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ためらっていた、大きな一歩

「ヒロと散歩に行くの、久しぶりだね」

「そうだなぁ。最近バタバタしてたし」

 

 涼しい海風が辺りを吹き抜け、彼女の髪を撫でる。

 隣で微笑む幼馴染、結衣。

 

 真っ赤な夕暮れ。

 自宅近くの海岸線。

 耳をくすぐるのは静かな波の音と、結衣の声だけ。

 

 沖縄の海に比べれば奇麗とは言えないのかもしれないが、俺にとっては見慣れた風景。大パノラマの海が、近頃少しだけささくれていた心を優しく撫でてくれる。

 

「初戦が7月の26日だから……あと2週間か。なんだか……あっという間だね」

「……そうだな」


 最初のU―23代表発表から、早2ヶ月半。

 沖縄合宿から、1ヶ月。

 つい先日オーストラリアとの親善試合が終わり、U―23日本代表はいよいよロンドンでの本戦に向けて最終調整に入っていた。

 そして……オーストラリア戦の翌日、ついに黒田監督が最終メンバーの発表を行った。結果は事前にメディアが大方予想していた通りの結果となった。

 

 海外組の7人。

 オーストラリア戦に参加した7人。

 これに……俺を含むオーストラリア戦不参加の8人。

 

 合計22人。

 

「ヒロ……疲れてない?」

「ん……大丈夫。ありがと」

 

 U―23代表、パスヴィア、学校、雑誌の取材、テレビ出演。

 

 U―23代表とパスヴィアを両立するのは、思ったほど大変ではなかった。もともと俺は一定期間サッカーをしていないとヒザがブルブル震え出す、重度のサッカーやりたい病患者。たくさんのスゴい人達とプレーをする刺激いっぱいの日々に、むしろ感謝している。疲れたなんてほとんど感じていない。

 問題は……

 

「学校の事なら、あたしがサポートできるんだけど……取材とかは、ねぇ」

「気持ちだけもらっとくよ。疲れてなんかいないから……心配すんな」


 雑誌の取材。テレビ出演。

 

 みんなが片平さんみたいな人だったらいいのに……と思った事は、正直何度もある。

 

「……ホントに疲れてない? あたしの目を見て」

「疲れてねーよ」


 俺の前を歩いていた結衣が突然立ち止まる。

 鮮やかな夕焼けが、くるっと廻って後ろを向いた結衣の背後で煌々と燃える。太陽に負けないくらいの大きな熱量。強い意志を感じる、結衣の瞳。

 

 1秒目を見ただけで、悟った。負けた。

 

 ……結衣には敵わないな。

 

「……参った。疲れてる。意味わかんないテレビとか表敬なんちゃらのせいでめっちゃ疲れてる」

「……よろしい」


 両手を挙げ、肩をすくめて降参の意を表す。

 

 瞬間的に結衣の顔が綻ぶ。

 太陽に負けないくらい暖かい、俺の心を鷲掴みする、結衣の笑顔。


「弱音……吐いてね。あたし、何でも受けとめるから」

「……ああ」


 結衣がゆっくりと、ゆっくりとこちらに歩いてくる。

 

 夕焼けを背に。

 

 結衣の両手が正面から俺の首筋に絡まる。

 

 結衣がくいっ、と優しく俺を引っ張る。

 さしたる抵抗もせず、俺は自分の顔を結衣の右肩の上、きれいな栗色の髪に埋めた。結衣が発する引力に素直に従う。


 心と身体を結衣に預けたことで、暖かいまどろみの中に落ちてしまったように感じていた。

 

「昔から……弱音吐かなかったもんね。どんなに疲れても、どんなに辛くても、どんなに……悲しくても」

「…………」

「でもね、あたしも強くなったよ。言ったでしょ? あたしがヒロを支えるの」

「……ああ」

 

 この位置から結衣の表情は伺えない。

 でも……きっと優しい顔で笑ってくれているんだろう。

 

「全部を上手くやろうとしなくていいよ。失敗してもいいじゃん。ヒロらしく……ゆっくりでいいよ」


 結衣が俺の後頭部をくしゃっと掴んでそのまま強く引き寄せる。


「あなたはひとりじゃない。あたしがいる」


 いつも明るく、俺を励ましてくれる……幼馴染。

 

 その幼馴染が放つ、あまりに優しい包容感。

 あまりに直球な感情の衝突。

 

 彼女が俺にぶつけてきたエネルギーはあまりに大きく、心の奥深くに停滞していたもやもやを……ものの見事に消し飛ばしてくれた。

 

「……結衣。ありがとな。感謝してるよ」


 結衣の細い身体を包む。ぶらぶらさせていた俺の両手で。

 

「……感謝なんて、ヒロから初めて言われたよ……」

「毎日……感謝してる」


 結衣が身じろぎして、俺から離れようとした。

 

 ……逃がすかっつーの。

 俺の心の中に溜まった感謝の気持ちは……もう溢れちゃったんだよ。

 

「ごめん。あ、あたしが変な事言っちゃったから……。大事な時期なのに……。ヒロはサッカーだけに集中して」

「バーカ。お前がいてくれるから……俺は頑張ってるんだよ」

 

 もぞもぞしていた結衣の動きがピタッ、と止まった。

 

