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オリンピック代表合宿 1

 沖縄の梅雨明けは早いらしい。

 

 ジリジリした暑さが肌を焼く。

 おおよそ同じ日本とは思えない、沖縄の気候。

 

 当初はこの第2回オリンピック代表合宿を海外で行う案が出ていたらしいが、今年の沖縄は例年よりさらに梅雨明けが早かった事から、この南国の地にてキャンプを行う事となった。

 

 合宿所のおばさんが「内地(日本本島)と気温は変わらんさー」と言う通り、日中の気温はほとんど同じ。むしろ沖縄のほうが低い日もあるらしい。これが最近よく耳にする地球温暖化の影響なのか、はたまたヒートアイランド現象の影響なのかどうかは、もちろん俺にはわからない。


「噂には聞いていたけど……沖縄はジメジメするね」

「そうっすね。ずーっと雨が降らないだけまだマシな気もしますけど。……ってか伊藤さん、めっちゃ涼しい顔してるじゃないすか。説得力ゼロっすよ」

 

 ここで合宿を始めてはや3日が過ぎたが、時折スコールかこれは! という大雨が30分くらい降るだけで、基本的には毎日晴天。ただ、このスコールがものすごい湿気を残していき、たちまち屋外は蒸し焼きの状態になってしまっている。

 90分走り回った1部練が終了し、滝のように流れる汗をタオルで拭っている俺に対し、タオルすら持っていない伊藤さん。もはやここまでくると、環境適応性うんぬん以前に伊藤さんの体を心配してしまう。

 

「おい、坊主ども」


 モデルと言われても疑う余地は無いほど、整った顔。

 今は上半身裸になっており、ゴツゴツの腹筋とたくましい胸筋が晒されていた。

 比較的白い俺や真っ白な伊藤さんと比べると、余計際立つ真っ黒に焼けた肌。メッシュが入った茶色の髪。

 「ちゃらい」。

 この言葉は、この人を形容してつくられた言葉だ、と俺は信じて疑わない。

 

 横浜セイラ、立木恭介さん。

 

 名実共にナンバーワンのJリーガー。

 

 2010年、日本は初のワールドカップベスト16入りを果たした。これにもっとも貢献した選手が立木さん、と言ってもいいと思う。

 

「明日は1部練だけだろ? 午後はビーチに行くから空けとけよー」

 

 この合宿所は沖縄の北部地区のリゾート地区に位置しているらしく、ピッチから海を見る事もできる。パスヴィアの練習グラウンドからも海を見る事はできるが、色が全然違う。透明度の高いエメラルドグリーンを一度見てしまうと、福岡の海を海と呼んでいいものか悩んでしまう。

 ピッチからビーチではしゃぐお姉さん達を見て、代表メンバーの皆さんも少なからずテンションが上がっているようだが、正直俺は別に……。

 

「大峰君、行ってくれば? 僕は練習してるから」

「い……伊藤さん……。あの、立木さん……俺も練習を」

「んじゃあ決定ー! 大峰強制招集ー! 海パン履いてこいよ。なけりゃ裸な。うーっし、これでビーチの視線は俺らのもんじゃん」


 なぜ……。

 行きたくないんだけど……。

 

 ここ一ヶ月で伊藤さんとは様々な事を話すようになって、少しは仲良くなれたのかなぁ、と思っている。ただ、仲良くなるにつれて伊藤さんが本性を表してきたというか……。こういう困った状況に俺が陥ると、俺に意地悪してはたから見て楽しんでいる事が増えてきた気が……。

 

「オンオフの切り替えは大事だぜー? 体も心もな」


 長髪を右手でかき上げながら立木さんが白い歯を覗かせる。仕草はアレだが立木さんが言うと説得力がある。結果を残し続けた選手が言うからこそ重みの出る言葉だ。

 立木さんの「腹減ったなー。先に飯食うか」との一言により、3人で連れ立って食堂へと向かう。 

 

「立木さんは特に管理が大変なんじゃないっすか? J1の試合にA代表の試合、今回はOAオーバーエイジ枠でオリンピックっすから」


 立木さんの主戦場は年齢制限のないA代表、いわゆる「日本代表」。

 現在27歳の立木さんは23歳以下で構成されるオリンピック代表に本来招集される事はない。ただ、オリンピックには1つの例外規定が存在する。

 OA枠。

 正式名称は知らないが、24歳以上の選手も各チーム3人までは出場する事ができるというルール。

 このルールにより、現在立木さんを含め合計で3人、24歳以上の選手がこの代表に招集されていた。

 

「そうでもねーな。俺は2日に1回試合でも問題ねーよ」

「まじっすか……」

「何か特別な管理法があるんですか?」


 伊藤さんの疑問ももっともだと思う。

 通常Jリーグの選手は週1回の試合が基本。だが立木さんのように代表引っ張りだこの選手は、これに代表戦が加わってくる。移動の時間や、練習環境の変化など、今考えつくだけでも対処しなくてはいけない問題が山のようにある。

 これから俺もパスヴィアとオリンピック代表、二足のわらじを両立させなくてはならなくなる可能性がある。ここは立木さんの意見を参考にさせてもらおう。

 

「ない。毎日サッカーして、休日は遊んでるだけ」

「「…………」」


 伊藤さんと顔を見合わせる。

 1つだけわかった。

 天才が考える事はよくわからない。

 

「なんだよ2人してそんな顔しやがって。事実なんだからしゃーねーだろうがよ。毎日トレーナーが組んでくれるメニューに従って、試合では監督やコーチの言う事に従って。あとは俺が楽しむだけだもんよー」

