V.S. シフエ東京 6
「倉田さん!」
センターサークル付近にいた俺はわざと目立つアクションで、最終ラインに張っていた倉田さんへ手を振る。シフエDF全員と伊藤さんが一斉に俺に注目する。「……ちっ、面倒くせぇ」とでも言いたげな表情を浮かべた倉田さんだったが、俺の意図には気づいたようだ。こっちに向かって走ってくる。
「#17! パスヴィアのフォワードは一旦下がるぞ!」
シフエCBの指示が聞こえる。
「大峰君には僕がつきます!」
伊藤さんがシフエCBの指示に答えた。
この状況で伊藤さんが俺へのマーク。
願ったり叶ったりってやつだ!
「オミーネ!」
センターサークルから勢いよくジローの近くまで上がってきた俺は、近距離でパスを受ける取ると、すぐさま伊藤さんと正面で向き合う。さらに間髪入れず、そこに前線から倉田さんが走り込んできた。
「え?」
後ろから倉田さんの気配を感じた伊藤さんが振り返り、一瞬困惑の表情を見せた。
伊藤さんでなくても困惑するだろう。
さっきまで、やりたい放題に暴れていた3人がほぼ1つの地域に集合してしまっていた。現在前線にいるパスヴィアの選手は、ゼロ。
もちろん――作戦なんかない。この先の展開は……ピカイチのアイディアを思い浮かんだ人が、続きを描く権利を持つ。
倉田さんがこちらに走ってきた。接触まであと3秒。
ジローは周りを確認している。
俺と伊藤さんはにらみ合ったまま。
倉田さんはスピードを緩めない。接触まであと2秒。
ジローがニッと笑う。
ジローの視線の先を追うと……三上さんとパスヴィアSBがオーバーラップしてきていた。
シフエDFが慌ててマークに向かっている。
伊藤さんは俺だけを凝視していた。
倉田さんはなおも突っ込んでくる。ついに俺の前に立つ伊藤さんを追い越した。接触まであと1秒。
ジローが俺の隣で走り出す構えを見せる。
シフエDF陣はオーバーラップ組に気を取られているようだな。
伊藤さんは……さぁ、どうでる!
そして、次の瞬間。
「Go!」
ジローの短いかけ声と同時に、俺とジローが前線へと走る。
ボールは……その場に置いたまま。
俺と倉田さんが近距離ですれ違う。
ボールを倉田さんに託す。
「……!」
驚愕の表情を浮かべた伊藤さんはすぐさま俺を追いかけ、俺とジローのちょうど間におさまった。
ジローは真っ直ぐ、左ポスト付近を目がけて走る。
俺は三上さんが作ってくれた「穴」を目がけて走る。ゴール正面。
3人でほぼ同時にスタートを切った。走り始めてすぐにジローと伊藤さんを引き離し、俺が体一つ抜け出す。
先程の膠着状態で、ジローとパスヴィアMFはサイド攻撃をちらつかせていた。これに気を取られたシフエは中央が少しだけ薄い。オーバーラップ組を加えてパスヴィアは前線に4枚。対するシフエの中央も伊藤さんを含めて4枚。
つまり――
そろぞれ一対一の真っ向勝負!
――倉田さん!
全力で前を向いて走っている俺からは、倉田さんがどんな様子なのか全く分からない。後ろを振り返ればワンテンポ遅れ、伊藤さんに追いつかれてしまう可能性がある。
どんなプランを誰が描こうと、俺は自分の環境を整えるのみ!
今は走る!
仲間を信じる!
ここで、俺の視界は左目の端である変化を捉えていた。
ジローが急ストップ。天然芝をジローの赤いスパイクがえぐっている。
俺はもうすぐペナルティエリアに差し掛かるところ。シフエ最終ラインまで、あと少し。
素早く隣を確認する。
伊藤さんは体三個分俺の後ろにいた。
さらに左右を確認。
シフエDFはそれぞれのマークについていた。こっちへの救援は……微妙だが距離がある。多分来れない。
伊藤さんからシフエDF陣に指示も飛んでいない。どういう理由か知らないが、ここは大チャンスと捉えていいだろう。
ここまで状況を確認したところで――
いつの間にかパスを受け取っていたジローが、こちらに向かってボールを蹴ろうとしているのが目に入った。
俺に来る!
直感でそう感じた。
この位置なら伊藤さんはパスコースに入れない。
だが、この角度だとダイレクトでシュートは難しい。トラップしてボールを一旦落ち着ける必要がある。ワントラップを挟めば……伊藤さんは追いついてくる。
ゾクゾクっと鳥肌が立つ。
武者震い。
自分でもこの状況に興奮しているのがわかる。
ボールさえ受け取れれば追いつかれてもいい!
真っ向勝負!
ジローはこちらを向いたまま、ボールを蹴る動作に移り始めていた。ジローの近くにシフエMFがいるが、このタイミングならカットはできない。
俺の眼前は開けている。三上さん達が作ってくれた穴。
スペースは十分。
ジローからのパスがくると信じ、その後の展開を頭に描いていた――俺の隣に、伊藤さんが並んでいた!
