本戦直前、最後の親善試合 4
奥村さんと競り合っていた、イギリス#8がパスを送る。
ボールは中央、つまり僕の目の前に突っ込んでくる#19とエーブリーを――飛び越え、逆サイドの#7に渡った。
胸トラップでボールを落ち着けた#7には――中島さんが素早くマークへ付いていた。
おそらくすぐにドリブルを開始しようとした#7は、予想外の展開にワンテンポ遅れる。後ろから追いついてきた日本SBの福井さんがその隙を逃さず、ボールをサイドライン外へとスライディングで弾き出した。
「オッケー! ナイスカット!」
中島さんが手を叩きながら、福井さんへ向かって声を張る。
ピィィィィー!
このタイミングで主審が笛を吹き、一旦試合が止まった。イギリス選手が交代するみたいだ。
「伊藤。ナイス判断」
「ありがとうございます」
中央へ戻ってきた中島さんと軽く手を合わせる。
「今の展開予想は確かにスゴかったが……一歩間違えたらかなり危ない場面だったぞ?」
「#8のパスモーションはかなりわかりやすいクセがあります。ロングボールを入れるときのフェイントを見せた時点で、エーブリーには来ないと判断しました」
中島さんが信じられない、といった表情で僕を見つめる。
しまった。ちょっと詳しく言い過ぎた。……ゾーンのことは例え同じ日本チームの選手であろうと……言えない。言うべきではない。ここは、うまくごまかしておくべきかもしれない。
「それだけでここまできっちり読めるものか……?」
「ある程度の自信はありました。前半でイギリスはエーブリーを使ったパターンをかなりの数試していました。この試合が最終調整の親善試合であることを考慮すれば、後半にその他のパターンを試してくる可能性が高い。物的証拠と状況証拠の合わせ技です」
少し苦しい言い訳のようになってしまったけれど、焦点を「状況からの判断」へ誘導することはできたと思う。なおいぶかしげな顔をしている中島さんも、これ以上は突っ込んでこないだろう。
「……相変わらずの戦術眼だな。この調子で頼むぞ」
「はい」
「気ぃ抜いてんじゃねーぞ。こっからが本番だ」
奥村さんに促されるまま、サイドラインへ目を向けると……
狂獣。
金髪の、とさかにも似たモヒカン。黒い肌。
イーサン・オースティンが早くピッチへ入りたいという気持ちを抑えきれないのか、サイドライン外で足踏みをしている。獰猛な笑みを浮かべ、足取り軽く。
彼の姿はテレビで何度も見ていたけど、生のオースティンを見ると……不思議な圧力に圧倒されそうになる。
驚異的なスピード。
抜群のバランス感覚。
どこからでもゴールを狙える、常人離れした決定力。
まさに、獣。
「うひょー。きたきた」
SBの福井さんがその場で屈伸を始め、眼光するどくオースティンへ視線を向ける。
福井さんだけじゃない。
全員がオースティンの交代で目の色を変えた。
「伊藤」
後半はボランチを務める立木さんが、僕へ声をかける。プレー中はあのちゃらい雰囲気を消す立木さんだけれど、いつもに増して表情に凄みが出ていた。感性で動く立木恭介も、狂獣が放つオーラに警戒心を強めた、というわけか。
「俺をオースティンにマンツーでつかせろ」
この申し出は――はなから予想をしていた。もとより、立木さんクラスでないとあの狂獣には付いて行けないと思っていた。断る理由はない。けれど……。
「立木さん……冷静さを、保てていますか?」
どうしてもこう聞かざるを得ない。
「俺は冷静だ。……2年前からな」
立木さんにとっては、決して小さくない、オースティンとの因縁。
……2年前、当時テレビで見ていただけの僕でも――立木さんの辛酸を飲み込む表情が脳裏から離れない。当の本人にとっては忘れられない過去の一つなんだろう。
「……わかりました。ただし、僕もすぐにフォローへ入れる位置にポジショニングします。無理にひとりで相手せず、僕を上手く使って下さい」
「……全部お見通しかー。さんきゅー。ちょびっとだけ……身体が軽くなったわ」
立木さんが強固に整えていた表情を緩めた。ほんの一瞬だけ。
あの立木恭介をここまで固くさせる、オースティン。
16歳の若さでワールドカップに出場した実力は……伊達じゃない、ということだろうか。
まずは万全の体勢を整えよう。
「福井さん。オースティンは立木さんがマンツーで付きます。福井さんは2列目、3列目からの飛び出しを最優先にケアしてください」
「あいよー」
気の抜けるような返事が福井さんから返ってきたけれど、これはあの人が平常運転している何よりの証。特に心配はいらないようだ。
「中島さん。オースティンへのケアは僕が行きます。中島さんは思い切りエーブリーへバイアスをかけて下さい」
「りょーかい!」
