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本戦直前、最後の親善試合 5

 後半が始まってから、日本は防戦一方。

 

 巧みな組織的サッカーと、圧倒的個性。

 両者が見事に融合したイギリスのサッカーに、日本選手のほぼ全員が振り回されていた。

 

 ピッチを縦横無尽に走り回るオースティンに気を取られれば、エーブリーが空いたスペースへ飛び込んでくる。

 エーブリーに気を取られれば、2列目、3列目からロングレンジのシュート。

 多彩な攻撃に翻弄されて、日本は全くリズムを作れない。

 

 日本の選手たちは僕の指示通りにポジショニングして、考え得る最前の対処をしている。にも関わらず、これだけ攻め込まれるということは……何か他の要因があるのかも知れない。

 ひとつ考えられるのは……オースティンを必要以上に意識してしまっているのではないか、ということ。

 実際、オースティンが脅威であることに疑問の余地はない。だけれど、オースティンとその他のイギリス選手との連携は、非常に拙い。

 彼はプレーの、そのほとんどを単独で行おうとしていた。周りからのフォローが期待できない場面でも、立木さんへ強引に勝負を仕掛けている。1対1であれば立木さんがきっちり抑えているし、今は立木さんもラフプレーに冷静さを欠かさず対処していた。

 

 つまり……オースティンへ傾けた心のバイアスを……もう一度、フラットな状態に戻す。

 これで勝機が見出せるかもしれない。

 

『オオォ!』


 中盤でボールを受け取った桑原さんが、イギリスディフェンスが見せた一瞬の隙をつき、FWの倉田さんへ絶妙なスルーパスを通した。後半に入って初めて日本がビッグチャンスを作ったことで、スタンドを埋めるイギリスサポーターから上がった悲鳴の声が重なる。

 倉田さんはスピードに乗ったままシュートをするが、惜しくもマークについていたイギリスDFの足に当たり、ボールはゴールラインを割った。CKコーナーキック

 

「中島さん、奥村さん。上がって下さい。ここは多少強引でも流れを作りましょう」

「しかし……」

 

 さっさとペナルティエリアの中へ走って行った奥村さんと対照的に、中島さんは二の足を踏んでいる。この心配性はDFとして必要な要素のひとつだとは思うけれど、ここは……思い切り良く行くべきだ。

 

「立木さんはオースティンで頭がいっぱいになっています。いつもの攻撃性を発揮出来ない可能性が高い。SBサイドバックの三宅さんと福井さんがやや引いてくれてますから、守備は問題ありません」

「……わかった」


 ここでエーブリーへ張り付いていた中島さんを前に送り出すのは……ひとつのカケ。リスクは当然高い。けれど……もしカウンターが来ても、立木さんがオースティンを抑えてくれる、という信頼。

 

 ……はは。僕が「信頼」なんて言葉、使う日が来るとは。

 

 自虐的な思考が僕の心を闊歩した、そのとき――

 

「Hey, you are …… ITO, innit?」


 センターサークル付近にいた僕の隣から、聞き慣れない単語を伴った英語が飛んできた。

 

 オースティン。

 

 いつからそこに……。

 いや。その前に、なぜ僕の名前を。

 

「Your defence in the first half was bloody cool」


 オースティンが……僕を褒めてる?

 どういうことだ?

 

 全く予想だにしなかった今の状況に、僕の頭がついていかない。心臓の鼓動が否応なく早まる。

 

「伊藤! とさかが何を言ってるか知んねーが、惑わされるんじゃねーぞ!」


 少し離れた場所から、立木さんが声を張りながらこちらへ駆け寄っている。

 

「Damn it! ……You can speak English, innit? My point is bloody simple. You actually can get in the zone, right?」

 

 ……!

 僕がゾーンへ入れることを……見抜いている!

 

「I have been waiting for this moment」


 そこまで早口で捲し立てると、オースティンは右サイドのポジションへと戻って行った。

 

 これは……どう捉えるべきなんだろう……。

 今日僕は行動型ゾーンへ1回も入っていない。

 オースティンの指す「ゾーン」は、間違いなく「思考型ゾーン」を指している。だけれど、オースティンは日本語がわからないはず。僕が日本選手へ指示を出していたところを見て……ゾーンだと判断した……?

 そして……僕のような人間が現れることを……待っていた?

 これは……。

 

「……う! 伊藤!」


 薄暗い、狭い自分の世界で自問自答していた僕を、立木さんが現実へと引っ張り上げる。

 

「惑わされるなっつってんだろーが! お前の動揺は全員に響いちまうぞ!」


 右から三宅さん、左から福井さんが僕に視線を向けている。ふたりともにマイペースな性格をしているが、共通しているのは……値踏みするような、目つき。僕を……観察している。

 

 立木さんの言うとおりだ。

 船頭を買って出た僕が精神的に揺れてしまえば、それはすなわち日本の連携崩壊を意味してしまう。

 迷ってる場合じゃ、ない。

 

「……もう大丈夫です。立木さん! オースティンを空けて上がって下さい!」

「伊藤……」

「エーブリーとオースティン以外の選手は引いて守備をしています。もしカウンターが来ても、三宅さん、福井さんと必ず守り抜きます」

「だが……」

「行って下さい! もう沢田さんがボールをセットしています!」


 僕と立木さんのやり取りに三宅さんが頷き、福井さんが右手でオーケーマークを作った。

 

「……わかった。頼りにしてるぜー!」


 眼前に、戦場。

 両軍の選手、それぞれがペナルティエリアの中で必死に身体をぶつけ、良いポジションを取ろうとしている。

 立木さんはペナルティエリアの中までは入らず、ギリギリ手前で立ち止まった。

 

 立木恭介が、狩りの準備に入った。

 

「伊藤くーん。俺はエーブリー見ておくねー」

「お願いします」

「……では、自分は右サイド重視で」


 センターサークルに残った日本選手は3人。

 比較的高いポジションに残ったイギリス選手はふたり。

 

 エーブリーとオースティン。

 

 立木さんを前に行かせたのは……僕だ。

 もしカウンターが来れば、責任を持って僕がオースティンの相手をする必要がある。

 

 ズキンッッッッ

 

 ……頭痛なんて気にしてられない。

 

 立木さんが……僕を信頼してくれたんだ。

 絶対に……止める!

 

 鈍痛から気を紛らわせるように固い決意を心に残した、まさにそのとき。右コーナーで沢田さんが助走に入った。

 

 ゴール中央、ド真ん前には中島さん。

 ファーサイドに奥村さん。

 

 FWの南さんが下がったので日本は高さがある選手が少ないが、イギリスの守備もそんなに高いわけではない。

 ピンポイントで長身選手へ合わせられれば、十分勝機は――

 

「立木さん!」


 沢田さんの動き出しを見て、ニアサイドへ猛烈なスピードで突っ込んだ立木さん。

 さらにそのすぐ後ろを……オースティンが追いかける!

 

 おそらく立木さんは気付いていない……!

 

 沢田さんは――ニアサイドへ低い弾道でボールを蹴った。間違いなく立木さんを狙ったボール。

 

 まずい!

 

 後半すぐのラフプレーを見ても……オースティンは強引なプレーで立木さんを止めに行く可能性が高い。

 この試合は、たかが親善試合。

 命を張るなんて馬鹿げている。

 

 僕がこのあとの展開を予想して心配を募らせたところで――立木さんが全速力で走りながら、チラッと後ろに視線を向けた。

 

 ――オースティンの存在に、気付いている!

 

 ゴール右ポストから、3mほど右寄り。

 立木さんとオースティンがジャンプして飛び込んだ。

 このタイミングだと右足でボレーするのが定石だが――立木さんは空中で身体を反転させ、右太ももでボールをトラップした。

 

 続けて飛び込んできたオースティン――もはや、飛び蹴り、と表現したくなる――を、冷静に躱す。着地した瞬間に体勢を低くして。オースティンが立木さんのすぐ上空を通過する。

 

 すぐさま体勢を立て直した立木さんが、群雄割拠のゴール前へとボールを入れた。

 

 頭ひとつ抜け出した、中島さんを目がけて。

 

「おおぉぉ!」


 気合い一声、中島さんが宙を舞う。

 

 イギリスの長身選手と空中で競り合う。

 

 空中で体勢を変えてイギリス選手を躱し――高い打点からのヘディング。

 

 ボールは――ワンバウンドしてイギリスゴールに襲いかかる。

 

 目の前でバウンドした難しいボールを――イギリスGKが懸命に右手を伸ばして、ボールに触った。

 

 ボールは――ゴールバーに当たり、左サイドへと流れた。

 

 ――来る!

 

 日本選手、そのほとんどがゴール前に集まっていた。こぼれたボールはイギリス#7が確保し、日本選手はプレスをかけられない。

 

「福井さん! 来ますよ!」

「あいよー」


 イギリス#7は、前線に残っていたエーブリーへボールを繋ぎ、すぐにカウンターの構えを見せる。

 

 こうなると……やっぱり来た。

 

 イーサン・オースティン。

 

 立木さんが後ろを追っているけれど、これは……間に合いそうにない。エーブリーの突破力とオースティンのスピードを考慮すると……。

 

「三宅さん! 中をお願いします! 僕がオースティンにつきます!」

「了解」


 SBの三宅さんとポジションをチェンジ。

 

 自陣側へ引き返しながら、戦況を確認する。

 

 攻め上げって来たのはエーブリーとオースティンのみ。

 向こうはふたり。こちらは3人。

 

 本来であれば、オースティンをオフサイドポジションへ持って行き、エーブリーとオースティンのふたりをケアすることも可能。だけれど……。

  

 エーブリーの突破力。

 

 これは無視できない。

 

 やはり、オースティンへの警戒をフラットに戻すべき。

 

 ひとりでも……止めてみせる!

 

「WOW! Bloody good situation!」


 オースティンが僕の目の前で一度立ち止まり、両手を広げて獰猛に笑う。

 

 左を見ると、福井さんの厳しいチェックに、エーブリーが1度ドリブルのスピードを緩めていた。

 当然、オースティンもこの状況をわかった上でこのパフォーマンスを行っているんだろう。彼の行動は……額面通り受け取れない。

 

「伊藤君!」


 福井さんが警戒の声を上げる。

 

 エーブリーが強引に突破。

 

 福井さんと三宅さんの二人掛かりでも、ついて行くのがやっと。

 

 エーブリーがこちらに向かってボールを蹴った――まさにそのとき。

 

 オースティンが猛スピードでボールに飛びつく。空中でボールをトラップし、四肢を使って地面に着地した。

 まさに、俊敏な肉食動物が見せる狩りのような動き。

 

 ――行かせない!

 

 素早く立ち上がってドリブルを始めたオースティンと並び、日本ゴールへと激走する。

 

 ゴールまで……あと20m。

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