始まりはカーディフから 1
……胸騒ぎがする。
沈んだ表情で、ピッチをあとにした伊藤さん。
交代直後、そのままチームドクターに医務室へ連れていかれた、伊藤さん。
ベンチから眺めていた俺は、伊藤さんの身になにが起きたのか全くわからず、ただただ、心配することしかできなかった。
「伊藤、いい感じやったやん。何で交代させられたとかいな?」
「……わかりません」
俺の隣に座る南さんが、自身が感じた率直な疑問を俺へ向けてきた。
伊藤さんはプレー中、時折苦痛に耐えるような表情をしていた。おそらく体調が悪かったんだろう、ということくらいしか……俺にはわからない。
気になるのは……頭を押さえていたこと。
イギリスの狂獣、イーサン・オースティンが放った芸術的なループシュート。観客を沸かせたビッグプレー。それを……さらに上回るスーパープレイで阻止した伊藤さん。
あの驚異的な戦術眼と、ループシュートへ追いついた驚異的なスピード。
思考型ゾーンと行動型ゾーン、どちらにも入っていた。これは……多分間違いない。
問題は、そのプレーの直後……頭を押さえていたこと。
……俺の思い過ごしだといいけど。
「まぁ十分アピールはできたやろ。あそこまで奇麗にDF陣を統率して、最後は自分の力であのニワトリを止めたっちゃけん。これ以上奥村がガタガタ言ったら、俺がボコボコにくらす」
「ボコボコにくらすって……あの、南さん……どうぞ穏便に」
これは俺の主観たっぷりの推測だけど……伊藤さんの実力は、誰もが認めていると思う。合宿を一緒に行った国内組はもちろん、今日初めて一緒にプレーをした海外組の人たちも。……もちろん、奥村さんも。
サッカーは、実際にプレーをしてみないと実力がわからないことが多い。
どんなに結果を残している選手でも。
どんなに前評判が良い選手でも。
逆に言えば……本物のプレイヤーを見分けるためには、一度だけ、一緒にプレーをするだけ。それだけでいい。それで……ほとんど伝わる。
佐野さんがハーフタイムに言っていた言葉を思い出す。
『個性があって尖っているほうが、まとまったときのパワーはスゴいもんだよ』
今日の親善試合で、ようやく個性派揃いの日本はまとまるキッカケを作ることができた。まとまるキッカケを作ってくれた、伊藤さん。
「ナイスディフェンス!」
イギリスのCKを跳ね返した奥村さんへ向けて、大声を出す。伊藤さんを心配して負のループに入ってしまった感情を……無理矢理奮い立たせるように。
伊藤さんが抜けた穴をしっかり埋めようと奮闘する日本DFを見つめながら、俺の両手は、無意識にヒザの上で固く握られていた。
* * *
「大峰ー! こっち来い!」
沢田さんが俺に向かって手を大きく振っていた。隣にいるのはイギリスのジェイコブ・エーブリー。沢田さんと同じヴィンシェスター・ユナイテッドに所属する、天才ドリブラー。年齢も沢田さんと同じ21歳だったような気がする。
はやる気持ちをどうにか抑え、沢田さんたちのもとへ向かう。走りながら周りを見ると……日本の選手たちとイギリスの選手たちが、ピッチ上でそれぞれコミニュケーションを取っていた。今の日本は海外組の選手が多いから、言葉の壁は案外低いのかもしれない。
試合は、惜しくも4―5で日本が敗れた。
伊藤さんが交代したあとも奮闘を続けた日本だったけど、結局はエーブリーとオースティンのふたりに振り回された。
前半すでに2点決めていたエーブリーから後半25分に3点目を決められ、後半36分にオースティンから豪快なミドルシュートを決められてしまった。
試合終了間際に、立木さんのスルーパスを受け取った倉田さんがどうにか1点返したが、反撃もそこまで。
世間はこの敗北を惜敗と言うかもしれないけど……俺は、まだまだイギリスの壁は高いような気がしている。
なんせ、イギリスはOA枠の選手をひとりも使わなかった。オースティンの連携が拙かったのも、おそらくイギリスの精神的支柱がベンチのままだったから。そう考えると……イギリスはまだまだ底を見せていない。さすが優勝候補の一角。
脳内反省会をしているうちに、沢田さんとエーブリーの前へと来ていた。
いやしかし……いざこういう場面に遭遇すると、緊張してしまう。
エーブリーが、俺をガン見してる。昨日までテレビでしか見たことなかった、イングランドリーグで大活躍している、有名選手が。
「……なんでそんなに緊張しているんだよ。一緒にプレーもしただろうが」
カチコチの俺を見て、沢田さんがため息をひとつ。
いや……これはしょうがないじゃないっすか。思わずジローと初めてパスヴィアで会った日のことを思い出してしまった。
「ほら。自己紹介くらい自分でしろ」
「は……はい! あー、アイム、ヒロタカ、オオミネ。……つ……伝わってますでしょうか?」
「……クックック」
俺の自己紹介を聞いたエーブリーが「無理無理! ヤバいわ、コイツ!」とでも言いたそうに表情を崩し、大声を出して笑い出した。続けて英語でペラペラ沢田さんに話している。
自己紹介で爆笑された俺って……。ちょっとショック……。俺の落胆した表情を見て、エーブリーが慌てた素振りを見せる。
