グループリーグ初戦、スペイン 5
日本選手の交代。
4審がピッチへ向けて高々と掲げる交代ボードに表示された番号は……OUTが6、INが15。
サイドMFの植田さんに変わって、レボーレ甲府の鈴木さんがピッチに入るみたいだ。
おそらく黒田監督の考えは……福井さんをもっと自由にさせたい、ってことだろうか。
通常であれば苦戦している選手を交代させるのが常套手段になる。この場合だと福井さんに変えて前島さん、あるいは佐野さんを投入するのが定石。黒田監督はあえていい動きをしていた植田さんに変えて鈴木さんを投入した。
果たしてこれが吉と出るか……凶と出るか……。
鈴木さんがピッチに入り、スペインGKのゴールキックから試合が再開されようとしていた。
鈴木さんは沖縄合宿で、ものすごい守備のスペシャリストぶりを発揮し、選手、スタッフ陣の信頼を勝ち取っていた。この状況では確かに頼りになる存在だけど……デル・レイの突破力は多分鈴木さんでも厳しいほどに脅威。まだまだ攻め込んでくるに違いない。
デル・レイの猛攻に備え、南さんとアイコンタクトを取って俺はやや引き気味にポジショニングを調整した。あたりを確認し、俺もフォローへ行けるようにと考えていた、そのとき。後ろからボソッと声を掛けられた。
「……大峰君はいつものままで」
「うぉ! ……え? 鈴木さん……?」
観客たちの歓声にかき消され、鈴木さんの言葉を全く聞き取れなかった。プレー中はかなりもの静かな鈴木さん。今までほとんど話しかけられたこともなかったけど、声の低さと小さ過ぎる声量に少し驚く。
「……大峰君はいつものままで」
「……あ、はい。前に行っていい、ってことですね。了解しました」
「デル・レイは僕が」
僅かな余韻を残し、鈴木さんが左SB、福井さんのもとへ走って行った。
やや舌足らずだったけど、「デル・レイは僕が『止める』」、って解釈していいんだろうか。大丈夫かな……いや、ここは鈴木さんの心配じゃなく自身の環境を整えるべきだ。
俺にできるのは……オフェンスのみ。伊藤さんと約束したように、俺は攻めることでしかディフェンス陣の負担を軽減することはできない。今は幸い緊張も興奮もなく落ち着いて試合に臨めている。チャンスを窺おう。
* * *
一言、すごい。
鈴木さんがデル・レイを完封している。
前半も残り10分程度。スペインは相変わらず圧倒的なボール支配とデル・レイを中心に攻撃を組み立て、日本はカウンター主体の体勢を強いられている。途中交代した鈴木さんがデル・レイにほぼマンツーマンのマークへついているが……
一度も突破を許さない――どころか、デル・レイへのパスすら許さない。
鈴木さんのポジションはどちらかと言えば攻撃的なポジションになるけど、鈴木さんはそんなのお構いなし。攻撃のときも守備のときもずーっとデル・レイの近辺にポジショニングして張り付いていた。
この、勢いがある選手を潰しにかかる方法は――かなりのリスクを内包する。
なにせ、攻撃に参加する選手が減ってしまう。さらにデル・レイを止められなければもっとキツい展開へ進んでしまう可能性が高い。
ただ、成功すれば……
「福井ぃ!」
「あいよー!」
立木さんの縦パスに素早く反応した福井さんがライン際を駆け上がる。
フォローに入ってきたスペインCBと肩をぶつけながら疾走する福井さん。あたかもスペインCBが重戦車、福井さんが軽自動車を思わせる対格差。それでも福井さんは持ち前のボディバランスを遺憾なく発揮し、懸命に走る。
ボールは――惜しくも間に合わず、ゴールラインを割った。
振り返った福井さんが、立木さんへ向けて右手の親指を突き上げる。
福井さんの躍動感が戻ってきた。
オーバーラップから戻って来たデル・レイの表情に浮かぶのは……福井さんとは対象的な、疲労感。
鈴木さんの粘り強いディフェンスをなかなか突破できず、さらに福井さんが活発的な攻撃参加を始めたことで、デル・レイは前後に走り回らされる結果となった。
