福岡の高校生サッカー選手 1
浜風が少し冷たくなってきた、4月の夕暮れ。
俺、大峰裕貴はこれから始まる練習に向けたウォームアップをしている。
まわりのパスヴィア選手も体を暖め始めているが、動きに一貫性はない。ウォームアップの方法には特に決まりがなく、それぞれがトレーナーと相談して決めたメニューをこなしている。
ここはJリーグディビジョン2、いわゆるJ2に所属する、パスヴィア福岡の練習場。
場所は福岡市の海岸沿いに位置する埋め立て地。
4年前に発令された福岡市の「スポーツで県を活性化」政策の一環で、この埋め立て地にはたくさんのスポーツ団体が本拠地を構えている。
すぐ隣には野球の福岡ウグイスが2軍練習場を構え、ウグイスのホーム球場、福岡TQBドームも目と鼻の先にある。
埋め立て地の隣には、福岡で有名な百道浜海浜公園があり、真新しいスポーツ施設から放たれる幻想的なライトアップの効果もあって、この地域はここ最近人気のデートスポットになっているようだ。
パスヴィアの練習場からは奇麗なイルミネーションを通して、海を眺めることができる。まさに絶景。
もちろん練習中に海を眺める余裕はないが。
「大峰ぇ! お客さんだぞ!」
グラウンド内で体を動かしていた俺は、パスヴィア戦術担当コーチの中田さんから声をかけられ、その場に立ち止まる。
「俺に……ですか?」
この時間に俺へ用があるお客さん。心当たりは……ある。
「タイムリー新聞の記者さん。ちかっぱ(とっても)べっぴんさんやったぞ」
予想は確信に変わった。ただ……どうしてもこう言わずにはいられない。
「タイムリー新聞……。ああ、またあの人か……」
「……愛想よくしろよ。お前目つき悪いけん」
パスヴィア随一の強面からありがたい助言を頂く。
「……人のこと言えないでしょ」
「大峰くーん!」
フェンス越しに大声で俺の名前を叫ぶ女性。
ここ最近俺に付きまとってくる番記者。
「練習まではまだ時間あるでしょ? ちょっと話聞かせてよ!」
茶色の髪を耳にかけながら、二十代の半ばにしては少し幼い、屈託のない笑顔をこちらに向けてくる。
この笑顔を見るといつも思う。
……断りづらい。
フェンスゲートからグラウンド外に出て、声をかけてきた女性の側へ歩み寄る。
「……2部練まであと1時間くらいしかないですけど、それで良ければ」
「オッケーオッケー! そういや、サッカーってなんで1部練とか2部練とかって言うの?」
サッカーでは、おそらくほとんどのチームが全体練習を午前と午後の2つに分けている。
パスヴィアの場合、午前がだいたい9時から11時くらいまで。
午後が14時から16時まで。あるいは18時から19時半まで。
この午前の練習を1部練、午後の練習を2部練と言っている。
「俺に聞かれても知らんっすよ。片平さんのほうが詳しいんじゃないんですか?」
「あたし? ダメダメ。まだサッカー担当になってから1ヶ月しか経ってないし。ルール覚えるので精一杯。ちょっと待ってね、レコーダー用意するから」
カバンの中からスマートフォンを取り出し、慣れた手つきで画面に指を滑らせる。今や何でもスマホ一つでできちゃうんだから、記者さんにとっては欠かせないものなんだろうな。
フェンスゲートからほど近い、街灯下の赤いベンチに2人並んで腰かける。
片平さんからインタビューを受けるときの定位置。
「あーあー。4月19日、木曜日。百道浜クラブハウスの練習場。愛しの大峰君にインタビュー、っと」
「……今日は何を話せばいいんですか」
「ちょっとー。もっと元気にいこうよ! 高校生らしくないぞ!」
……苦手なノリだ。
「あれ? ちょっと立って。また背伸びた?」
促されてベンチから立ち上がった俺を、片平さんが下から見上げる。
「3日前に会ったばっかじゃないっすか。伸びるわけない」
「今何cm? 体重は?」
「えーっと、180cmの62kgですかね」
「軽っ! やせ過ぎじゃない?」
ベンチに座ったままの片平さんが、ペタペタと俺の腹筋や太ももを触ってきた。身体を捩って回避し、さっさと話を進める。
「サッカー選手としてはかなり軽いほうっすよね。成長阻害しないようにウェイトトレーニングが制限されてるんで」
おそらく180cmのサッカー選手なら75から80kgくらいが平均的な体重だろうか。骨格や筋肉の質なんかを考慮したとしても、俺の体重は相当軽い。
「すくすく育てよ、若者。とりあえず座って。てか何で立ってんの?」
「……すいません」
「えーと、まずはこの間の試合おめでとう! これでJ2得点ランキング余裕のトップだね」
賞賛の言葉。キラキラ光る笑顔を俺に向けて。受け取った俺の心が……片平さんほど光っていないことに気付く。
「……ありがとうございます」
「なに? 嬉しくないの?」