「Ah……SAWADA. How to say 'sorry' in Japanese……yeah……。ゴメン、ナサイ。Nice to meet you, Omine. I'm Jacob Avery」
丁寧に日本語で謝ってくれたエーブリー。続けてペラペラと続いた英語を、沢田さんが通訳してくれた。
「君のプレーは素晴らしかった。後半交代してしまったのはとても残念だったよ。もっと一緒にプレーしたかった、ってよ」
エ……エーブリーの口からそんな言葉が……。感激の余り、沢田さんが俺に気を使って、褒めてるところだけ通訳しているんじゃないか、と疑ってしまった。
「組み合わせ上、日本とイギリスが本戦で当たるとすれば決勝だ。ぜひもう一度戦おう、って。……おー、やたら気に入られたな、大峰」
そうだ。
イギリスへリベンジするためには……決勝まで行かないといけない。なんといっても……俺は今日オースティンとプレーすることができなかった。エーブリーとも満足にプレーできていない。
俺だって……もう一度、勝負したい。
「ぜひロンドンのスタジアムでお会いましょう、と伝えて下さい」
「……言うねぇ」
沢田さんが英語でエーブリーに話しかける。沢田さんの言葉が終わる前から、エーブリーは俺の方へ向き直り、じっと俺の目を見つめていた。
すっ、とエーブリーが右手を差し出す。
「See you later」
とても短い、別れの挨拶。
たったそれだけの一言なのに、エーブリーの熱い気持ちが伝わった。ロンドンのスタジアムで……もう一度……。
「はは。大峰君、緊張し過ぎじゃない?」
歩いて行くエーブリーを見送っていると、後ろから声が掛かった。
いつもの調子で、ちょっとだけ混ぜられたからかいの気持ちが……胸をくすぐる。
「伊藤さん!」
すでにジャージへ着替えていた伊藤さんが、いつもの優しそうな笑顔を俺に向けていた。
「体調は……大丈夫なんですか?」
「うん。心配かけてしまったみたいだね。ごめんね」
……特に変わったところは、ない。
伊藤さんが嘘をついているかどうか見抜く技量なんて……はなから俺は持ってない。でも……今日の伊藤さんは、目を逸らさない。多分……嘘はついてない。
「……よかった」
「伊藤。オースティンがお前のこと探してたぞ」
沢田さんの一言で、露骨に顔をしかめる伊藤さん。そう言えば試合中にも何か話しているっぽかったな。伊藤さんも英語話せるのかな。
「そうですか。特に交流を持ちたいとも思わないんで、このまま帰ります」
「あの狂獣が積極的にコミニュケーションを取るとはな……初めて見たよ。プレー中は何を話してたんだ?」
「……些細なことですよ」
ふむふむ。
つまりは……なんかあったわけか。
「大峰君。明日ちょっとつき合ってもらいたいんだけど」
「明日っすか? 女子の試合見に行かないんですか?」
日本の初戦は26日の明後日だけど、女子の初戦は1日早く、明日の25日。グループリーグ初戦がたまたま同じスタジアムでの試合になったので、当然みんな女子の試合を見に行くと思ってた。
「女子の試合が終わったあと。明日は夜のミーティングもないって言ってたから」
「……おっけーです。でも……何しに?」
こんなことを伊藤さんが頼んでくるってことは……やっぱり……。
「……ちょっとね。共通の知人に会いに」
「……なるほど」
もしかしたらこんなこともあるかもしれない、と心の中では思っていた。あの人なら……イギリスまで飛んできても、驚かない。
「大峰。伊藤。戻るぞ」
沢田さんがピッチの外へ向かって歩きながら、俺たちに声をかけた。
「「はい!」」
気付けば日が傾き始め、真っ赤な夕日がシティ・スカイスタジアムの天然芝を色濃く染め上げていた。ピッチ内にはほとんど選手が残っていないのに、熱心なイギリスサポーターたちが未だピッチに向かって歓声を上げていた。
イギリスのサッカーファンと言えば過激なイメージしかなかったけど、どうもそればかりではなさそうだ。
試合中はイギリスだけでなく、日本のビッグプレーに拍手を送ってくれたときもあった。伊藤さん交代のシーンでは、アウェーにも関わらず大きな歓声が巻き起こりもした。
『ワァァァァ!』
……!
伊藤さんが観客席に向かって手を振ってるとこ……初めて見た。
右手を大きく挙げて。いつもの優しい笑顔で。
そっか。
苦しんでいた伊藤さんを笑顔に変えてくれたのは……暖かく見守ってくれていた、イギリスサポーターだったのかもしれない。
* * *
「大峰君! 伊藤君も! 絶好調じゃん! やっぱりあたしの目に狂いはなかったー!」
「片平さん。どうか落ち着いて下さい」
「これでまたふたりの株が上がりましたね。……ふふふ。これは近い将来海外リーグから声がかかるのも……」
「大峰君はいつも大変だね」
大声ではしゃぐ、27歳、女性。
それを必死にたしなめる、16歳。
ひとりでブツブツつぶやく、27歳、男性。
余裕の表情で紅茶をすする、18歳。
カーディフ。
ロンドンから電車で2時間、ウェールズの首都。
街の中心部、大通りに面した一角にある、とあるオープンカフェにて。




