢から上体を仰け反らせる。ちょうど海老反りのような体勢。
「うーん。下半身だけにくるならまだわかるんだが……上半身もこれか。お前身体固いのか?」
「……そん、なこと、は、ないと……」
生田さんの問いかけに途切れ途切れ返答する。体勢が体勢なだけに、上手く話せない。上半身が伸ばされ、凝り固まった筋肉を徐々にほぐしていく感触に浸っていると、沢田さんが俺に怪訝な目を向けていた。腕を組んで天井を向き、なにやら思案したあと俺に向き直る。
「大峰、毎試合ハーフタイムにマッサージしてもらってるのか?」
ようやく生田さんの海老反りから解放された俺はマットの上にあぐらをかき、肩を回しながら沢田さんの質問に答える。
「毎試合じゃないっすね。軽いときは自分でふくらはぎと太ももをマッサージするくらいです」
俺からの返答が満足いくものでなかったのか、再び天井に視線を移した沢田さん。一拍の間を置いたあと、質問する相手を生田さんへ変える。
「上半身をマッサージする選手っています?」
「いないことはないが、少ないな。腰はよくやるが」
話の流れが読めない俺は、じっと沢田さんを見つめる。俺のいぶかしげな表情に気付いた沢田さんが肩を竦めて笑う。
「いや、大したことじゃないんだけどな。エーブリーも毎試合マッサージしてるんだよ。全身くまなく。ちょうど今のお前みたいにな。ふたりとも点取屋なんだよな」
イングランド、ヴィンシェスター・ユナイテッドのジェイコブ・エーブリー。先日の親善試合ではハットトリックを決めた、ヴィンシェスター、いやイングランドリーグを代表するストライカー。多彩な足技と175cmとサッカー選手としてはやや小柄な体格ながら強靭なフィジカルを誇り、豪快かつ繊細なプレースタイルは俺がもっともお手本にしたい選手のひとりでもある。
エーブリーの機敏な動きはテレビで見ているだけでもほうっとため息をもらしてしまうほど。もし同じ動きを俺がするとなれば……筋肉痛程度では済まないだろう。
「……いや、俺の考え過ぎかも。すまんな、忘れてくれ」
エーブリーと俺の間にどれだけ共通項が存在するかわからないが、結局沢田さんは納得するだけの材料が思いつかなかったらしい。
「大峰ー。後半はもっとしんどくなるぞー。体力は残ってっか?」
いつの間にかユニフォームを脱ぎ捨て、パンツ一枚で俺の前に仁王立ちする立木さん。いつでもどこでも脱いでいる印象が強いけど……露出グセでもあるんだろうか。軽い服装と口調で俺のもとへ来た立木さんの表情は、意外に険しい。その理由も……察しはつく。
伊藤さんの交代。
どうやら前半最後、俺が得点を決めた攻防で本日4回目の思考型ゾーンへ入ったらしい。前半終了とともに黒田監督へ申告し、交代の運びとなった。
前半スペインの猛攻を防ぎ、完封を果たした日本だけど……ほぼ伊藤さんの功績だった、と言い切れる。
俺がひいき目で伊藤さんを見ているからではない。全員が同じ気持ちでいることと思う。
前半福井さんが苦しめられたデル・レイの突破は、伊藤さんのカバーで深くまでは攻め込ませず。デル・レイが見事なデコイを演じた場面では驚異的な反応を見せ。レブロンが今日初めて見せたドリブル突破もひとりで止めてしまった。前半のMVPは伊藤さんで満場一致だろう。
「さて。そろそろ後半の作戦について話そうか。準備をしながら聞いてくれ」
イレイザーでホワイトボードに書かれた様々な文字を消し、小野田コーチがロッカールームを一望しながら選手たちに声を張る。
「後半もおそらくスペインはポゼッションを第一に戦術を組んでくるだろう。前半最初は若干固くなっているところをついて得点することができたが……全員が感じている通り、後半はこう上手くはいかんだろう」
反対する選手はひとりもいない。間違いなく後半猛攻を仕掛けてくるスペインに全員が警戒心を持って気を引き締めていた。
「左のデル・レイはもちろん、右SBのグラシアにも注意してくれ。突破口を見つけたら畳み掛けてくる可能性がある。あとは前半最後に仕掛けてきたが……中央でボールをさばいているレブロン。ここはボランチへまわる立木に任せるぞ」
「うっしゃー!」
未だにパンツ一枚の立木さんがボディビルダーのように筋肉を盛り上げ、血管を浮き上がらせて力を込める。黄色のキャプテンマークがキラリと光っていた。ユニフォームは全部脱いでいるのになぜかここだけは残している。
「ひとつのミスが即失点につながると思って緊張感を持ってくれ。後半は伊藤がいないからカバーを期待できない場面も出てくるぞ」
「……いなくても余裕だっての」
奥村さんがぼそっとつぶやく。試合前は苦笑いして流していた小野田コーチも今回ばかりは見逃せなかったらしい。「頼んだぞ」と奥村さんに念を押している。
「岡。なにかあるか?」
日本代表最年長、岡さんが口を開く。
「前半の動きを継続できれば問題ないでしょう。伊藤が抜ける穴を全員で少しずつカバーする。念頭に置いて欲しいのはこのくらいですね。前半はほとんど仕事もなかったのでじっくり各選手を観察することもできましたし」
前半スペインが放ったシュートはわずかに4本。そのうち枠内へ飛んだシュートはたったの1本。日本守備陣の奮闘が数字にも顕著に現れていた。