「もちろん、嬉しいですよ」
いぶかしげな表情で片平さんが首を傾げる。
「サッカー初心者のあたしでも大峰君が飛び抜けてスゴい事はわかるよ。高校生Jリーガーは何人もいるけど、やっぱりあなたは次元が違うと思う」
「そんなこと……ないです」
なお煮え切らない返事しかしない俺の態度になにか感じたのか、片平さんが身体を俺の方へ向け、俺と目線を合わせ、俺の瞳の奥深くを覗き込む。
「……何か悩んでることがあるの?」
「いえ、そういうわけじゃないです」
「もしあれだったら、レコーダーは切るよ。記事にはしない。あたしはね、純粋に大峰君がどんな人か知りたいの。試合の前後、試合中、プライベートに何を思って、何を考えているのか。……ごめん、ちょっと重たいね。忘れて」
間髪入れず言葉を繋いだ片平さんだったが、勢いは最後まで続かず、終わりの方はボソボソとらしくない表情でつぶやいていた。……こういうところなのかな。片平さんが他の記者さんと違うなぁと感じるのは。
「じゃあ……今度お願いします。自分でも良くわかっていないんで、まとめときます」
「オッケーオッケー! お姉さんが君に勝るものなんて、無駄に年を重ねたことくらいしかないからね。いつでも良いよ」
「はは……ありがとうございます」
ドンッと胸を叩きながら一転して輝く笑顔をこちらに向ける。
「そういえばさ、他の高校生Jリーガーと交流ってあるの?」
俺と同じく、高校に通いながらJリーグの試合に出場している選手たち。現役で相当な人数がいると思うけど……。
「うーん。顔なじみが何人かいるくらい……ですかね。積極的に連絡とったりとかは、ないです」
「大峰君、友達少なそうだもんね」
「……ズバッと言いますね」
ほっとけ。
「伊藤君は? シフエ東京の」
「伊藤さん……は多分面識ないですね。U―15(アンダーフィフティーン)日本代表でも顔合わせてないと思うし」
「そっか。伊藤君は高校3年生だから……大峰君の2つ先輩か。彼が確か通算80人目の高校生Jリーガーだったかな」
「高校生Jリーガーってそんなにいるんすね」
自分を取り巻く環境のことなのに、驚かずにはいられなかった。
俺が生まれる前から高校生Jリーガーがいたことは知っていたけど、そんなにたくさんいたとは。
「大峰君が91人目の高校生Jリーガー。そして史上最年少の『プロ』高校生Jリーガー、ってことだね」
「……実感なんて何もないっすけどね」
高校生の場合は普通、アマチュア契約のままJリーグの試合に出ることがほとんど。
通称2種登録。
俺自身もつい最近まではこの2種登録選手だった。もちろん、高校を卒業した後にほとんどの選手が所属クラブとプロ契約をしている。
「それでね、まだ噂の段階なんだけど……伊藤君と大峰君、招集されるかもしれないって」
「招集? 何に?」
「U―23代表。つまり、オリンピック」
今年、2012年はオリンピックイヤー。
ロンドンで開催されるオリンピックにはもちろん男子サッカーの種目も存在する。7月末に開催されるので、5月の頭に代表を発表するスケジュールになっているのだが……。
「いや、無いでしょ。うちJ2ですよ?」
「あくまで、う・わ・さ。半分はあたしの願望」
「なんすかそれ」
サッカーオリンピック日本代表は23歳以下の選手を中心に構成される。通年、選ばれるほとんどがJ1のエース選手か海外リーグで活躍する選手達。まれにものすごい大学生やJ2の選手が招集されたりする。
J2の高校生。
……うん、ないと思う。
「でも大峰君、実績は十分残しつつあるじゃない。可能性はゼロじゃないと思うけどな」
「精進します」
「優勝したら『片平さんのおかげですっ!』ってヒーローインタビューで答えてね」
「……代表に招集されて、試合に出場して、日本が優勝して、さらに俺がヒーローインタビューされたら……言いますよ」
「ふふ……約束だからね」
足をベンチから浮かせてぶらぶらさせ、空を見つめる片平さん。彼女の背後で沈みつつある夕日が……奇麗な茶色の髪とほっぺたを赤く染める。
……あれ? そういやこれ取材だっけ。
なんかインタビューされている気がしない。
先程までの会話のどこを記事に使うと言うのだろう。
「大峰ぇ! そろそろウォームアップ始めろ!」
グラウンドから中田コーチの大声がこちらに届く。
「うそっ?! まだ聞きたいこと1つも聞いてないのに!」
……どうやらまだだったらしい。
「大峰君! 1つだけ! なんでボランチをしているの?」
「ああ、それは――」
「大峰ぇぇぁぁ! さっさとしろ!」
前回比で3倍ボリュームの怒声が響く。
「ごめんなさい。また今度話します」
「えぇぇぇー! じゃあまたね……」
「すいません」
しょんぼりしている片平さんを横目に、フェンスゲートからグラウンドの中へと戻っていった。