V.S. シフエ東京 2
『……さぁ、まもなく選手入場の時間ですね。今井さん、今日もどうぞよろしくお願いします』
『よろしくお願いします』
『いやー、先程大峰と伊藤が握手していた場面は興奮しましたね』
『次世代のエースですから、お客さんが興奮するのも分かります。2人とも締まった顔してましたね』
『今日は黒田U―23代表監督も視察に訪れているとの噂が出ていますが……』
『ああ、先程挨拶してきましたよ。黒田監督は大学の後輩ですから』
『そうでしたか。 黒田監督はどのあたりに注目されているんでしょうか?』
『やはり高校生2人が気になるようですね。その他にも両チームに注目選手が何人かいるとか……』
『そういえば、今年は代表発表が早いですよね? 例年、オリンピック開催の1ヶ月前に発表する事が多かったですが……。来週発表があるとしたら、開催の3ヶ月前です。何か意図があるんでしょうか』
『おそらく今回発表されるメンバーで固定はしないでしょう。予選を戦って来たメンバーと、ここ最近頭角を表して来た選手がどれほど融合できるかを見たいんだと思います』
『なるほど。期待して発表を待ちましょう。さて、今井さん。前節終了時点でパスヴィアが圧巻の9連勝。対するシフエも7勝1分け1敗とノリに乗ったチームの対決となりました』
『開幕前はこんな展開になるなんて誰も予想できなかったでしょうね』
『今日の注目ポイントをお願いします』
『1番はパスヴィアがシフエの鉄壁を崩せるかどうか、でしょう。大峰はもちろんですが、今日はアドルフ・ジローが復帰しますので、前節よりさらにパスヴィアは攻撃的になります。これにシフエがどう対応するか、ですね』
『なるほど。……さぁ、選手が入場してきました。両チーム、自分の持ち味を発揮する事ができるか、注目しましょう』
FWの倉田さんとMFのジローがセンターサークルの中に入って行く。
キックオフ直前。
パスヴィア陣内、ほぼど真ん中にポジショニングしている俺の視線の先に……伊藤さん。
相変わらず優しそうな表情を浮かべたまま、シフエDFと会話をしている。
今日初めて伊藤さんと会話をした印象は、一言、「わからない」。
前の日曜日にメンタルトレーナーの斉藤さんと話した時を思い出させる。
真意を読み取れない。
全てを見通したような表情、目線。こちらの情報は相手に筒抜けなのに、相手の情報は一切手に入れる事ができない、と感じてしまう。こんな風に考えている事自体、相手の手のひらの上で踊らされているのではないか、と思ってしまう。
あまり考え過ぎないほうがいいかもしれない。
4月28日、土曜日、19時キックオフ。
東京、デイブロック・スタジアム。
第10節。
パスヴィア福岡 V.S. シフエ東京。
ピィィィィッ!
試合開始のホイッスルが響く。
センターサークルのジローから、至近距離にも関わらず、かなり強いパスが池内さんへ渡った。ジローがいたずらっ子の様な顔をしているところを見ると、間違いなくわざとなんだろう。
苦笑した池内さんの顔に、ウォームアップ中の様な固さは、もはや無い。落ち着いてボールをコントロールしてから、パスヴィアSBにパスを送る。
シフエは前線までプレスをかけて来ることは無かった。
これは予想通り。
かなり引き気味でフォーメーションを整え、ある種全員守備の体制を整えている。シフエのいつもの守り方。
2人のシフエFWが、パスヴィア陣内で回されるボールをチェイスしているが、ボールをカットしようという気持ちが一切感じられない。
これも予想通り。
シフエ陣内に攻め込んだところで、恐ろしいほどのプレッシャーをかけて来る事だろう。まるでネコ科の肉食動物。
チラッとジローを見ると、すぐに目線を倉田さんに流してきた。
いきますか。
池内さんからもアイコンタクトが飛んでくる。
まずはお手並み拝見。真っ向勝負。
奇襲が得意なのは、シフエさんだけじゃないっすよ!
「ヘイ! イケーウチ!」
センターライン上、右サイド付近でボールをコントロールしていた池内さんが、中央で待つジローへパスを出す。パスを出されたジローのもとへ、シフエ選手のプレスが四方から一斉に押し寄せた。ゴール正面側からプレスをかけるのは伊藤さん。
ジローはゴールに背を向けたまま右足のインサイドでトラップすると、次の瞬間には左足のヒールで前線にパスをしていた。
ノールック。
囲まれる直前、一瞬の隙をついてボールを素早く展開。流麗な動作に思わず見蕩れてしまいそうになる。
ジローがパスした先に、ほぼゴール正面、相手バイタルエリアにいた倉田さんが待ち構えていた。前を向いた倉田さんにシフエDFのマークが1人。倉田さんのやや後ろから伊藤さんが追いかける。
「#8(池内さんの背番号)、#17!」
シフエCBの#3が大声をあげて指示を飛ばしている。
倉田さんの右から池内さんが走り込み、さらに左から俺が走り込んでいた。
枚数は十分。
オープニングから仕掛けてくるとは思わなかったのだろう、ジローのテクニックに翻弄されたシフエの体制が整っていない。
池内さんにパス。
俺にパス。
倉田さんがシフエCB#3と勝負。
はたまたすