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グループリーグ初戦、スペイン 1

 第一印象は、情緒もへったくれもない。


 ホテルからバスに揺られ、右手に歴史を感じさせる古城が現れたと思えば、すぐ近くの川沿いに巨大な建造物。今日の戦場、ラグビーの聖地として有名なこのカーディフ・ミレニアム・スタジアムは珍しい全天候型のスタジアム。怪しい雲行きに備え、現在は天井を固く閉ざしており、その外観は日本のドーム型球場を思い起こさせる。

 収容人数7万5千人の巨大なスタジアムは、まさに圧巻。

 

 専用のバスでスタジアムの駐車場に降り立った日本代表を待ち構えていたのは、各国のメディア。大きなテレビカメラ、マイクを携えた人々がお目当ての選手目がけて走り回っている。Jリーグの場合だと記者さんからの取材は決められた場所やブースで行うのが通例だけど、ここにいる人たちはそんなのおかまい無し。メディア一番のお目当て、立木さんがすぐさま人波の奔流に飲まれていった。

 俺はお願いだから誰にも捕まりませんように、という儚い希望を胸に、長身の中島さんに隠れてこっそり関係者入口を目指す。

 

「大峰君、隠れても無駄だよ。ほら」


 隣を歩く伊藤さんに促され、視線の先を辿ると……人波をかき分けてこちらへ向かってくる女性。

 女性は俺たちの目の前までやってくるとヒザに手を置き、荒々しく肩で息をする。あらかた呼吸を整えたあと、左耳に髪をかけ、キラキラの笑顔をこちらへ向けて一言。


「大峰君、伊藤君! 頑張ってくるんだよ!」

 

 関係者タグをぶら下げた片平さんが正面から俺と伊藤さんの肩を叩き、ありったけの鼓舞をした。

 伊藤さんと全く同じタイミングで吹き出す。

 

「片平さん……仕事しなくていいんすか?」


 俺の一言に「はっ! そうだった!」と自分の職務を思い出し、手帳を開いた片平さんだったが、何を思ったか再び手帳を閉じてポケットに差し込む。

 

「……あーもういいや! 試合が終わったあとに『勝ち点3を取って素晴らしいスタート切れましたね。感想は?』って聞くよ。考えといてね」

「……片平さんらしいですね」


 伊藤さんが微笑む。

 

「どうせ『今の心境は?』って聞いても『頑張ります』しか言わないでしょ。ならあたしは応援するだけ。……ほら、早く行きなよ。他に捕まる前に。今日のあたしは仕事サボるどころか、他社の営業妨害までしちゃう。大サービスだからね」

 

 片平さんに導かれ、背中を押され、入口に立つゴツいスタッフの横を通って関係者通路に入った。後ろを振り返った伊藤さんがボソッと俺に問いかける。

 

「……マスコミ関係の人たちがみんな片平さんだったらいいのに、って思ったことない?」

「毎日思ってます」


 メディア関連、マスコミ関係。

 話をおもしろおかしくすることができない俺は、試合後のインタビューや取材がとっても苦手。毎回「はい」や「がんばります」の一言で終わる俺を見て「もうちょっとなんかあるだろ」という意味有りげな視線が心をちくちくと刺す。

 みんなが片平さんだったら……楽だろうなぁ。俺、笑ってるだけでよさそうだ。

 

「片平さんに『最高の試合内容でした』って言えるようにしないとね」

「はい」


 静かに視線を交わす。


 白を基調とした奇麗な通路を進んだ先に見えた、ロッカールーム。関係者たちが続々と中へ吸い込まれて行く。言葉数少なく、緊張感をその身にまとい。



* * *


 

 広々としたロッカールーム内でミーティングを行っている日本陣営には、ぴん、と張りつめた空気が漂う。ある者はベンチに腰掛け、ある者は地べたに座り込み、大きなホワイトボードの前に歩み寄った黒田監督へ注目の的を向ける。