中島さんからは気持ちの良い返事が返ってくる。
あとは……。
「奥村さん。その他のケア全て任せていいですか?」
「……誰にもの言ってんだ、小僧」
「お任せしました」
「……ちっ」
前半から変わらず、僕の目を全く見ようとはしないが……僕が伝えたかったことは十分伝わっただろう。
「隙あらば、三宅さんと攻め上がって下さい。三宅さんサイドのイギリス選手は……」
「わかってんだよ! いちいちくそガキにご進言いただかなくてもなぁ!」
話が聞こえていたんだろうか、三宅さんが僕の方を向いて、コクンッ、とひとつ頷いた。
これで今できる準備は整った。
あとは、相手しだ……
ズキンッッッ
突如、ハンマーで殴られたような鈍痛が、僕の左こめかみを襲う。
……またか。
残念ながら……思い過ごしじゃなかったみたいだ。
「……おい。そろそろプレーが始まるぞ。集中しろ」
「……はい。すいません」
奥村さんはこれで案外、他人の変化に聡いところがある。……気付かれるわけにはいかない。
せっかく……ここまで来たんだ。
こんなところで、終われない。
「植田ぁ! 俺がオースティンにくっついてそっちいたら迷わずスイッ――」
「さっそくですね。了解です!」
「待てやにわとりがぁー!」
ピッチへ入ってきたオースティンが、立木さんを引き連れてサイドラインを駆け上がっていた。
本来、オースティンはサイドMFのポジション。
サイドを崩してクロスを上げるのが主な仕事だけれど、とにかくプレーの幅が広過い。安易に予想を立てられない。
でたらめな動きは僕がもっとも苦手とするところ。
本来であれば、オーソドックスなスコアラータイプのエーブリーを僕が見るほうが相性はいい。だけど、中島さんのスピードではオースティンについて行くのは厳しいかもしれない。
かなりきつい守備になりそうだけれど、ここは立木さんに頼るしかない。
ややサイドよりのポジションへ動き、立木さんのフォローへ入れるポジションへ移動する。各自、自分のマークとオースティンのどちらも警戒していた。
日本ディフェンスが緊迫した空気を共有したところで、イギリスのスローインからプレーがリスタートされようとしていた。
オースティンが日本ゴールライン際まで勢いよく走っているが、立木さんのタイトなマークのおかげであちらにボールは入れないだろう。
となると……
「福井さん! #7! 後ろからのオーバーラップはMFに任せましょう!」
「はいよー」
イギリスの攻撃自体は枚数が多いわけではないけれど、3列目からの飛び出しも警戒しなくてはいけない。僕はオースティンを最優先しなくてはいけないので……
「桑原さん! バイタルエリアのケアをお願いします!」
「まかされた!」
まずはこの窮地を全員守備ででも乗り切るべきだ。
体勢を整えたところで、イギリスが#7へスローインでボールを入れた。
福井さんがタイトにチェックしているおかげで、安易にクロスを入れられる心配はない。あとは、中央へ繋がれることを最優先に注意すれば――
突如、ゴールラインに向かって走っていたオースティンが、急反転してボールホルダーのイギリス#7へ向かう。
「そう簡単に俺を振り切れると思うなよこのとさかがぁ!」
立木さんが素早く反応し、オースティンと並んでピッチ上を駆け巡る。
あっという間にオースティンがイギリス#7にたどり着き、足下でボールを受ける。受ける、と言うよりは奪う、が近い。
すぐに立木さんが身体を入れて、ボールを奪おうとしたところで――
オースティンのヒジが――立木さんのみぞおちに入った。
「が……はっ」
たまらず、立木さんがピッチ上に崩れ落ちた。
ピピィィィィィィィ!
甲高い笛の音が、ピッチ上にこだまする。
――ファール。
レフェリーがオースティンへ駆け寄り、すかさずイエローカードを提示する。
『オオオォォォ……』
イギリスサポーターは間違いなく彼の暴れっぷりを知っている。観客の大多数を占めるこのリアクションは、おそらく……「またか」。
「What the hell are you looking at !?」
「Stop! Austin!」
レフェリーにつっかかろうとしたオースティンを、すかさずイギリスの選手が止めに入った。
「こん……の、くそガキがぁぁぁ!」
「立木さん! 待った待った!」
こちらも負けじとヒートアップした立木さんを、植田さんが必死になだめていた。
「こりゃ……親善試合とはいえ、荒れそうだな」
「そうですね」
ズキンッッッ
……まずい。周期が短くなっている。
今日に限れば……猶予の時間は少ないかもしれない。
早く、結果を残さないと。
再び左こめかみに訪れた痛みに耐えながら、オースティンと立木さんの小競り合いを眺めていた。




