表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/76

オリンピック代表合宿 5

「元気いいなぁ……」

 

 真っ白な砂浜。

 遠浅の海は、限りなく透明。彼方に見える水平線は、空との境界をはっきり区別するエメラルドグリーン。

 負けじと小さな布で色彩を主張する……ビキニのお姉さん達。キャーキャー言いながら砂浜を走る。

 そして、それを追いかける……サッカー選手達……。

 

「暑いね……」

「そうっすね。……早く帰ってエアコンのお世話になりたいっす」


 じいさんみたいな事を言う俺と伊藤さん。

 青い海にもカラフルなお姉さん達にも全く興味が持てず、2人して南国風の大きな木がつくる日陰の下、のんびり並んで座っていた。

 

「大峰ー。てめー海パンで来いっつったろーが。無いなら裸だぞー」

「……勘弁して下さいよ」


 黒光りした筋骨隆々、茶髪のイケメンがこちらに向かって声を張る。

 この人海にいるとサーファーにしか見えない。

 

 紅白戦の翌日。

 我らが立木恭介の「元気な奴は全員ビーチに集合ー!」という一声に、まさかの全員集合を果たした、サッカーオリンピック日本代表候補。総勢28人。当然のごとく、嫌がる俺と伊藤さんも強制招集。

 驚いたのは水着着用率。まさかの全員着用(俺と伊藤さんを除く)。みんな最初から泳ぐ気満々だったのね……。倉田さんはと言えば、一人で遠泳をしていた。

 

「サッカー選手って、オフ日に遊び行く人少ないからね。特にJ1の人達は顔も売れてるから出歩きにくいだろうし。みんな羽を伸ばしたかったんじゃない?」

「そうなんでしょうね」


 昨日まで眉間にしわを寄せて練習、そして黒田監督へのアピールに励んでいた選手達の、限りなくリラックスした表情。

 

『オンオフの切り替えは大事だぜー? 体も心もな』


 立木さんの一言が脳裏をよぎる。

 心身の調整はプロにとって必須スキルといっても過言ではない。

 ……みんなこの辺りの調整、うまいんだろうな。

 

 俺がパスヴィアのトップに所属して、およそ半年。プロ契約をして、まだ2ヶ月。

 だが、J1の選手を相手にしても、プレーで遅れを取っていると思った事は少ない。

 スピード。スタミナ。攻撃性。

 得意分野での勝負には自信を持っている。

 

 俺に足りないのは……それ以外。

 ボランチにコンバートしてから信頼関係の構築、チームワークに悩まされ。

 シフエ戦では伊藤さんの心理的な駆け引きに飲まれそうになり。

 

 俺は人間としての成長がまだまだなんだろうなぁ。

 

「キャー! その紐は引っ張っちゃダメよ!」

「なんでー? いいじゃんよー。鈴木! 反対からも引っ張れ!」

「……了解しました」


 ……とは言っても、この人達をお手本にするのは少し抵抗がある。というか鈴木さんの豹変ぶりがスゴいな。練習中は寡黙で、倉田さんタイプかと思ってたのに。……あっ。倉田さんすげえ。あんなに遠い離れ小島みたいなとこまで泳いでる。ってかあそこ遊泳禁止なんじゃ……。

 

「そういえば大峰君、昨日の紅白戦の時、何か言いかけなかったっけ?」

「あー。そうそう。ゾーンの事についてなんすけど」


 ここ最近俺が抱える、戸惑い。

 悪い事じゃないと思うんだけど、「ある変化」がどうもしっくりとこない。

 

「俺、最近ゾーンへの『入り口』が変わってきたんすよ」

「『入り口』が……変わった?」


 うまい表現が思い浮かばないが、これしか言いようがない。違和感を感じ始めたのは……4月の終わり、シフエ東京との一戦から。

 

「具体的には、どんな感じなの?」

「んーとですね……。今までは『イメージを明確にして、ボールを持ってからスタート』、だったんすよ。行動型ゾーンの時は伊藤さんも同じと思うんすけど」

「うん。そうだね。それが……変わった?」

「はい。たまに、ボールを持つ前にゾーンへ入ることがあって」


 シフエ戦で言えば、得点を決めたシーン。

 ジローからのボールを受け取る前に、ゾーンへ入った。あの時もしゾーンに入っていなければ、おそらくあのパスを受け取る事はできなかった。今思えば、だけど。

 そういえば、この合宿の3日目、伊藤さんを相手に3対1の練習をやった時にもこのゾーンに入ったな。あの時は、立木さんからパスがくる、ってわかった瞬間にゾーンへ入っていた。

 

「なるほど……。実はね、僕も最近ゾーンに違和感を持っていたんだ。確信はなかったんだけど……大峰君と似てる」

「え? そうなんすか?」

「うん。僕の場合、思考型ゾーンへの『入り口』は今までと同じものなんだけど、『出口』が変化してきている」

「『出口』が?」


 伊藤さんがノートとペンを取り出し、図解を始めた。

 大きな丸を左のページいっぱいに描き、その中に「考」、続けて「行」と書く。……なるほど。これは俺のゾーンを表しているのかな。

 今度は右のページに、中くらいの丸を2つ並べて描く。それぞれ中に書くのは、もちろん「考」と「行」。2つの丸がくっついているという事は……。

 

