29歳、崖っぷちJリーガーの場合 2
「でも実際やってらんねーよなー。なんで代表招集されてまでセレクションまがいのことさせられないといけねーんだよ」
7月11日。
埼玉にある日本最大級のサッカースタジアム。
その狭いロッカールームに反響する、U―23代表候補「負け残り組」達の不平、不満。
選手達はどこか、集中力を切らしている様に感じられた。
「佐野さん、どう思います? 俺、バカにされてるとしか思えないんですけど」
「……そんな事言うもんじゃないよ」
鹿島コルノーズの前島が、誰ともなくぶつけていた不満の矛先を、私に変えて来た。気持ちはわからんでもない。私も沖縄合宿の時には似たような感想を持ったものだ。
「立木さんとか植田とかは……まぁ、わかりますよ。A代表にも招集されていますから。ワールドカップの最終予選を優先するのは当然の事でしょうけど……」
2年後のワールドカップ、ブラジル大会。
これの本戦に出場するためには、アジアで行われる予選に勝ち抜かなければならないが、その最終予選がついに6月から開始された。
立木達は沖縄合宿以来、本来の主戦場である最終予選に向けて調整していた。U―23代表の海外組も何人かA代表に招集されているが、例外なくA代表を優先して活動をしていた。
「俺が納得いかないのは……高校生の方なんですよねー。黒田監督高評価し過ぎだと思いません?」
前島のこの意見が、ロッカールームに広がる不満の全てを集約したものだと思ってもいいだろう。
伊藤翔太。
大峰裕貴。
最近増えてきた、高校生Jリーガーの2人。大峰に至っては、16歳の若さで既にプロ契約までしている。
不満を爆発させている前島にこんな事言うと火に油を注ぐ事になってしまうが、私が彼らと一緒にプレーをして思ったのは……
本物の怪物。掛け値無しに、化け物。
あの2人に対する世間の評価は、むしろまだまだ低過ぎると思っている。
私のチーム、名古屋オルカユイットにも毎年金の卵達が入ってくるが……あの2人ほどの衝撃を受けた事はなかった。ありていに言えば……異常。
もはや同じスポーツをしていないのではないか、と思ってしまった事もある。
もちろん実戦経験や精神面など、まだまだ課題はたくさんあるだろう。2人ともチームワークや信頼関係を上手く築く事が苦手、という印象も受けた。
だが……言い換えれば、これは非常に恐ろしい事だ。
あの化け物達は……まだまだ成長の余地を十分に残している。
「実力はわかるんですけど、実戦経験少な過ぎでしょ。本番で使い物にならない可能性が高いと思うんですけどね」
「…………」
確かに……前田の意見も一理ある。
だが、それを補って余りあるパフォーマンス。
ひとつの噂でしかない話だが……彼らは「ゾーンへ自在に入る事ができる」らしい。
これがもし事実なら……ほとんど反則の域だ。海外の有名選手においても、こんな話聞いた事がない。
ゾーンへ入るというのは、サッカー界においては特段珍しい事ではない。もともと「これがゾーンだ」、という定義も曖昧な、完全な自己申告による体験談。私も今までのプレーにてそれらしきモノを経験した記憶があるが……
10年のキャリアで……わずか1回か2回だけ。
この話に興味を持って、各チームの知り合いに聞いた事がある。
返答はみな予想通りのもの。A代表に引っ張りだこの選手においても、ゾーンに入った、なんて滅多な事では思わないらしい。
もし、大峰と伊藤が毎試合、自在にゾーンへ入る事ができるとすれば……J2とはいえ、シーズン前半戦で見せたあの大活躍も納得ができる。
実戦経験?
