V.S. シフエ東京 4
「枚数は十分揃っている! 冷静に対処しろ!」
パスヴィア最終ラインから三上さんが叫ぶ。
シフエ東京が放ついきなりのカウンターに、一瞬パスヴィアメンバーはあっけに取られた。ただ、三上さんの言うとおり、パスヴィアの体勢は全くと言っていいほど、崩れていない。
これは……シフエの悪手だろう。
落ち着いて対応すれば問題ない。
ボールを奪う事ができれば、逆にチャンスだ。
……おそらくパスヴィアメンバーのほとんどが、こう思っているはずだ。
だが俺は……ヤバい空気を感じる。
先程、伊藤さんが前線に走っているのを見た時から、背筋に走る悪寒が止まらない。
試合が開始されて、おおよそ30分。
このたった30分で、俺は伊藤翔太という選手の、言い知れぬ「危険性」を感じていた。
右サイドを勢いよくドリブルしていたシフエMFが、一旦、ライン際で停止した。
間髪入れず、オーバーラップしてきたシフエSBがボールを受け取る。
「池内は#18につけ! クロスが上がったら死ぬ気で止めろ!」
「おうよ! こんなくそガキにいかせるか!」
勢いよく攻め込んできたシフエだったが、中央の最前線まで上がってきたのは、伊藤さんを入れて……3人だけ。
中央で待ち構えるパスヴィア陣と同じ人数だが、高さではパスヴィア有利。
唯一、伊藤さんだけが、池内さんよりわずかに背が高いが……。
伊藤さんをピンポイントで狙って……クロス……?
伊藤さんの背は俺と同じくらい。低くはないが……もっと高い選手もいる。
なぜ……伊藤さん?
守備に関しての千里眼は確かに、すごい。これはもう疑いようがない。どんな仕組みかわからないが、こちらの心を読まれている。
攻撃にも……これを応用できるのか?
まずい。プランが全く読めない。
……頭を働かせろ! 考えろ!
シフエは、伊藤さんは何を狙っている?
なぜこのタイミングで仕掛けてきた?
……俺が攻め上がるのを待っていた?
……いや、俺が攻め上がったのは、これが最初じゃない。
オープニングでは、池内さんと2人で攻め上がりもした。
じゃあ何が違う?
全力で自陣に走りながら、神経がすり切れんばかりに頭を回転させる。
俺の前方を走る伊藤さんは、もうすでにペナルティエリアの中に入っていた。だが、俺とポジションをチェンジした池内さんが、きっちりマークについている。
もし、このままクロスが上がったとしても、池内さんなら止められるだろう。
伊藤さんと池内さんは、明らかにミスマッチ。
身長で勝っていても、空中戦で体をぶつければ伊藤さんはひとたまりもないだろう。
なぜ、わざわざ俺と池内さんがスイッチした時を狙って……。
これなら、やっぱりオープニングの方が……。
……スイッチ?
……!
狙いは……
「池内さん!」
俺が声を上げた、その瞬間。
右サイドをオーバーラップしていたシフエSBから、クロスが上がる。高いボール。
ボールは寸分の狂いなく――伊藤さんと池内さんのもとへ。
あの体勢は……ヤバい!
「池内!」
三上さんの角度からだとよく見えるんだろう。
池内さんがジャンプする時の癖。
右手が……開いている。
その右手の肘の位置に……伊藤さんの顔。
ガンッ!
空中で池内さんの肘がモロに当たった伊藤さんは、そのまま体勢を崩し、ピッチに倒れ込んだ。
ピィィィィィィッ!
