シフエ東京戦そのあと 1
激戦を終えたパスヴィアの面々は、とにかくダレていた。
「きつい眠い腹減った。こんなに疲れた試合久々だな……」
池内さんがお腹を抱えてうずくまっている。周りを見渡せば池内さん以外のメンバーも地面にへたり込んでいた。
試合を終え、ロッカールームに引き上げたあたりから皆こんな調子。
現在ホテルに向かうバスの到着を駐車場近くで待っているところ。ふと関係者出入り口のほうに目をやると、帰り支度を整えたパスヴィア関係者がわらわらと出てきていた。
「大峰ぇ、お前が一番走りまわっただろうが。何で一番元気そうなんだよ……」
「え? いや、もちろん疲れましたけど……」
もちろん疲れたんだけど……なんというか、それ以上に楽しかった。充実感が俺を包んで、疲労感を吹き飛ばしている。
こんなに試合でワクワクしたのは……ホントに久しぶりだった。
「おおみねー! お客さんだぞー!」
警備員さんがいるポール際で三上さんがこっちに手を振っていた。
あら? あそこにいる3人組は……
「ヒロ。お疲れ」
髪を2つに結んで、パスヴィアユニフォームのレプリカを着た結衣。結衣も一緒に観客席から戦ってくれていたんだろう。あたしも疲れたぁ、と言いたげな顔をしている。
「ホント疲れたよ。ばあさんも木原さんも、見に来てくれてありがと」
「ふん」
「ぼっちゃん……わたくしはぼっちゃんの凛々しいお姿をこの目に焼き付ける事ができました。これでいつお迎えがきても……」
「……ちょっと大げさ過ぎないかな?」
木原さんがハンカチで顔を覆っていた。……そういえば、心なしか結衣の目も充血しているような気がする。ばあさんはあらぬ方を向いて……すげない態度。こっちはいつも通り。
「ここだと目立ってしまいますから……どうぞ中に入って下さい」
「え? いや……でも。ちょ……ちょっとおばあちゃん!」
三上さんに返事をする事なく、スタスタと中に入ってくるばあさん。
とある人物の前でピタっと止まる。
「ご無沙汰してます。高崎社長」
「久しぶりだな、西川」
背筋を伸ばした西川監督が、直立不動でばあさんに挨拶をしていた。
「え? 監督、ばあさんと知り合いなんですか?」
「……あぁ、昔ちょっとな」
意外な共通点に驚く。
……なるほど。うちの母ちゃんと繋がっていたのもこういう理由があったのか。
「大峰。お前は今から別行動でいいぞ」
「いいんすか? 練習とかは……」
「もともと明日は軽い練習とミーティングだけの予定だ。久しぶりの地元だろ? ゆっくりしていけ」
「はぁ……」
「大峰。だったらこれ。サボるなよ」
近くにいたアスレチックトレーナーの吉田さんからA4の紙を渡された。目を通してみると、明日の練習メニューが書いてあった。……うん、確かにこのメニューなら一人でも問題なさそうだな。
「あ……でも、今日の試合勝てなかったから、俺……」
そういえば、試合前日にばあさんと約束してたんだった。
「……ふん。この婆は『試合に負けたら家にはくるな』と言っただけさね」
「……そっか」
相変わらずこっちに目線は合わせてくれない。眉間にしわを寄せて険しい表情を作り、そっけない言葉を返すばあさん。
でも、俺はばあさんの言葉を額面通り受け取った事は……これまでに一度として、ない。ばあさんはいつも本音と態度が裏返し。
ちゃんとわかってる。今日も、ばあさんが俺を応援してくれていた事。
だって……ばあさんが防寒用に羽織っているコートの下に……パスヴィアのレプリカユニフォームが見えているから。
「それでは、奥様、わたくしはお車をこちらへ……」
「あぁ。お願いするよ」
ばあさんが簡潔に答え、木原さんが屋内駐車場に向かって歩いていった。
「ヒロ、今日は……いつもより燃えてたね」
「そうか?」
「うん。目がキラキラしながらギラギラしてた」
「はは。そっか」
「とっても、かっこよかった……よ」
「あ……ありがと」
きめが細かい、弾力に富んでいそうな結衣のほっぺが真っ赤に染まる。結衣の飾らないストレートな言葉に、俺の体は即座に反応してしまった。
顔が熱い。きっと俺の顔も、結衣のように赤くなっているんだろうな。
「あー! 大峰がいちゃいちゃしてる!」
「池内隊長! 今こそ粛正の時!」
「ちょちょちょ! そんなんじゃないっすよ!」
池内さんと小森さんが喜色の表情をこれでもかと浮かべながらこちらに走ってきた。2人とも試合前はあんなに緊張してたくせに。こんな時だけ調子いいんだから。