私はそんな事、取るに足らない小事に感じてしまうな。
「国際大会で必要なのは、スキルよりもチームワークと経験でしょ。なんで俺たちみたいにキャップたくさん付けた人間が、キャップ数ゼロのくそガキ共に出し抜かれなきゃなんねーんだよ」
「その質問への回答は今してやろうか?」
いつの間にかロッカールームにいた黒田監督の一言に、前島が凍りつく。まわりでざわざわしながら前島に同調していた選手達も一斉に下を向いた。
「確かに、お前の言うようにチームワークや経験も大事な要素のひとつだろう。だがな、前島。俺は最近の代表を見ていて、ひとつ思うところがあるんだよ」
全員が固唾を飲んで黒田監督の言葉を待つ。
続けて黒田監督から放たれた言葉は、芯に響く痛烈なものだった。
「お前ら何しにここに来てるんだ? 俺は仲良し子良しの茶番を見にきた訳じゃないんだよ」
前島が言い返そうと試みているが、身体が動かないようだ。口をパクパクさせるのみ。辛辣な一言と黒田監督の圧倒的な威圧感に飲まれてしまった。
「あの高校生2人を凌ぐ実力やハングリー精神を持った選手が、この中に1人でもいるのか? キャップ数? そんなちっぽけな過去の栄光にすがってるんじゃ……お前も大した事なかったな」
「……ちっ」
前島が横を向いて小さな、小さな舌打ちをひとつ。
おそらくこれが前島にできる最大限の抵抗なんだろう。
「残り7人の代表は試合後すぐに発表する。今日の親善試合は選手交代枠の制限がない。全員を使う予定だが……俺のやり方が気に入らないヤツは、ここでユニフォームを脱いでくれ。この程度で不満が出るような甘ちゃんに用はない」
そこまで一息に言い切ると、黒田監督はロッカールームをあとにした。
「……くそがっっっ!」
ガンッ!
前島がスパイクの底で壁を蹴った音が、しん、と静まり返ったロッカールームに響き渡った。
黒田監督がロッカールームに現れたときから、このような展開を予想していた私は、比較的落ち着いた精神でロッカールームを見渡す。
前島のようにいらだちを隠せない者。
出番が待ちきれない、落ち着かない、といったように身体を揺さぶる者。
ヘッドフォンを耳にかけ、最初から自分の世界に入っている者。
騒ぎを聞いていたにも関わらず、我関せず、といった態度を貫く者。
……なるほど。
先日妻が言っていた言葉の意味をようやく理解する事ができた。
黒田監督が、わざわざ貴重なOA枠を使用してまで私を招集した理由。
私に求められているのは……化け物達のような、圧倒的なパフォーマンスなどでは……断じて、ない。
私には、私にしかできないことがある。
そうだよな……茜。
* * *
日本最大級のキャパシティを持つ、埼玉ミレニアムスタジアムをも完全に飲み込む、SAMURAIBLUE。今日は平日だが、ナイトゲームという事もあり、スタジアムは超満員のお客さんで溢れていた。
前回A代表に招集された4年前以来、久々の青いユニフォームに袖を通し、独特の入場テーマソングを聞くと……あぁ、私も国を代表する立場に立っているんだな、と実感する事ができる。
ベンチで見守る私の横を、日本とオーストラリアの選手達が子供達と手を繋いで行進してきた。
この光景を見るたびに、いつか私も真理と手を繋いでこのピッチに……との思いが募っていく。
今日の親善試合の相手、オーストラリア。
現在、ワールドカップアジア予選にて日本A代表も苦戦を強いられているが、アジア地域においてはこのオーストラリアU―23代表を最強の一角に数える事ができるだろう。
セレクションの意味合いを含む日本と違って、オーストラリアは最終調整を兼ねているのか、ほとんどフルのメンバーを揃えてこの日本に乗り込んできた。
特に注目するべきは……2人の選手。
一人は現在スペインの1部リーグで活躍する、FWジャック・ウィルソン。
20歳の若さでスペインに渡り、強豪チームと破格の契約をした事は日本でも大きなニュースとして取り上げられた。
195cmの身長から繰り広げられる空中戦は圧巻の一言。この選手の特徴はただ大きいだけではなく、足下の技術が非常に繊細なこと。体つきから大味な選手だと判断してしまえば、おそらく痛い目を見る事になるだろう。