「……ヒロ」


 結衣に負けじと、右手で彼女の後頭部をくしゃくしゃに撫でる。

 

「お前のおかげで……俺はここまで頑張れたんだ」

「……うん」

「これからも、よろしくな。俺の隣……走ってくれるんだろ?」

「……うん」


 ひとしきり結衣の髪を撫でさすったあと、少しだけ顔を離す。

 お互いの顔が、お互いの気持ちが、良く見えるように。

 

「弱音……いっぱい吐くかもしれないぞ? ちゃんと受け止めてくれよ」

「ふふ。わかった。ヒロの全てを受け止めるよ」

 

 カシャンッ

 

 結衣の一言で、俺の心の中のかせがひとつ、音を立てて外れた。

 

 これまで結衣を大事に思うあまりためらっていた、大きな一歩を踏み出す。

 

 ちゃんと言葉にするって……決めたもんな。

 

「結衣……」

「ん……」



「大好きだよ、結衣」



* * *



「それにしても大変だねー。サッカー選手様は」

「その言い方ヤメてくれよ。あともう少し安全運転にしてくれない? 酔いそう」

「春菜おばさん、運転荒いからね」


 福岡都市高速道路を爆走する小型のイギリス車。

 学校まで迎えに来てくれた母ちゃんの運転で向かうは……福岡空港。

 

 日本一便利な立地と言われる福岡空港へは、学校から高速を使えばわずか15分の距離。……母ちゃんの運転だと10分で着いてしまいそうだけど。さっきから怖くてスピードメーターを見る気になれない。

 

「学校の壮行会はどうだった? なんか面白いこと言ってウケとった?」

「無理に決まってんだろ。……そういや俺、『はい』と『がんばります』しか言葉出してない気が……」

「『ありがとうございます』も言ってたよ」


 後部座席からひょいっと身を乗り出して結衣がフォローする。……まぁフォローにはなってないんだけど。

 

 学校での壮行会。

 わざわざロンドン行きの日に合わせて、全校生徒を集めての大集会を執り行ってくれた。先生、生徒。みんなのヒートアップした応援ムードに正直面食らってしまった。

 

「相変わらずだねー。でも最近テレビであんた見てて思ったんだけどさ……作り笑い上手くなったよね」

「あっ! それ、あたしも思ってた!」

「……作り笑いってバレてる」


 今日ほど、もうテレビに出たくないと思った日はないな。

 

「まぁ、みんなあんたを応援してくれてるんだから。感謝しろよ、バカ息子」

「……そうだな」

 

 クラブハウスでの壮行会。

 県知事さんへの表敬訪問。

 地元の町長さんへの表敬訪問。

 地元テレビ局の特別番組への出演。

 学校での壮行会。

 

 大人の都合で振り回されて、もうクタクタ。

 

 結衣の支えがなければ、冗談抜きでつぶれてしまってたかもしれない。

 

 でも……たくさんの人達に応援してもらえている事を強く実感する事はできた。大げさではなく国を背負っている事を再認識した。

 

「たまにはスポーツマンらしい発言もしろよー。ビックマウスも立派なファンサービスだぞ?」

「考えとくよ」


 片平さんにも似たような事言われたな。

 

「それはそうと。聞いていいのか迷ったんだけど……あんたたち、なんかあった?」

「うぇ!?」


 ……鋭いな。

 後部座席からは、わかりやすい反応をした結衣の変な声が届く。

 

「……ほうほう。結衣ー。今日は晩酌つき合えよー」

「う……うん」


 高速を降り、赤信号に捕まったところを見計らって、母ちゃんが後部座席に視線を送る。

 狼狽する結衣。

 こんなリアクションしてる結衣久しぶりに見たな。

 

「ちょ、ちょっとー! なんでヒロは知らんぷりしてるのっ!?」

「え? なにが?」


 あまりに面白い結衣の動揺ぶりに、つい他人事のような感覚になってしまった。


「た……たすけてよー!」

「バカ息子、結衣が助け求めてるよ」

「みたいだね。どうしたんだろ?」

「ひ……ひどいよー!」


 結衣をからかっているうちに、空港の駐車場に到着した。平日の夕方ということもあり、駐車場はガラガラ。

 

「ここまででいいよ。ありがと」

「なんで? ゲートまで送るよ」


 結衣が疑問の声を上げる。

 トランクからスーツケースを取り出しながら、結衣と母ちゃんに携帯の画面を見せる。

 

「さっきクラブ事務所のスタッフさんからメールが入ってた。人がわんさか集まってるから、ご家族に送ってもらうなら注意しなさい、って。あとはスタッフさんと倉田さんがいるから大丈夫」


 事務所スタッフはご丁寧に写真まで送ってくれていた。プラカードを持った大勢の人と、報道陣らしき人々の画像。

 ここに母ちゃんと結衣を連れて行ってしまうと……間違いなく迷惑をかけてしまう。

 

「ん……わかった。頑張っておいで」


 母ちゃんが右手を俺に差し出す。しっかりと目を見据えて手を握った。2回、3回と握った手をブンブン振ると、スタスタと運転席へ歩いて行った。


「え? でも……」


 母ちゃんが車に戻り、まわりに人がいないのを確認して……そっと結衣をハグする。

 

「……!」


「ロンドンで待ってるよ、結衣」

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