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グループリーグ初戦、スペイン 2

 スタジアムに散りばめられた、多彩な色。

 観客席を8割埋める大観衆のカラーには規則性がなく、地元イギリスの人たちが多く詰めかけていることを予想させた。

 固く閉じられた天井からは参加16カ国の国旗がぶら下がる。

 右端にある開催国イギリス国旗を筆頭に、テレビで何度も目にした強豪国のシンボルマークを見ると、これが頂点を決めるための国際試合であることを否応無く実感させられる。

 

 専用通路を抜けたあたりでひときわ感慨に浸っていた俺は、芝の感触を確かめるように一歩ピッチ内へと足を踏み入れる。固くも柔らかくもない、絶妙な反発が足裏の神経を刺激し、俺の気分をさらに昂らせた。

 黄色のベストを着た会場警備スタッフを横目にライン際へ進み、ジョギングを開始する。

 

 試合開始まで、あと1時間。

 

 何を見るでも無く前を向いてジョギングしていた俺に、突然前方からシュート性の速いボールが飛び込んできた。慌てて右足のインサイドでトラップし、ボールと共に自分の心を落ち着かせる。全くもう、と不満の気持ちを少しだけ乗せてボールを蹴り返す。俺からのパスを受け取った人物に反省の色はない。


「おー? 冷静だなー。いくらお前でも固くなるかなーって思ってたのによー」

「……危ないからヤメて下さいよ」


 再び走り出した俺の隣を並走するイケメン、立木さん。

 ドリブルをしながら観客席を見回し、白い歯を覗かせながら俺に笑いかける。


「大峰ー。どうよ、世界の舞台は? ……あー、お前国際大会の経験あるんだっけ?」

「経験はありますけど……全くの別物っすね。イギリスとの親善試合のときも思いましたけど、空気が……なんか、重いです」


 Jリーグで経験したことがない、U―15でも経験したことがない空気。どこがどう違うかと問いつめられれば、うまく表現はできない。ただただ感じる、いい知れぬ重み。

 

「そのうち慣れるだろうよ。だが俺みたいに国際試合くらいでしか興奮しなくなったら……それはそれで面倒だぜー?」

「はは。それは大変っすね」

「おっ! あの子カワイイ! 大峰! あっち行くぞー」


 民族衣装に身を包んだ、おそらくイギリスの女の子たちがゴール裏で楽器の演奏を始めた。こういったパフォーマンスも世界大会独特の雰囲気を盛り上げる。

 お気に入りの女の子の前から動こうとしない立木さんの襟を掴み、ジョギングを続ける。ふと気になりベンチ前へ視線を向けると、スタッフがカゴからボールを大量に取り出していた。そろそろ他の選手たちはパス練習に入ったようだ。

 

 日本代表の試合前練習はかなり自由。

 ジョギング、2人組でのパス練習、ステップワーク、シュート(もしくはロングパス)練習。気まぐれで沢田さんがクロスを上げ始め、それに合わせる練習、など。ライン際にマーカーを並べて行うステップワーク以外は、基本的に個々人で練習を行う。

 隣の陣営、スペインはメンバーを2つに分けてのロンド(通称鳥かご。円を作った5〜6人の選手でパスを回し、円の中にいる選手がそれを追いかける)に取り組んでいた。パスヴィアでは今でも毎試合行っているロンドだが、この代表ではほとんどする機会がない。どういう理由があるのかは知らないが。

 

 シュート練習まで終えたところで、場内に大歓声が巻き起こる。大音量で英語のマイクパフォーマンスが行われ、さらに観客を煽る。

 

「さて、そろそろ時間だな」


 沢田さんがスペイン陣営を見つめ、ひとりごちる。

 

 気付けばオレンジのトレーニングウェアに身を包んだ日本の選手たちが、専用通路へと吸い込まれていた。

 

 オリンピック、初戦。

 いよいよ、幕が上がる。

 

 

* * *



『さぁ44年ぶりのメダルをかけた、日本の若き侍たちの挑戦が始まります。ここ、ウェールズの首都、カーディフのスタジアムには歴史的な瞬間を期待した日本のファンも多く駆けつけています。実況は私、徳田。解説は元日本代表、今井さんでお送りします。今井さん、いよいよ始まりますね』