もう一人はオーストラリアの英雄、OA枠のMFサミュエル・ブラウン。
イングランド、ドイツ、イタリアとヨーロッパ各国の1部リーグを戦い抜いた、紛れもない実力者。当然オーストラリアでの人気も高く、大統領の名前は知らなくてもブラウンの事は知っていると揶揄されるほどである。
全てのプレーが高い次元で安定しており、立木と似たプレースタイルを思い起こさせる。年齢も立木と同じ27歳。現在イタリアリーグのクラブに所属し、ワールドカップ予選にも参戦している多忙な選手のはずだが、今回はスケジュールの合間を縫って日本へ来日したらしい。
苦戦は必至。
試合に勝つ事もそうだが、各々の個性をどれだけアピールできるかが、この一戦の重要な要素になりそうだ。
先発の各選手が円陣を組み終わり、それぞれのポジションに落ち着いた。もうすぐ試合が始まる。
ちらっと横を向いてベンチ内に目を向ける。
黒田監督は相変わらず無表情でベンチに座り、いつも手に持っているタブレットへ視線を落としていた。
これまでの練習試合では、黒田監督の指示がピッチに飛ぶ事は一度もなかった。今日も恐らく声を上げる事はないだろう。
ならば、私にできる事は……ひとつ。
キョロキョロとピッチ上の選手達と、ベンチメンバーの様子を伺う。
私の試合はレフェリーが笛を吹くその前から、すでに始まっていた。
* * *
前半25分、オーストラリアに先制点を決められてしまう。
得点を決めたのはジャック・ウィルソン。
中央から強引に突破してきたブラウンに翻弄され、FWのウィルソンにパスが渡った時には、すでに日本のDF陣は体勢を大きく崩されていた。最終ラインをドリブルで難なく突破され強烈なシュートを決められてしまう。観客のほとんどはこの2人のプレーを褒めるだろうが……
これはしょうがない、と諦めてよい場面では断じてなかった。
誰かが声を上げて、ウィルソンへのマークを1人増やせば結果は変わっていただろう。前半からのオーストラリアの攻撃のパターンを見ていれば、このプレーは容易に想像できたものだ。私がピッチに立っていれば……
「佐野さん、俺らも出番来るんですかね?」
ベンチの隣に座っている前島が私に視線を向けず、足をぶらぶらとさせ、ふてくされた態度で愚痴をこぼす。
前島がくさる気持ちも……わからんではない。
この男も長くサッカーに携わり、自分のプレーに自信とプライドを持って取り組んで来たのだ。代表に招集される実力も持っている。
だが……もったいない。
今までのプレーを見ていて、オーストラリアの「穴」に気付かなかったのか。
前島、お前が最も得意なプレーを生かせる場面じゃないか。
「正直もうどうでもよくなって来たんで」
「前島ぁぁ!」
突然私が上げた咆哮の意味がわからず、キョトンとしている前島。こんな怒鳴り声を上げたのはいつぶりだろうか。
「よく見ろ! 前島!」
「え……えっ?」
狼狽する前島と無理やり座ったまま肩を組み、前島の顔をピッチに固定させる。
「いいか。オーストラリアは前半からスター選手2人のゲームメイクに全てを頼っている。試合が始まってから何か気付いた事はないか?」
「えっと……き……気付いた、事?」
まだ状況を飲み込めないのか、前島。
だが、おそらくコイツの出番はもうすぐそこまで来ている。落ち着くのを待っている暇は……ない。
「時間がない。よく聞け。私がもし監督なら、お前をもうすぐピッチに突入させる。なぜかわかるか?」
「……流れを変えるため」
わかっているじゃないか。腐っても戦況を見抜く力は十分にある。なら……お前がやるべき事はひとつだろう!
「そうだ。オーストラリアの戦術とお前の長所。うまく思惑が合致するとは思わないか?」
「……はい」
……明らかに目つきが変わったな。
前島。私はな、この20人の中で、お前が代表入りに最も近いと思っているんだぞ。
セレクションがなんだ。前評判が……なんだと言うんだ!
「黙って座っている監督の度肝を抜いてやろう。スタジアムに集まった満員のお客さん達に……前島雅史のスゴさを見せつけてやろう!」