――いつの間に!
どんだけポテンシャル秘めてるんだよ、この人は!
明らかに伊藤さんは前半よりスピードが乗っている。ボールを持っていない状態でのスプリントで追いつかれたのは、人生でこれが初めて。
まずい。
このままじゃ……パスコースに入られてしまう。
「ジロー!」
全力で走りながら、俺は声を張り上げた。どれだけのボリュームで声を出したのか自分でもわからない。ジローの耳には届いていないかもしれない。
俺の意図が伝わる事を信じて、今度は右手の親指を相手ゴールに指す。
普通なら、一度キックモーションに入ってしまえば、途中でプランの変更なんかできない――普通なら。
でも……ジローなら……。
「キーパー!」
伊藤さんが叫ぶと同時に、ジローがボールを蹴り上げた。
若干右に巻いた、スピードが乗ったパス。楕円の軌跡を描くボールはシフエゴールの中央に飛んでいる。
この軌道なら、狙いは……やっぱり俺!
このままいけば、ボールは俺のおよそ2〜3mほど前を通過する。少しパスが長い。一見ジローのパスミスのように思えるが――
伝わった!
ジローのパスは、おそらくJリーグの中でも指折りの精度を持っている。通常ならスピードを少し緩めて受け取れる、「優しいパス」を入れてくれるはずだ。
でも今は状況が変わった。普通のパスだと、追い上げてきた伊藤さんにカットされてしまう。
俺のジェスチャーからそこまで読み取ってくれたジローは、普段の彼からは想像ができないほど、荒々しく、乱暴なパスを送ってくれた。
ここはカットされない事が最優先!
絶対ジローのパスを受け取ってみせる!
覚悟を決めた俺に、本日2回目の電撃が全身を貫く。
――ゾーン!?
ボールはまだ受け取っていない。
加えてシュートイメージなんて全然固めていない。
その場のアイディアで勝負していたところだ。
こんな状態なのに――なぜ?
――考えるな!
最大のチャンスに変わりはない!
スローモーション化した俺の視界左隅に、ジローが放ったボールが映る。
ボールは俺の左隣を走る伊藤さんの――頭上を通過していく。
「おおぉぉぉぉ!」
無意識に放った気合いの声とともに左足を踏み込み――飛ぶ。
全力で走りながらの跳躍。
まるで――走り幅跳びをおこなうように。
走り幅跳びと違うのは一点だけ。
右足を大きく前に突き出している事。
ジローのパスを――空中で受け止めるために。
ボールは――俺の右足太もも、内側に当たった。
空中で体勢を整えながら右足を少しだけ、外側に開く。ボールの勢いを殺すために。
全身の神経が鋭敏になっている今は、ボールの持つ「クセ」が逐一俺に伝わってくる。その情報をもとにしながら、細かい調整を脳から右足に伝達した。
果たして――ボールはジローから伝えられた荒々しさを鎮め、大人しく俺に従う。前方1m。着地と同時にシュートできる位置に、ボールは落ち着いた。
ズンッッ!
右足1本で着地したと同時に、凄まじい衝撃。本来聞こえないはずの「音」を、右足が痛覚を通して俺に伝えた。続けて、全体重を支える右足からギシギシと悲鳴の声が上がる。
――耐えろ!
こんな時のために毎日キツいトレーニングをしているんだろうが!
左足を後ろに引いたまま、右足での着地に成功し、そのままシュートの体勢に入った。
一方、伊藤さんは隣に並んでシュートブロックの体勢に入り、前方からはシフエGKが突っ込んでくる。2人に挟まれた。
俺の前方、やや右寄りからGKがスライディング。
俺の左隣からは伊藤さんがボールに足を出してくる。
このまま左足でシュートをすれば、おそらく……前半の再現をしてしまう。
まさに、ここしかない、というタイミング。先程伊藤さんが声を上げた時か……その前にジェスチャーでGKに指示を出していたのか。まぁ、どちらでもいい。前回と違って今回は――
予想済みだっつーの!
前半俺がやってしまったミスは……伊藤さんが止めにくると「全く予想していなかった」事。伊藤さんが来ていると気づいたその時には、足をほぼ振り下ろしていた。こうなれば、さすがにゾーン中でも止められない。
今はこういう状況になる事を頭の片隅で予想していた。
結果、俺の選択は――
シュートフェイント。
「「……!」」
後ろに引いていた左足を、勢いよくボールの左に踏み込んだ。
ボールはちょうど俺の両足の間に位置している。
伊藤さんが差し出した足は、俺の左足を容赦なく削る――が、ボールには届かない。
続けざまに右足をボールの左前に置く。この右足を軸に、体を反時計回りに半回転スピンしながら、左足裏でボールを引き、前方へボールを連れて行く。
まるで踊るように。
ルーレット。
ジローの得意なドリブル技。
1回転して前を向いた俺の前には――誰もいない。あるのはゴールのみ。
冷静にボールを右足で転がし――ゴールを奪った。
『オォォォ!』
ピィィィィィー!
後半32分、同点。