2人に捕まった俺は、羽交い締めにされ、もみくちゃにされ、髪をぐしゃぐしゃにされ……やられ放題。されるがまま。
……もう好きにして下さい。
気づけば……隣にいたはずの結衣は、三上さん、ジローと並んで、こちらを指差しながら大笑いしていた。それどころか、パスヴィアの関係者ほとんどが俺らの周りを取り囲んで笑っている。大口を開けて。オーバーリアクションで。
みんながいつの間にか童心に帰っていた。
……まぁいいや。
みんな楽しんでいるみたいだし。
ここ最近、俺はチームワークと信頼関係の構築を課題にしていた。
チームワークに関しては、それなりによくなってきたと思う。
今日の試合では、好き勝手動く俺をチームのみんなが首尾よくフォローし、穴を埋めてくれた。
自発的に声を上げ、積極的にコミュニケーションを取る事もできた。あまり自分の事を褒めるのは性に合わないが、ほぼ受け身一辺倒だった今までの俺を考えれば、かなりの進歩と言えるんじゃないだろうか。
スリアロ戦以後、練習や試合中以外でチームメイトとコミュニケーションを取る機会も増えた。
今のこのバカ騒ぎだってそうだ。
今までの俺なら、おそらく騒ぎを遠目で眺めるだけ。もしくは、騒ぎに巻き込まれそうになったら、そーっと逃げていた。
全ては……結衣のおかげ。
スリアロ戦の前に結衣からアドバイスをもらえた事で、俺は自分に足りないものを自覚する事ができた。
感謝の気持ちは、溢れんばかりに俺の心に溜まっている。
恥ずかしがってる場合じゃない。
ちゃんと……伝えなきゃ。感謝の気持ちを――
「大峰ー! お前まだつき合ってなかったのか!? 早く捕まえとかないと、そのうちかっさらわれてしまうぞ!」
「おい! なんなら俺が恋のキューピットをしてあげても……」
「結構です」
……2人でいる時に。
何とか羽交い締めの拘束から逃れ、はしゃぎだした池内さん達のもとを離れた俺は、関係者用出入り口のほうへと歩いてきていた。
出入り口からは、赤と青のジャージに身を包んだシフエ東京の関係者が、続々と外に出てきている。
シフエのバスはもう既に駐車場にて待機していたようで、そのままバスに乗り込んでいるようだ。
次々に流れていくシフエ東京の関係者達を眺めていると、お目当ての人物はすぐに見つかった。
「伊藤さん」
「大峰君。お疲れ様」
シフエ東京、伊藤翔太さん。
伊藤さんの顔は晴れ晴れと、どこかスッキリしたような表情をしている。
「今日は勝負が着かなかった……って事でいいのかな?」
「そうっすね。次を楽しみにしています」
「僕も楽しみにしておくよ……といっても、次の対戦は最終節近くだけどね」
「あっそうか。そうでしたね」
今年のJ2はシーズン42戦をおこなう。最終節が11月くらいだったから……次の対戦は半年あとくらいか。
「いろいろ僕に聞きたい事もあるだろうけど、今日は早く戻らないといけないから……明日でもいいかな?」
「明日?」
「タイムリー新聞のインタビュー。受けるんでしょ? 僕と一緒に」
「……あーそう言えばそんな事も……」
すっかり忘れてた。
そうだよ。片平さんが言ってたな。
「その時に全て話すよ。じゃあまた明日」
「はい」
にこやかな、爽やかな笑顔を残して、伊藤さんはバスの方へと向かっていく。
俺は今日、初めて顔を合わせた時から、伊藤さんに対して……ある種妄想に近い、はっきりとしたイメージを抱いていた。
敵に回れば、最大のライバル。
味方になれば、最高のパートナー。
これから先、幾度となくボールを蹴り合うであろう、1人のサッカー選手。その選手の後ろ姿から、いつの日か実現するかもしれない「その時」のイメージを、俺は脳内で色鮮やかに、なぜか克明に描いていた。
4月28日、土曜日、19時キックオフ。
東京、デイブロック・スタジアム。
第10節。
パスヴィア福岡 V.S. シフエ東京。
1—1。
引き分け。
得点。
前半31分、シフエ東京、田中実、PK。
後半32分、パスヴィア福岡、大峰裕貴。
「ヒロ坊は……いい顔で笑うようになったな」
「そうですね。彼がパスヴィアに来て……3年くらいですか。当時に比べれば……明るくなりましたね」
「あれから……8年……か」
「早いのか、遅いのか……。判断に迷いますね」
「今でも……あの時の判断は正しかったのか……いくら自問自答をしても、結論が出ないよ」
「……清貴は、喜んでいると思いますよ」
「西川……さん。これからも……裕貴を、よろしくお願いします」
「はい」