シフエ東京戦そのあと 4
現在この広い会議室にいるのは4人だけ。対談を終え、スタッフの皆さんが会議室を撤収したあとも片平さん、斉藤さん、伊藤さんと俺の4人がこの場に残っていた。
先程までは人がたくさんいたので「広いんだけど狭い」という状態だったのが、今は「広くて寂しい」といったところか。あまりに受け取る印象が変化してしまって、まるで対談自体が遠い過去の出来事だったように錯覚してしまう。
「さぁ、今日はここからが本番だね。有意義な時間になればいいけど」
片平さんがコーヒー2つとお茶を2つ、おぼんに載せてこちらに運んで来てくれた。
「すいません。片平さんは記事にできないのに……」
「何、大峰君あたしの事を気遣ってくれているの? ……いいんだよ。あたしは大峰君の役に立てればそれでいいの」
柔らかい表情を浮かべて片平さんが答える。
「多分片平さんは私と同じような心境だと思いますよ。大峰君達が活躍してくれないと食いっぱぐれてしまいますからね」
「斉藤君……身も蓋もない言い方しないでよ……。先週福岡で会った時からそんな事言ってるよね」
若干腹黒い心中をさらけ出して斉藤さんが答える。この人、守銭奴的な側面を隠そうともしなくなったな。……いや、最初からか。
「そう言えば……片平さんは福岡勤務なんですか? 今週は僕と東京で何度もお会いしましたよね?」
伊藤さんの疑問ももっともだと思う。片平さんは福岡のクラブハウスに来る事が多いが、パスヴィアのアウェー戦にも毎回来ているし、今週は東京に行っていたという話もしていた。
「んーと……あたしはちょっと特殊でね。えーっと……これ言っていいのかな?」
いつもズバズバ物怖じせずに発言する片平さんが、珍しく言い淀んでいた。片平さんが続きを話始めるのを皆で黙って見守る。
意を決したようにひとつ間を置き、片平さんがゆっくりと語り出した。
「あたし、籍は東京本社なの。今はスポーツ部だけど、もともとは政治部だったんだよ」
「そうなんすか?」
片平さんが政治部……。失礼だが全く想像ができない。
「そんでちょっといろいろあって……今年の3月にスポーツ部に異動したんだけど……」
「片平さん。覚悟を決めて全部しゃべってしまったらどうですか? 恥ずかしいのはわかりますが」
どうやら斉藤さんは「いろいろ」の部分を知っているようだ。伊藤さんと俺は2人でなおもハテナ顔を作る。
「……よし。笑うなよ若者達。あたし大卒でこの会社に入って、今5年目なんだけど、丸4年政治部で走り回ってたの。でもあたしにはあまり合わなかったみたいで……去年あたりから精神的にちょっと疲れちゃって、しまいには潰れそうになってたんだ」
「今年の2月くらいでしたか……私に電話してきましたよね」
斉藤さんが口角を少しだけ上げて相槌を打つ。昔を思い出して懐かしんでいるんだろうか。
「そう……。斉藤君は心理学の専門家だったから、相談してみたの。『どうしたらいいと思う?』って。そしたら斉藤君がね、『いっその事一回旅にでも出てリフレッシュしてみたらどうですか?』って言ったの。ただ……マスコミって体力勝負なところがあるから、一回ドロップアウトしたらもう同期達には置いていかれてしまう。悩んだあげくにあたしは……旅に出たの。有給使って」
「それは……すごい決断ですね。僕なら保身を考えて踏み切れそうにない」
俺もおおよそ伊藤さんと同じ意見だ。俺の場合、いくら行きたくない学校でも「これ以上休んだら進級させない」と言われれば、多分嫌々ながらも行くだろう。もちろん俺の場合と片平さんの場合を単純に比べる事はできないと思うけど。
「そうよね。あたしも今考えたらよく決断したな、と思う。でも結果としてあたしは旅に出て正解だったと思う。だって……素敵な出会いがあったから」
「素敵な出会い? 旅先で彼氏でも作ったんすか?」
片平さんが座ったまま椅子をくるくる回転させて回り始めた。なんか子供みたいだな。
「……なるほど。僕は読めましたよ」
「え? 今のでですか? 俺全然わかんないんすけど」
「……大峰君はこういう事には鈍感だから。あたしが最後まで言わないと伝わらないと思うよ」
片平さんは相変わらずくるくる回ったまま。伊藤さんと斉藤さんはこちらをにやけた顔で見ている。
え? 何? 俺に関係ある事なの?