 黒田監督が全員を一瞥して、にやりと笑った。

 

「お前ら、優勝オッズの話聞いたか? 日本は軒並みスペインの倍あるそうだぞ」


 イギリスは特に賭けごとが盛んな国らしく、今回のオリンピックにも多くのブックメーカーがオッズを出しているらしい。どこかの記者さんが「日本がおよそ6倍」と言っていたので……おそらくスペインは3倍程度、ってことだろう。今年はブラジル、メキシコ、イギリス、スペインが優勝候補に挙げられている。

 

「身内びいきというつもりはないが……この評価、低過ぎると思わんか?」

「俺もそう思う!」


 黒田監督の問いかけに南さんが即答する。南さんの勢いに全員が苦笑し、場が和んだ。

 

「南の言うとおりだ。お前らの実力、個性は優勝候補のどの国にも劣ってはいない。俺もそれなりに日本サッカーを見続けてきたが……ここまで尖った代表は久しぶりだ。集まってくれたお前らに感謝する」


 いつになく饒舌な黒田監督。違和感を感じたのは俺だけではなかったらしく、隣に座る伊藤さんが疑問の目を向けていた。

 

「先日行ったイギリスとの親善試合、あれこそ俺の理想だ。本当のチームワークとはプレーの中で築かれるものだと思っている」

「……ふん」


 「チームワーク」という言葉に奥村さんが反応した。その様子を見ていた小野田コーチと佐野さんが顔を見合わせて小さく笑っている。


「立木という太い幹を中心に、各々が実にいい色合いを出している。どんな花を咲かせるかは……お前らに任せよう。それではスターティングメンバーを発表する」


 和んだ空気が一瞬で締まり、全員が黒田監督の言葉を待つ。

 

「GKはおか。DFは4枚。左から福井、中島、奥村、三宅」


 GKに岡さんが選ばれた。

 岡さんは今年30歳を迎えるOA枠の海外組。現在はスペインリーグのチームに所属するベテランプレーヤー。勢いの森さん、技術の岡さんと佐野さんが評していたのを思い出す。今日の相手、スペインの事情に詳しいところも黒田監督が岡さんを選んだ理由かな。

 

 DF陣はイギリスとの親善試合と同じ。中島さんを除く3人が海外組で個々の実力は相当なもの。イギリス戦では選手間の連携に若干の不安を見せたが……。

 

「MFは4枚。ボランチに伊藤、左に植田、右に沢田、前に立木。伊藤はバイタルでのアンカーに徹しろ。他3人は前線からのハイプレスを意識しろ」


 おそらく現在考え得る日本最強のMF陣。もはやA代表でもこのメンバーが最適ではないかと思ってしまう。桑原さんと鈴木さんという、攻と守のスペシャリストがベンチにいるなんとも贅沢な布陣。世界を相手に比較しても相当に層が厚い。

 懸念材料を挙げるとすれば……伊藤さんの体調次第、といったところか。

 

「FWは……」

「もちろん俺やろうもん! ねぇ、先生!」


 黒田監督の言葉をぶつ切りにして南さんが割って入る。未だかつて監督、コーチ陣にここまでフレンドリーな接触をする人を見たことなかったけど、南さんがそれをすると違和感無く受け入れてしまうのが不思議だ。不快感を見せる人はひとりもいない。

 

「……もちろんだ。FWは2枚。南と大峰。お前らには攻撃に関して特に指示は出さない。存分に暴れてくれ」

「いよっしやぁぁぁ! 待っとけよスペイン! 俺らがボコボコにしてやるけんなぁ! なぁ、大峰!」

「えーっと……はい! 頑張ります」


 かなり自己主張が強いと思いきや、「俺『ら』」と複数形にしてくれるあたりが、南さんがみんなから慕われる要因なんじゃないかな、と俺は心の中で思っている。

 

 オリンピック、初戦、スペイン戦、先発。

 黒田監督から俺の名前を聞くことで、遅過ぎる実感と共にようやく気分が高揚してきた。

 

