シフエ東京戦そのあと 3
「えーっと……ここか」
レディアFCの練習場をあとにした俺は、大手町にあるタイムリー新聞の本社に出向いていた。
少し年期の入った、歴史を感じさせる巨大なビル。次々に中へ吸い込まれるスーツ姿の大人達を見ていると、自分がものすごく場違いな場所にいる事を実感させられる。
とりあえず大きな回転ドアを抜けて、受付のほうへと歩いていく。
「あの……。片平さんと3時に約束をしている大峰と申しますが……」
「……! 大峰様ですね。承っております。ただいま片平が参りますので、そちらにお掛けになってお待ち下さい」
若干リアクションに疑問を持ったが、促されるまま受付横の豪華なソファに腰掛ける。
今日は制服じゃなくていいと言われていたので、私服でここに来ていた。あんまりラフな格好はマズいかな、と思ってジャケットを羽織って来ていたんだけど……やっぱり高校生がこんなとこにいると異質に見えるよね。足早に歩く人々の視線がいちいちこちらに止まるのがツラい。
それにしても……新聞社の仕事って大変なんだろうか。
日曜日なのにたくさんの人が仕事をしているみたいだ。
「おーみーね君! お待たせ!」
受付近くのエレベーターから1人の女性が勢いよく走ってきた。
「片平さん。こんにちは」
いつも通りラフな細身のジーンズに、紺のジャケットを着た片平さん。
全くのアウェーに知り合いが来た時の安心感といったら……もうハンパない。片平さんが聖母に見える。
「……おぉ。私服いいじゃん! 初めて見たよ」
「そうですか? 浮いてないか心配だったんですけど」
「全然大丈夫! サッカー選手のくせに細身だから、ジャケットがいい感じに映えるね」
余計な一言さえなければ素直に褒め言葉と受け止めれたのに。
「一応スタイリストさんに衣装用意してもらってたんだけどね。そのままでもいいかもしんない」
「い……衣装? 今日は新聞に載せる記事の取材なのでは……?」
「新聞は文字だけ、とでも言うの? 写真くらい載せるよー」
そ……そうなのか。いや、そうだよな。普通デカデカと写真載せるよな。いかん。緊張してきた。
「詳しい事は上で話すよ。もう伊藤君も来てるから」
「……おっけーです」
「よし、じゃー行くか! ……あっ待った! マキちゃん、握手した?」
「えぇ!?」
受付横を通り過ぎてエレベーターへ向かおうとしたところ、片平さんに話しかけられた受付のお姉さんが激しく動揺していた。
「なに? キスのほうがいいの?」
「ちょっ……片平さんっ!」
ゆでダコになってしまったお姉さん。
なるほど。先程のリアクションはそういう事か。お姉さんに照れられると……こっちのほうが恥ずかしくなってくる。
「わ……わたしは今仕事中ですからっ!」
「もう……意地っ張りだなぁ」
片平さんがズンズンとカウンターの中に入っていき、お姉さんに何やら耳打ちをしている。
「大峰君こっち!」
片平さんに促されるまま、カウンターの側面の方へとまわり込む。
「ほら! マキちゃん!」
「あ……えっと、大ファンです。これからも頑張ってくださいっ!」
「あ……えっと、ありがとうございます」
差し出された手をしっかりと合わせた。一通り挨拶が終わり、受付のお姉さんに会釈してからエレベーターへと向かう。
「いやぁ、大峰君。モテモテじゃないかっ!」
「そんなことは……痛い痛い!」
背中をバシバシ叩いてくる片平さん。エレベーターという密室の中で俺に逃げ場はない。操作板で光っている「37」と、現在階数を示す液晶表示が同じ数字になるまで、俺は片平さんにからかわれるんだろうなぁ……。
「いやいや。最近週刊誌とかにも話題が出始めてるじゃん! もう立派な有名人だよ」
「週刊誌……? 俺そんなのに出た記憶ないですけど」
「『今注目のティーンアスリート』みたいな特集記事が出てたよ。堂々の注目選手ナンバーワンで」
「まじっすか……いつの間に」
雑誌の取材以来やテレビの出演依頼なんかチラホラ来ていると、最近事務所スタッフに言われていた。今はシーズン中なので、サッカーに関係ないやつは問答無用で断ってもらっている。シーズン外でも、できればこういう仕事はやりたくないというのが俺の偽らざる本音。
「大峰君の性格からしたら……こういうのはイヤなんだろうけど……そうも言ってられなくなると思うよ? なんてったって人気商売のプロ選手なんだから」
「……ですよねぇ」
ファンのみんながスタジアムに足を運んでくれたり、グッズを買ってくれたりするおかげで、俺はサッカーに専念する事ができる。ファンサービスみたいなのも……やっぱ大事だよねぇ。
「少しずつでいいから慣れていきなよ。君はこれから10年、20年ってサッカーをしていくつもりなんでしょ? いつかはぶつかる壁だよ」
「そうですね。頑張ります」
「よし! 頑張れ若者」
……ホントに片平さんの笑顔にはかなわないな。
「ふっふっふ。そんな大峰君のために、今面白い企画を考えているところだから。期待しててね」
「マジで嫌な予感しかしないっすよ……」
機械音声が目的の階に到着した事を知らせ、一瞬の浮遊感が俺を包む。