レフェリーがホイッスルを吹きながら、ペナルティエリアの中に入っていく。
――ファール。PK。
唖然とした表情で両手を広げ、池内さんは無実を訴える。
これに対するレフェリーの返答は、胸元から取り出した1枚のカード。
イエローカード。
『ワァァァァー!』
PKという、千載一遇のチャンスに湧くシフエサポーター。シフエサポーターは前半ここまで、ずっとパスヴィアに攻められていたフラストレーションが溜まっていたんだろう。ここぞとばかりに、ノドを涸らしている。
「は……はぁ!? ファール!? 向こうが勝手にぶつかってきたんだろうが!」
「池内さんっ!」
レフェリーに鬼の形相で近づく池内さんに、俺は後ろから飛びつき、池内さんを羽交い締めにした。
一度下された判定が覆る事はほとんどない。
それどころか、これ以上の抗議がレフェリーへの侮辱行為ととられれば、もう一枚イエローを――つまり、退場する可能性もある。
暴れる池内さんを必死に抑え込む。
「……くそがっ!」
俺を強引に振りほどいた池内さんは、右足でピッチを荒々しく蹴り、頭をかきむしっていた。
……どうにか治まったかな。
ふと伊藤さんの方を見ると、座り込んだままシフエメンバーと軽い会話をしているようだった。池内さんのヒジがモロに入ったように見えたが、特に怪我はなかったようだ。
やっぱり……これを狙って……。
これで、伊藤さんが池内さんに張り付いていた理由も納得できる。
おそらく……観察していたんだろう。
池内さんの癖を。
だから……何度競り負けても、池内さんに空中戦を挑んでいたのか。
この展開を予想……いや、読んで。
「ずいぶん考え込んでいるようだね」
シフエFWがPKを蹴る準備を始め、他の選手達がペナルティエリアの外に出ていた。ゴール正面で事の成り行きを見守っていた俺の隣に、伊藤さんが並んできた。
「……おかげさまで」
相変わらずのポーカーフェイス。
相変わらず優しそうな、人が良さそうな表情のまま、伊藤さんは俺に話しかける。
俺は故意に目線を合わせず、ボールをセットしているシフエFWの方を向く。
「斉藤さんから、僕のゾーンの話を聞いたんじゃないのかい?」
「どんなゾーンなのかは聞いてないですよ」
「じゃあ教えてあげるよ。僕の場合は……」
「結構です。もう分かりましたから」
伊藤さんの目の色が一瞬変わったように見えたが、多分誤差の範囲だろうな。こんな返答くらいで驚きはしないだろう。
伊藤さんのゾーンについて、実際は何もわかっていない。
わかっていないが……今伊藤さんと会話自体をするべきではない。
俺には……伊藤さんが本当の事を言っているのか、判断できない。
余計混乱するくらいなら、情報はいらない。
直感に従うのみ。
自分の目で見た事だけを信じる。
俺はこうやってサッカーしてきたんだ。
自信を……持て!
「君は思った通りの人だよ。だからこそ、君との対戦を熱望していたんだ」
「…………」
「ベラベラしゃべってんじゃねーよ」
いつの間にか逆隣にいた倉田さんが、よく通る低い声で一言。
「……倉田さん」
倉田さんの横やりに興を削がれたのか、伊藤さんは黙ってその場を移動した。
「このままやられっぱなしで終われねーぞ。あのくそガキには散々コケにされたんだ。こちとらハラワタ煮えくり返ってるんだよ」
「はい」
その目に火を灯し、普段から鋭い倉田さんの眼光が、いつもに増して尖っている。
「ガンガン攻めるぞ。もし点を取られても取り返せばいいだけだ」
「そうっすね」
そこまで言うと、倉田さんはセンターサークルの方へ走って行った。
ピィィィィッ!
気づけばシフエFWがPKの体勢を整え、シュートの体勢に入っていた。
シフエFWは長い、ゆっくりとした助走からボールを蹴る。
ゴール右隅。
グラウンダー。
小森さんも同じサイドに飛ぶが……それよりも早く、ボールがゴールネットを揺らした。
ピピィィィィィッ!
ジェスチャーでシフエゴールを表現しながら、レフェリーが再びホイッスルを吹く。
0―1。
ここまでの9節、決して少なくない失点を重ねているパスヴィアだったが、先制点を決められたのはこれが今シーズン初めての事だった。
ハーフタイムに入り、一旦ミーティングルームに引き上げたパスヴィアの面々は、それぞれ思い思いの時間を過ごしていた。
ある人はマッサー(マッサージする人)からのストレッチを受け、ある人は水分補給。ある人は近しいポジションのメンバーと作戦会議を行い……池内さんはユニフォームを脱いで、1人地面に突っ伏していた。
全員の表情に共通するのは……焦燥感。
「三上、どげん思う?」
「もはや疑いようはないでしょう。あの#18に全てを管理されてます」
スパイク、ソックスを脱いで太もものマッサージをしていた俺に、中田コーチと三上さんのディスカッションが聞こえてきた。
「一見うまく攻めているように見えますが……間違いなく、死路に導かれています。どんな魔法を使っているのかはわかりませんが」
「やっぱりそうか……外から見ていてもわからんもんやな」
三上さんも俺と同じ感想を抱いているらしい。
憶測も混じってしまうけど……やっぱり伝えておこう。
「三上さん、中田コーチ」
俺は2人に、俺が知り得る一部始終を伝えた。なるべく素直に、率直に。
伊藤さんは、思考型ゾーンの持ち主だという事。
その中身はまだ分かっていない事。
伊藤さんが池内さんのマークについていたのは、おそらく観察するためだという事。
そして……俺と池内さんがポジションスイッチするのを、狙っていた事。
「なるほど……結論は出せないが、そう考えれば筋道は立つな」
「バケモンか……あんくそガキは……」
中田コーチの気持ちはよく分かる。俺もプレー中に似たような気持ちになった。
「なるほどな。高校生Jリーガーは伊達じゃない、という事か」
他のメンバーに指示を出していた西川監督が、こちらの会話に加わる。
「その話が本当なら、大峰、何も迷う必要はないだろう?」
「……え?」
普段あまり感情を表さない西川監督が、笑っていた。
まるで、ようやく楽しくなってきた、とでも言わんばかりに。
「真っ向勝負。力でねじ伏せてみろ」