「スタートはこれで行くが、全員途中交代の可能性があると思って緊張感を保ってくれ。流れを変えるキーマンが揃っていることも日本の強みのひとつだからな。戦術については小野田コーチからお願いします」


 黒田監督に場所を譲られ、小野田コーチがホワイトボードの前に立つ。

 

「もう一度簡単におさらいしておくぞ。各自準備しながら聞いてくれ。私達日本はグループD。ホンジュラス、モロッコ、そして今日の相手スペインと同じグループだ」


 ホワイトボードに大きく書かれたグループDの国名をそれぞれ指差し、小野田コーチが説明を始める。

 

「言うまでもなくこのグループ最強は、スペイン。つまり今日の勝敗が大きく今後の展開を左右することになる」


 無敵艦隊スペイン。

 現在世界で主流になりつつあるパス中心の戦術、ポゼッション・サッカーをいち早く浸透させたサッカー先進国。激戦のヨーロッパ予選を勝ち抜いた猛者たち。

 

「ヨーロッパ予選を優勝した実力は相当なものだ。今回OA枠は使用せず、若い選手のみで戦っているが……特にボール支配率は全試合において70%台をキープするという圧巻の数字を残している」


 スペインは「攻撃的な守備」を信条としていて、ボールを奪われた後に始まる連携の取れた、運動量が多いプレスが特徴的。これを90分やり抜けることは体力的にほぼ不可能と思われるが、圧倒的なボール支配率で守備の負担を軽減、文字通り「攻撃は最大の防御」を実践している。

 

「スペインはパスで穴を作るまで強引な攻めをしてこない。バックパスも多用してくる。そこを……大峰、南」


 小野田コーチの言葉に反応した俺と南さん。

 

「嫌気がさすくらいに追い回してやれ。途中でへばろうもんならすぐに交代させるぞ」

「はい!」

「うぃっす」


 徐々に緊張感を高め始めた南さんの表情に満足したのか、小野田コーチがひとつ頷き、視線をMF陣へ送る。

 

「立木、植田、沢田の3人はFWふたりと連携してプレスをかけろ。伊藤は前3人が動いて生じるバイタルをカバーすることを最優先に行動してくれ」

「オッケー」

 

 立木さんがスパイクの紐を締めながら、眼光鋭く応える。他3人は静かに小野田コーチと目線を合わせて首肯する。

 

「DF陣は奥村に一任する。MF陣とも上手く連携を取ってくれよ」

「わーかってますよ」


 奥村さんがさも面倒だ、と言いたげに首を振る。首を振った先で伊藤さんとばっちり目が合ってしまい、渋面を露にする。

 

「……頼んだぞ、岡」

「……まぁ、なんとかなるでしょう」


 GKの岡さんと小野田コーチがため息をつく。ふたりの気持ちは……俺もわかる。心配でしょうがない。

 全員がトレーニングウェアへ着替え、あらかた準備が整い、試合前練習へ向かうため選手たちが出口に移動し始めた。俺と伊藤さんもみんなに続いて出口へ向かっていたところで、ふたり一緒に黒田監督から肩を組まれた。

 

「さっきのオッズの話じゃないが……おそらく俺たちが勝つと思っているヤツは少ないだろう」


 俺と伊藤さんと肩を組んだまま突然話し始めた黒田監督の意図が掴めず、ソワソワとあたりを窺う。なぜか立木さんと沢田さんがこちらを向いてニヤニヤしていた。

 

「そいつらはな……知らないんだよ。日本に化け物がいることをな。お前らも一緒にプレーして思っただろ? 何でこんなヤツらがJ2にいるんだ、ってな」


 全員が賛同のリアクションを取る中、奥村さんと倉田さんだけは断固認めない、と言いたそうな表情をしていた。

 

「今日は世界へ向けてのお披露目会だ。きっちりお膳立てしてやれ。もれなく……勝ち点3が転がりこんで来るだろうよ」

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