『はい。初戦いいスタートを切って欲しいですね』


『その初戦がいきなりスペインとの対戦になりました。このあたりについてはいかがですか?』

『日本のランキングが20位。スペインが堂々の1位ですから。当然観客の皆さんはスペイン優位と見るでしょうが……私は日本も負けていないと思います』


『スペインともいい勝負をするとすれば……どのあたりでしょうか』

『スペインはフル代表同様、U―23もパスサッカーを主体にしています。練度の高い連携とボール支配率は脅威ですが、個々のタレントは日本もいい勝負してますよ』


『特に注目選手を挙げるとすれば誰になりますか?』

『やはり立木でしょう。彼のパフォーマンスは底が知れない。今日もどんなプレーをしてくれるのか非常に楽しみです』


『あとは……やはり高校生のふたりでしょうか』

『ええ。彼らの力がどこまで世界に通用するのか。いちファンとして楽しみにしたいですね』


『スペインの選手はいかがですか?』

『スペインはSBサイドバックふたりが要注意です。左のデル・レイと右のグラシア。ふたりの攻め上がりには特に警戒すべきですね』


『戦術の面ではいかがですか?』

『おそらくボール支配率はスペインに持って行かれるでしょう。これはある意味仕方ありません。日本は高い位置でボールを奪ってからのカウンター。ここに期待したいですね』


『立ち上がりから注目しましょう。まもなく選手入場です』



* * *



「伊藤」

 

 狭い通路に響く、スパイクの音。

 入場整列を行っていた俺たちのもとへ黒田監督が歩み寄り、肩を叩く。通路自体が薄暗くて表情はよく見えないが、かなり険しい顔をしているように感じる。

 

「斉藤さんから全て聞いた。違和感を感じたらすぐに合図を送れ。いいな、これは命令だ」

「わかりました」


 伊藤さんはまっすぐピッチに視線を向けたまま、間髪入れずに頷く。先日見せた迷いの表情は一切ない。

 

「伊藤さん……」

「大峰君、ベストを尽くそう」


 濃紺と淡い水色。ふたつの青を絡めたユニフォーム。背中には18の数字。

 日の丸が描かれた左胸部分を握り、伊藤さんが目を閉じる。

 

 唐突に、場内で入場曲が流れた。けたたましいほどの大音量。

 

 これを受けた列の先頭が歩き始め、両チームの国旗を高々と掲げる。

 審判団がこれに続く。

 主審が出口すぐ、通路中央に置かれたボールを手に取ると、会場中から割れんばかりの拍手がこだました。


 国旗を先頭に入場行進。その後ピッチ上に整列。

 両国の国歌斉唱。

 

 国際試合でお約束の儀式を粛々と重ねるごとに、スタジアムの緊張感は高まって行く。

 

「おーし。ガキ共集合ー」


 日本陣地中央で腕を組む立木さんのもとへ、スターティングメンバーが集まる。

 右腕に黄色のキャプテンマーク。頼りがいのあるボスは、軽い口調とは裏腹に眼光鋭くスペインを睨む。 


「知ってるかー? 日本のA代表はスペインに勝ったことないんだぜー?」


 自然と選手たちは円を作り、肩を組む。

 

「海外メディアのお姉ちゃんが言うには……スペインは日本の研究なんざしてねぇんだとよ。つまり……なめられてるわけだ」


 スペインを睨んでいた立木さんがメンバーの顔を順番に見回す。

 

「こんなに面白ぇヤツらが揃ってるってのによー。オッズが倍違う? 上等じゃねーか。明日の新聞の見出しは『番狂わせ』に決まりだな」


 ふざけているように見せているが……立木さんの気持ちは全員に伝わっている。茶化す人はひとりもいない。全員の気持ちが――重なった。

 一度天を仰ぎ、勢いをつけて立木さんが一声。

 

「いくぞ!」

「「「おおぉ!」」」


 ピッチに散らばる選手たち。

 FWの俺はキックオフに備え、センターサークルの中へと歩を進めた。

 

 主審がボールを置き、他の審判へ合図を送っている。

 

 いよいよ始まる。

 

「大峰。最初から飛ばすけんな。乗り遅れんなよ」

「はい」


 ボールの上へ右足を置いて一言。南さんの赤いヘアバンドが青々とした天然芝の上ではよく映える。

 

 先程までドンドンと鳴り響いていた日本応援団の太鼓も今は静まり、ざわざわと喧騒を残すのみ。代わりに四方からフラッシュの嵐がピッチ上に降り注ぐ。

 

 次第に集中し、ピッチ外のことが気にならなくなってきた、そのとき。

 

 甲高い笛の音がカーディフの空気を切り裂いた。

 

 

 

 

 

 7月26日、木曜日、15時キックオフ。

 カーディフ、カーディフ・ミレニアム・スタジアム。

 ロンドンオリンピック、グループD、初戦。

 日本 V.S. スペイン。

 

 

 

 

 

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