「……なるほど。これが立木恭介の秘密……って訳ですか」

「伊藤さん今のでわかったんすか!?」


 初めて会った時から思っていたが、伊藤さんは話の理解が早すぎる。さっさと解答にたどり着いてしまうので、いつも俺1人取り残されて惨めな思いをしている。

 

「つまり、立木恭介の信頼に足るスタッフが周りを固めている、ってことですよね」

「まーそうとも言うな。俺頭すっからかんだから。何にも考えずに好きな事できる俺は幸せもんだよなー」


 これは……俺も似たようなものかもしれない。

 

 パスヴィアのコーチ陣が俺に合った練習や戦術を組んでくれて。

 アスレチックトレーナーの吉田さんや栄養士さんが俺の体を管理してくれて。

 ……結衣がプライベートをサポートしてくれて。

 

 こうしてサッカー選手、大峰裕貴は成り立っている。

 

「一時期トレーニングのメニューを自分で組もうと頑張った事もあったんだけどなー。30分で諦めたわ」

「早過ぎでしょ……」


 ……いくら俺でも1日くらいは考えると思う。

 

 話し込んでいる間に、この合宿所唯一の広い食堂へと着いていた。

 相変わらず上半身裸の立木さんを見て、食堂のおばちゃん達が「あらやだ素敵」と、色めきだっている。


「おばちゃーん、俺2人前ー」

「だめよ。献立と量は決まってるから。……ぐふふ」


 立木さんに話しかけられたおばちゃんは平静を装っていたが、どうやら抑えきれなかったらしい。目線が顔と胸をチラチラ行き来している。

 

 3人同じメニューの食事をトレーに受け取り、窓際の席に腰掛ける。

 白米大盛り、鶏肉のソテー、餃子が3つ、あとこれは……沖縄そばってやつかな。

 野菜炒め、温野菜、サラダ。

 デザートにヨーグルトとフルーツ。

 沖縄っぽいものは……沖縄そば、野菜炒めに入っているゴーヤとフルーツの……なんだこれ? 星形のやつ。

 

「足りねーよなー。食い終わったらすぐ腹減りそう」

「そうですか? 僕はちょうど良いですけど」

「ちゃんと食わねーと筋肉つかねーぞ。腹筋バキバキで女釣らねーと」


 伊藤さんは立木さんの言葉を軽やかに無視し、食事に手をつけ始めた。

 腹筋バキバキというと、立木さんが出演しているスポーツドリンクのCMを思い出すな。そういえば……

 

「立木さんって……テレビで見るイメージと違いますよね? インタビューの時とか、クールでカッコいい印象なのに……」

「おいおい大峰ちゃん。今はカッコ良くないとでも言いたいのかなぁぁぁぁー!」

「ちょちょ、お……落ち着いてくだ……ぎゃぁぁぁー!」


 痛い痛い!

 素早く俺の後ろに回り込んでヘッドロックとか卑怯でしょ!

 

 こういう事する人と思わなかったなぁ……。

 まぁ……親しみやすくて、俺としては嬉しいんだけど。ジローと並んで、小さい頃からの憧れの人な訳だし。

 

「んまー、なんだ。もとがこれだから。方々から『人前では黙ってろ』って言われてなー」

「スタッフの気持ちはよくわかります」

「……伊藤ちゃーん。お前もヘッドロックされたいのかなー?」

「結構です」


 平然と答えて沖縄そばをすする伊藤さん。この強心臓……見習いたい。

 

「外出時は必ずマネージャー同伴だしよー。感謝はしてるんだが、もうちっと自由は欲しいな」

「立木さん、個人マネージャーいるんすか?」

「……俺がサッカー以外全部一人でできると思うのか?」

「いや……それは……」


 聞き返されても返答に困ってしまう。……とりあえず話題を変えよう。

 

「立木さんと言えばアドレスの一件が印象的だったんで。もっと……こう、怖いというか、計算高い人なのかなぁ、と思ってました」


 オリジナルスパイクを開発させてからのスポンサー拒否。

 アドレスが有名になった一件。

 

「あーアドレスねー。ありゃ大人の事情が絡んでたからなぁ。俺はアドレス大好きだぞ。来年はアドレスと契約する予定」

「えっ? そうなんすか?」

「おうよ。本当は去年……あー今年か? アドレスのスパイク使いたかったんだけどな」


 どんぶりを片手に、鶏肉に食いついている立木さん。

 これは……意外だな。てっきり1年目はアドレスに好印象持ってなかったと思ってたのに。

 

「お前もあそこでスパイク作ってんだろ? あそこはホントに面白れーとこだから、いいもんできると思うぜー」

「…………」


 陽気に笑う立木さん。対照的に黙々と食事を進める伊藤さん。あんまりサッカー用品には興味ないのかな?

 

「この話はまだするなって言われてるから、オフレコで頼むよー。またマネージャーに怒られちまう」

「ははは。わかりました」

「大峰もサポートしてくれる人達に感謝しろよー。俺らみたいなサッカーバカは……皆が支えてくれるから跳べる。そういうもんだろ?」

「……そうっすね」


 頭の中に、俺を支えてくれている女の子の姿を思い浮かべて……しばし考え込んでしまった。はっと時計を見ると、もうすぐ2部練の準備を始める時間が近づいている事に、今更ながら気付く。

 急いで名前も知らないフルーツを口に運び、トレーを持って席を立った。

 ……あっ。これ、結構うまいな。

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