「今までなら思考型ゾーンに入っても、ただ『感じて考える』だけだった。それが最近は答えを見つけたあと、シームレスで行動型ゾーンに入ることがあるんだ」

「……ん? という事は……あっ聞いてもいいすか?」

「うん」

「この間対戦したとき……伊藤さん、スプリントで俺に並んできたときあったじゃないっすか。あれ、もしかして……」

「そう。多分アレが思考型ゾーンと行動型ゾーンが結びついたときだと思う。走っている間は何も考えていないんだけどね」


 伊藤さんが右ページの「考」と「行」の文字を線で結ぶ。


「僕の場合はそれぞれが独立しているから、大峰君の場合とは違うと思うけど……境界はかなり薄くなってきたね」

「境界が……薄く?」

「まとめてみようか」


 さささっとページの余白にそれぞれの特徴、メリット、デメリットを書き込む。

 

「……なるほど。つまり俺は『入り口が狭く、出口が広い』、伊藤さんは『入り口が広く、出口が狭い』だったのが……」

「この変化で……似たようなものになってきたね」


 まだまだ伊藤さんの思考型ゾーンの1試合20回には遠く及ばないが、ここ最近の試合では1試合で5回ゾーンに入った事もある。

 単純に考えれば汎用性が上がって、喜ばしい事なんだけど……。

 

「斉藤さんに聞いてみるしかないね。僕らで議論しても答えは絶対見つからないよ」

「そうっすね」

「あんまり気は進まないんだけどね」

「ははは。伊藤さんまだ斉藤さんを警戒しているんすか?」


 頭をぽりぽりとかきながら伊藤さんが苦笑する。心理戦が得意な伊藤さんが苦手とするのは斉藤さんくらいだろうな。

 

「僕はあの人相手に心を開く事はないと思う」

「はっきり言いますね」

「実を言うとね、試合後対談した時にはもう気付いてたんだ。ゾーンが変わってきているって。でも何か言いたくなくてね……。大峰君には言っておけばよかったね」

「いいっすよ。今教えてくれましたから」

 

 いつもお兄さんキャラの伊藤さんが珍しく子供のように見える。


「おおみねー。いとー。くっちゃべってねーでお前らも泳げー」


 波打ち際から立木さんが声をかけてきた。……うわ。あの人、女の人ふたりも捕まえてる。まさに両手に花。

 

「どうやら1回は行かないとみんなの気が収まらなさそうだね」

「……行きたくないなぁ」


 さっさと行って、さっさと帰るか……と思った次の瞬間には5人の屈強な野郎共が俺と伊藤さんを取り囲んでいた。

 

「おいおい。お前ら年少組だろうが。なんで一番落ち着いてるんだよ」


 5人組のひとり、つるつる頭の森さんがニヤリ、と笑う。

 森さんにつられた様で、他の4人もニヤリ。

 

「さてさて。森君、どっちからやるかね?」


 長身の中島さんが手をワキワキさせながらこちらに近づく。

 

「はぁ。大峰君……あきらめよう。着替えは……宿舎がすぐそこだから大丈夫かな」


 伊藤さんが両手を挙げて無条件降伏を示す。

 

「はい決定ー! 伊藤を投げ飛ばすぞ!」


 中島さんが声を上げるや否や、男達が伊藤さんを胴上げのように担ぎ上げ、そのまま海の方へ進んで行く。

 伊藤さんをせーので海に投げ入れる直前、ビキニのお姉さん達が「あら。あの子可愛い」と黄色い声を上げた。嫉妬に狂った男達の一糸乱れぬ投擲。伊藤さんがものスゴい勢いで海に飛んで行った。

 空中を横向きに直立不動で飛ぶ、受け身を全く取ろうとしない伊藤さんの姿が、なんとも言えないシュールさを醸し出していた。

 

 

* * *


 

「それではオーストラリア戦のメンバーを発表する」


 ミーティング中、突然黒田監督が口を開く。全員が一瞬で凍り付いた。

 

 発表……?

 今?

 1ヶ月後、オーストラリアとの親善試合の?

 

 今日の練習は午前の1部練だけ。午後はみんなで海。夕食が済んでから合宿最後の軽いミーティング。明日は朝の便で各自地元へ帰る。

 

 みんなが緊張を完全に解いていたところへ黒田監督が仕掛けた、まさに突然のサプライズ。

 

 全員が事態を飲み込めずにいた。

 黒田監督の後ろでコーチ陣が戸惑いの表情を見せているところを見ると、おそらく監督の独断なんだろう。

 

「それではGKから……」


 決して広くはない会議室。その部屋をギュウギュウに満たす疑問には一切答えようとせず、粛々とメンバーを発表する黒田監督。

 

「これは……僕も予想外だったね」

「伊藤さんが予想外なら、誰もわかりませんよ」


 選手達からどうしようもなく漏れるざわめきは、止まらない。

 ここまでくれば発表自体に戸惑っている人はいない。いずれ発表されるとわかっていたものだ。1ヶ月早いくらい大した事ではないが……。

 

 問題は、そのメンバー。

 

 選ばれるべきメンバーが……さっきから全く呼ばれない。

 

「……ほーう。おっさんもなかなかやるじゃん」


 俺の左隣で腕を組んで聞いていた立木さんが、ぼそっ、とつぶやいた。

 

 とうとうベンチ入り20人のメンバーを黒田監督が発表し終えた。

 

「……以上だ。全員俺の意図は掴んだな。期待しているぞ」


 黒田監督のこの言葉の意味を、果たして何人が理解できたんだろうか。

 ……もちろん。俺にはわからなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