「その話は上の許可がもらえたらまた今度するよ。それより今日はね、スペシャルゲストを用意しているの!」
「……はぁ」
マジで嫌な予感しかしねぇよ……。
片平さんに促されるまま37階のフロアを進んで行く。人がたくさんいてガヤガヤしていた1階とは大きく異なり、とても静かな場所。いくつものパーティションで区切られたスペースが目に入るが、人はほとんどいない。
「今日はね、より突っ込んだ話をしようと思って。人が少ないフロアにしてもらったの」
「突っ込んだ話?」
「……まぁ、おいおいわかるよ」
大きな扉をノックする片平さん。半透明のガラスから中が見えているが、大きな楕円形の机を取り囲むようにたくさんの椅子が配置されているところを見ると、ここは会議室のような場所なんだろうか。
ノックを受けて、中から扉が開かれる。
「大峰君。お待ちしていましたよ」
「斉藤さん? ……スペシャルゲストって斉藤さんの事ですか?」
メンタルトレーナーの斉藤さん。
先日、ゾーンについていろいろと教えてくれた心理学の専門家。
「そうだよ。伊藤君もいる事だし、有意義な話ができればと思って呼んでおいたの。……あっ。もちろん斉藤君との話は記事にしないよ」
「……そうですか。ありがとうございます」
俺のために……。
絶対によからぬ事を考えていると思っていた。片平さん、警戒してしまってごめんなさい。
「……大峰君。先週会った時と、また雰囲気が変わりましたね。何かいい事ありました? 主にプライベートで……そうですね、女性関係について」
「……何にもないっすよ」
「えっ!? そうなの!? 聞かせて聞かせて!」
「何にもないですってば」
斉藤さんと会話していると、プライベートまで丸裸にされるのか……。こっちは警戒したままでよさそうだな。
会議室の中に入ると……まず仰々しい照明設備とスタッフの数に驚く。もっと気軽なインタビューだと思ってた。
驚いて入り口で固まった俺のもとに、中央の椅子に座っていた人物がにこやかな笑顔で近づいてきた。
「大峰君。こんにちは」
「こんちは。伊藤さん」
グレーのジャケットに身を包んだ伊藤さん。体系が俺と似ている事もあって……若干俺とかぶってるんですけど……。
「なんかこうして並んでいるとこ見ると……2人兄弟みたいだね。顔の作りも若干似てるし」
「そうっすか? 俺はあんまり似てないと思いますけど……」
自分に似ているかどうかなんて判断できない。そもそも鏡で自分の顔を見る事も少ないし。よっぽど他人の方が顔立ちに対して敏感なのかもしれない。
「はい。じゃあ大峰君はこっちに座って。メイクするから」
「メ……メイク……とは」
「メイクはメイクよ。お化粧。大峰君肌きれいだからちょっとだけだよ」
大人の女性に顔触られるなんて初めてなんだけど……。未だに美容室で「眉毛整えますか?」に対して「お願いします」って言えない俺なのに。
「今回の対談はね、うちのウェブにも載せる事になってるの。しかもトップページ! 晴れ舞台なんだからお化粧くらいしないと」
「そうなんすか。お……お願いします」
スタイリストさんに顔をいじくられる事、10分。出来上がりを鏡で見ても何が変わったのかよく分からない。それよりも、真剣な表情で周りをスタンバイしている人達を見て緊張してきた。
「うん。ばっちり! これでまたファンが増えちゃうかもね」
「いや、そういうのはいいんすけど」
「はい。じゃあこっちに座って」
片平さんに促され、2つ並んで設置された椅子の一つに腰掛ける。伊藤さんが横の椅子に座り、少し離れたところに片平さんが座る。
大きな照明器具に光が灯り、俺と伊藤さんを照らした。周りを多くの人が取り囲み、テレビ局が使うような大きなカメラを構えている人もいる。
「そんなに緊張しなくていいよ。私が聞いた事に答えるだけでいいから」
「は……はい」
「大峰君。僕がおじいちゃんに教えてもらった、緊張をほぐす方法があるんだけど」
緊張とは無縁、といった顔をしている伊藤さん。俺もサッカーの試合とかなら緊張する事はないんだけど、こういう場はどうしても……こう、なんというか。
「ぜひ教えて下さい」
「周りにいる人達を人間と思わないようにするんだって。例えば動物に例えるとか」
「動物ですか?」
「うん。片平さんの事も動物と思ってしまえばいいんだよ」
動物。片平さんに似ている動物……。
「片平さんは何に似てる?」
「きつね」
「きつね!? あたし、きつねに似てるの!?」
とたんに周りから笑い声が上がる。
真剣な表情をして作業をしていた人達の表情が笑顔に変わった。一瞬にして空気が和やかな物に変わり、自然と緊張もほぐれていた。
「大峰君……あたしの事そんな目で見てたんだね……」
「片平さん、きつねに似てるかな? 僕は猫かなと思ってたんだけど」
「怒ると目が尖るんすよ、片平さん。その時の印象が強過ぎて。怒らせた張本人はあちらに」
少し離れた場所に座っていた斉藤さんがこちらを向いて苦笑していた。
「なんか釈然としないけど……まぁ、いいわ。緊張もほぐれたみたいだし。それでは始めましょうか。みなさん、準備はよろしいですか?」
それから約1時間。
対談はスムーズに進み、滞りなく終了した。