「丸1ヶ月使って……日本全国を旅して……最後の目的地にしたのが、福岡。大学が福岡だったのもあって、第2の故郷みたいに感じているのかもしれない。博多弁は大学生の時に覚えたんだよ」
「そっか……。前言ってましたね」
先週パスヴィアのクラブハウスで話した時に斉藤さんと大学の同期だと言っていたのを思い出す。
片平さんはくるくるをやめたが、今度は身を乗り出して俺の方に近づいてきた。
「そんでね、福岡の街をぶらぶら歩いていたら、ものすごい数の人がある建物に吸い込まれているのを、偶然発見したの。流されるまま、なんだろって好奇心で中に入っていった。日付は……3月4日、日曜日。……大峰君、心当たりない?」
「3月……4日?」
「心当たりない?」って言われても、この時まだ片平さんとは出会っていなかった訳で……。だいたい、3月の頭と言えばちょうどシーズンが開幕する頃で、俺の頭の中はサッカーでいっぱいに――
「あっ。シーズン開幕戦……」
「そう。あたし福岡TQBスタジアムで見てたんだよ。大峰君のJリーグデビュー戦」
「そうだったんすか……」
片平さんが左手で髪をかきあげて耳にかける。最近気づいた片平さんのクセ。手持ち無沙汰になった時にいつもする、片平さんのクセ。
「あたしそれまでサッカーって全然見た事なかったんだけどね。……あはは、もう一発KO。一目惚れ。あの17番の選手、なんてかっこいい動きをするんだろうって。相当若いんだろうな、とは思ってたけど……当時まだ高校生にもなってなかったって知った時はさすがにびっくりしたよ」
「そう……っすか」
面と向かって「一目惚れ」なんて言われたから、返事に困ってしまった。心なしか片平さんの顔が赤くなってきたような気がする。
「それでね、試合が終わったあとに大峰君の事いろいろ調べて……どんどん興味を持って……気がついたら政治部の部長のとこに行って、「あたしをスポーツ部に飛ばして下さい!」って言っちゃった」
「片平さんは昔からこうと決めたら、一直線になるタイプでしたからね」
斉藤さんがものすごく微笑ましい、というか見る人をほっこりさせてくれるような笑顔を見せていた。片平さんの保護者感覚なんだろうか。
「政治部もドロップアウトした……こう言うとあれだけど、リスクのある人間を手元に置いておきたくなかったんだと思う。3日後にはすんなりスポーツ部への辞令が出た。スポーツ部の人手が足りなかったってのもあると思うけどね。辞令の紙を部長からぶんどって、そのままスポーツ部のもとに直行。その場で分厚い企画書投げつけてプレゼンしたよ。大峰君に張り付くべきだ! ってね」
「いやー愛されてるね、大峰君は。羨ましいよ」
「伊藤さん……あの、もしかして楽しんでます? コメントに困るんすけど……」
いつも明るくて、俺を和ませてくれる片平さんにそんな事情があったなんて……全く気づかなかったな。
「そんな訳で、あたしはサッカー担当っていうより、大峰君担当なの。大峰君の役に立つ事ならなんでもするよ」
「そうですか。でしたら、俺にできる事はなんでも協力します」
「そんな事言っていいのかなぁー? いろいろ頼んじゃうよー?」
「あの……お手柔らかに……」
いつもの、ちょっといたずら心を含んでそうなキラッキラの笑顔。
この笑顔を見るといつも思う。……断りづらい。
「伊藤君。私達は必要ないようなので帰りましょうか」
「そうですね、斉藤さん」
「ちょちょちょ待って! まだ何にも話してないじゃん!」
そう言えば何の話をするために斉藤さんを呼んだんだろう?
「……それでは本題に入りましょうか。これは私から大峰君と伊藤君への提案なんですが……協定を結びませんか?」
「「「協定?」」」
斉藤さんの発言に、その場の全員が困惑する。
「協定内容は至極単純。お互い知っている事を全て話す。聞いた事は絶対に口外しない。それだけです」
「ゾーンについて……ですか?」
俺の問いかけに斉藤さんが首を振る。
「プレーしていて感じる事、全てです。色々調べてみましたが、どうもあなた方のゾーンについては謎が多過ぎます。わずかなとっかかりを見つけるためには、知り得る限りの情報をさらけ出すのが一番かと思うんですが……」
「僕はもとから大峰君には全てを話すつもりでした。反対する理由はありません」
斉藤さんを真っ直ぐ見据えて伊藤さんが答える。
「伊藤さん。昨日試合のあとにも同じ事言ってましたけど……なんで俺には全てを話そうと思えるんですか? 正直俺は……伊藤さんを結構警戒していましたよ。今はそうでもないっすけど」
「……理由はいくつかあるんだけど。僕は……大峰君を敵とは思っていない。理由は今度話すから……今はこれで納得してもらえないかな?」
初めて伊藤さんが俺から目を逸らした。……よっぽど言いにくい事なんだろうか。こういう事はいくら考えても俺の頭じゃ結論が出ない。昨日と今日の印象から直感で答えを出すと……
「わかりました。理由はいつか教えてください。……斉藤さん、協定……乗ります」
「……片平さん、彼らを見ていて若い頃に戻りたいと思った事は?」
「……言わせないでよ。毎日思ってるよ」
大人2人が同期してため息をついた。大人達はよく「若い頃に戻れたら〜」みたいな事を言うが、俺も大人になったら同じ事言うんだろうか?
「それでは契約成立ですね。単なる口約束ですが、反古にするような人はこの場に1人もいないでしょう。強いて言えば私が一番あやしいですが……ビジネスチャンスを自ら潰すほどバカではない事は皆さんもう分かっている事でしょう」
「……自分から言い出すあたりが斉藤君らしいよ」
確かに。自分から言い出されると疑いの気持ちが晴れてしまう。
いや……そう思わせてからの……。だめだ、また思考の罠に引っかかってしまった。もし斉藤さんが悪人だった場合、俺は骨の髄まで吸い付くされてしまう事だろう。
「ではまず……昨日の試合見させて頂きました。2人ともここ最近の中でも特に良いパフォーマンスを発揮することができたんじゃないでしょうか?」
「僕はそうですね」
「俺も……そうっすね」
試合こそロースコアで終了したが、前半のパスヴィアは伊藤さん1人に完封されたし、俺は後半に点を取る事ができた。
「伊藤君……私にまだ言ってない事があるんじゃないですか?」
……斉藤さん、いきなり核心を突いてくるな。多分俺と同じ事を思っているだろうな。
「ええ。ありますよ」
澄ました顔で伊藤さんが一言。
「え? そうなの?」
一人だけ予想していなかった片平さんがオロオロし始めた。
後半のあの体のキレ……。試合終盤、俺のゾーン中の動きに食らいついてきたパフォーマンス。あれはおそらく……
「斉藤さんの言葉を借りれば……僕は『行動型ゾーン』と『思考型ゾーン』の両方に入ることができます」