「よし。頼んだぞ。攻撃陣はこの流れを継続していこう。カウンター主体になるのは戦況としてあまり望ましくはないが……大峰」
「はい」
「南をフォア目に配置してお前は桑原と同じくらいまで下がれ。積極的に守備へ参加し、チェイスを続けながら隙を見つけて攻め上がってくれ。……いけるな?」
「問題ありません」
体の張りが若干出ているが、これはいつものこと。まだまだ全力チェイスを継続する自信はある。小野田コーチと途中交代する桑原さん、それぞれの目を見て強く頷く。
「黒田監督、なにかありますか?」
沈黙を保っていた黒田監督が全員の注目を集める。
「福井。後半もガンガン行け。前半はなかなかよかったぞ」
「あいよー」
福井さんがマイペースに返事を返し、
「鈴木。デル・レイだけでなく左サイド全般をケアしろ。お前ならそのくらい余裕だろう?」
「……余裕」
鈴木さんが控えめながらも闘志をみなぎらせ、
「沢田。後半のゲームメイクはお前に一任する。お前の好きにしろ」
「了解です。ワクワクしますね」
沢田さんが自分の職責にプレッシャーを感じるどころか、さらに強く奮い立っていた。三者からのリアクションに手応えを感じたのか、わずかに口元を緩めた黒田監督はロッカールームに集まった猛者たちを一望してこのように締めた。
「攻撃で大峰、守備で伊藤。世界へのお披露目としては悪くなかったな。だが……このまま終わったら、お前らただの引き立て役だぞ」
「なんば言いようと? この俺が引き立て役だけで終わるわけなかやん」
南さんが黒田監督を眼光鋭く……もはや、睨んでいる。
「……ふっ。期待してるぞ」
そう言い残し、黒田監督はスタスタとピッチへ向かって歩いて行ってしまった。
「さすがだね。それぞれの特徴を奇麗に把握してる」
脱いでいたソックスを履き直し、スパイクの紐とともに気持ちを引き締めていた俺のもとへ伊藤さんが歩み寄る。感心したように頷きながら、歩いて行く黒田監督を見送る伊藤さん。
前半大活躍した伊藤さんが後半抜けるのは不安だが、それ以上に心配なのが……
「伊藤さん。その……頭痛は」
「大丈夫。頭痛はきてない。僕としてはもう少しプレーしたかったけど……約束したからね」
間髪入れずに答えてくれた伊藤さんの表情を見て心をなで下ろした。イギリスとの親善試合では失意の表情で交代した伊藤さんだけど、今回は清々しい顔を見せていた。ある程度納得のいく結果を残せた証拠でもあるかもしれない。
「ただ……いや、これはまた今度にしよう。大峰君、これで逆転負けなんてしたら承知しないからね」
「はい。必ず勝ち点3を」
右拳を軽く合わせる。
不意に……昨夜の田宮さんとのやり取りを思い出す。
『絶対に決勝まで上がって来なよ!』
田宮さんと約束した。
結衣とも約束した。
記者会見でもタンカを切った。
俺の物語は……まだ始まったばかり。
熱を帯びたロッカールームを出て、きんきんに冷房が効いた通路を抜ける。
真新しい壁面には世界中の子供たちが憧れる往年の名選手たちが、写真となってその足跡を残していた。
その中でもひときわ目立つ、大きな写真。煌びやかな額縁の下には英語で説明文が添えられていた。
おそらくこのスタジアムで繰り広げられたある名場面を切り取った、有名なワンシーン。ゴール前でボールに飛び込んでいる選手の躍動感溢れる表情と、背後に映る観客たちの熱狂は、スタジアムの歴史と威厳を確かに彩っていた。
「今試合をしている選手たちも……将来こんな風に語り継がれるんすかね」
俺のつぶやきに、伊藤さんが確信を持って告げる。
「そうだね。君もそう遠くない将来には……こんな風に語られるのかもね」
* * *
南さんがカーディフの空に舞う。
ただ立っているだけでも頭ひとつ抜け出した南さんが、持ち前のバネを使って空へ飛ぶ。周りを3人に囲まれ、レフェリーの死角では腕を掴まれ、なりふり構わず止めにかかるスペインDFを……蹴散らす。体をぶつけにいったスペインDFが逆に体勢を崩していた。
「ぅらぁぁぁ!」
こぼれ球に備え、ゴールポスト付近で待ち構えている俺の横で、沢田さんが上げたクロスに反応した南さん。下から見上げれば遥か上方でヘディングしている南さんが持つ身体能力の高さ……いや、異常さを実感する。
南さんはただ沢田さんが上げたボールに合わせるだけでは飽き足らず、首を大きく振ってさらにボールの勢いを増す。
ヘディングされたボールは俺と逆のサイドへ向けて叩き付けられた。
ポスト付近には選手がいない。GKも反応できていない。
日本関係者たちが手を合わせて祈るなか……ボールはポストをかすめ、惜しくもゴール外へと転がって行った。
「だぁぁ! くそがっ!」
地団駄を踏む南さん。特徴的な赤いヘアバンドが天井から放たれるスポットライトによってキラリと光る。茶色の髪から汗飛沫が飛ぶ。
後半も、もうすぐ35分。
疲労でもっとも辛くなる時間帯にもかかわらず、南さんの勢いは全く止まる気配を見せない。まだまだ準備段階だとでも言わんばかりだ。
「立木さん! もっとテンポ上げんね!」
「てめぇこそもっと大胆に来いや!」
南さんが立木さんを煽り、立木さんが間髪入れずに返す。
日本の勢いは止まらない。