相手の得意パターンを封じた意味は、とてつもなく大きい。
これまで淀みなく展開されていたスペインの連携にわずかな引っかかりが見え隠れしている。スペインの選手たちが焦燥感をあらわにしている。
――チャンスだ。
「大峰。俺についてくることができれば……今度は俺がお膳立てしてやるけんな」
「はい」
「ぼさっとしとったら、今度も俺が点決めちゃろう」
南さんのキリっとした視線に応じる。
どうやら南さんも勝負どころであることを感じ取ったらしい。
カウンター主体となっている今の日本は、攻撃のバリエーションを取りづらい。ただ、俺個人としてはスピードを生かせる得意なシチュエーション。スペインに迷いが出ている今こそ、俺がもっとも輝ける。
スペインGKが高く蹴り上げたボールを、センターサークル付近に陣取った両チームの選手たちが激しく競り合う。こぼれたボールをスペインが拾い、パスを回し始めた。
この日十数度目のポゼッション。
ただし、行き足は鈍い。
デル・レイにはピッタリと――もはや、べっとりと――鈴木さんが張り付き、左サイドにスペインの活路はない。
右サイドと中央でパスを回して穴を探している、もしくは作ろうとしているスペインだけど、日本もそう簡単に崩れない。スペインの高速パス回しにも次第に慣れてきた。
しばらく小康状態が続いたところで、スペインが動く。
FWふたりがバイタルを抜けて戻り、ボール運びに加わった。いわばゼロトップの状態。
至近距離での細かいパスを多用し、やや右サイドよりをじわじわと押し上げる。MFの沢田さんとSBの三宅さんがなんとか食い止めるが、スペインの勢いは止まらない。
ここで、唐突にスペインの選手たちが走る。……多い。4人は走ってる。
今日何度もデル・レイへスルーパスを決めているスペイン#8、MFのレブロンがパスを受け、ボールを保持する。大柄な選手が多いスペインにおいて、レブロンはどちらかと言えば細身。フィジカルに脅威は感じなかったが、アイディアがすごい。パスの出しどころが全く読めない。
相対するのは――伊藤さん。
俺はディフェンスには加わらず、カウンターに備えて最適な場所取りを模索する。
大丈夫。
日本のディフェンス陣も……世界に負けてない。
――伊藤さん!
走る4枚のスペイン選手に対し、日本ディフェンス陣も4枚でそれぞれマークにつく。スペイン選手それぞれがトリッキーな動きでかく乱を開始するが、日本も必死についている。……やや右サイドの三宅さんが離されつつあるか。左サイドは鈴木さんが走るデル・レイにつき、福井さんはやや前のめりにポジショニングしていた。
1、2秒の沈静の後、レブロンが動く。
中央突破。
4人の選手たちがややサイドに流れ、中央が薄くなった瞬間を狙ってドリブルを開始した。
この試合レブロンがドリブルを仕掛けたのは、多分初めて。
レブロンの動きに合わせて伊藤さんが並走する。
スピードに乗り、ペナルティエリアに侵入し――左足でのシュートフェイント。続けざまにターン。一気に伊藤さんを躱しにかかる。
――速い!
遠くから見ている俺でも、ターンの素早さに思わず息をのんでしまうほど。
対応する伊藤さんは――
すでにボールをカットしていた。
『オオォォ!』
世界中のサッカーファンをも唸らせる、伊藤さんのスーパープレイ。
速すぎてしっかりとは視認できなかったが、おそらくレブロンがターンして後ろを向いた、瞬間。ボールを少しだけ触って前に転がし、奪った。
「大峰ぇ! いくぞぉ!」
「はいっ!」
瞬間的に南さんと走り出す。
ボールをカットした伊藤さんは、そのままドリブルでスペイン陣内を目指す。
ボランチの伊藤さんとディフェンス4人――たったの5人で対処した日本は、深い位置までスペインから攻め込まれたにもかかわらず、すぐさま攻めに転じられるメンバーが多い。
――千載一遇! ここは逃せない!
伊藤さんが左サイドを上がってきた福井さんへボールを渡した。
福井さんのドリブルがスピードに乗る。マークへ来たスペインCBをじわじわ引き離している。
俺は福井さんと並走するように右側を走る。俺のマークへついているスペインMFは……迷ってるな。福井さんから引き離されつつあるスペインCBにフォローへ行こうとしている。
素早くまわりを確認。中央よりに立木さんと南さん。逆サイドから沢田さん。やや後ろにいる伊藤さんを含めて日本が5人。対するスペインは……4人。
この場合なら――様々なパターンが思い浮かぶ。
深く突っ込んでからのクロス。
アーリークロス(早めのクロス)。
一度スピードダウンし、中央の立木さんにゲームメイクを任せてもいい。福井さんがそのまま切り込んでもいい。
ここは――福井さんに任せよう。
俺はややスピードを落とし、南さんと立木さんへ前を譲る。福井さんがどの選択肢を選んでもフォローできるように、ポジションをやや左に寄せた。福井さんのちょうど右後ろ。
ここで福井さんが動いた。
ややスピードを落とし、後ろを走る俺に視線を向けたあと――強引に中央へドリブルで切り込む。
スペインCBは福井さんのスピード変化に対応できていない。福井さんへ体をぶつけ、ユニフォームを引っ張って勢いを削ごうとしているが――止まらない。
福井さんがペナルティエリアのゴールライン際まで切り込んだ。
これを見て俺は中央へ走る。
代わりに南さんがニアサイドへ、続けて立木さんも南さんの後ろを追いかける。それぞれについているスペインのマーカーもふたりを追う。
俺とクロスして走る南さんとすれ違い様、目が合った。
――いくぜ!
――はいっ!
深くスペイン陣内を切り裂いた福井さんから南さんへマイナス方向(後ろの方)にグラウンダーのパスが放たれた。
走り込む南さんと並走していたスペインDFが決死のスライディング。シュートコースをほとんど消された南さんの選択は――スルー。
その真後ろに――立木さん。
立木さんの真正面にもスペインのDF。ここで天才、立木恭介の選択は――ノールックからのヒールパス。一度ボールを股の間を通し、左足でボールを真横――右へ流した。
そこへ――俺が走り込む。
さすがスペイン。この展開を読んでいたのか、俺のマーカーが右前方のコースを消し、立木さんのマーカーが素早く俺のマークへ走っていた。……左前方も厳しいか。さらにはスペインGKが中央に陣取っている。全く崩れていない。
さすが――世界一。
でも……負けない!
立木さんからのパスが左から来ることを知覚した瞬間、本日初の電撃が俺の背を走る。
――ゾーン!
選択肢は俺の頭の中にすでに溜まっている。あとは選定するだけ。
……狙いは――ここ!
踏み込んだ右足が天然芝に食い込む。右ひざをぐっと曲げて重心の調整を行い、左足を振り上げ、立木さんからのパスに合わせ――振り抜く。
左から転がってきたボールを、左足でダイレクトに――右へシュートを放つ。
立木さんが試合開始直後に放ったシュートと同じ状況。相当にバランスとタイミングが難しいシチュエーションだが……懸命に右足を踏ん張り、ボールに勢いを伝えた。
ボールは低い弾道で右へ飛ぶ。
右前方からはスペインDFが迫っていたが――その股の間を抜いた。おそらく正面に足を出そうと懸命に伸ばしたんだろう。結果……逆にスペースが空き、そこが活路となった。スペースがあると言ってもわずかな隙間だけど……狙う自信はあった。
伊藤さん、福井さん、南さん、立木さん。
みんなが繋いでくれたボールを――外すわけにはいかない!
ボールはバウンドを繰り返しながら、ゴール右隅へと襲いかかる。
素早い反応を見せたスペインGKがボールへ飛び込み、キーパーグローブの先をかすらせた。
ボールの軌道が変化し、横に弾かれる――
が。
その先は――ゴールサイドネット。
この試合2点目。
これが俺の……オリンピック初ゴールとなった。




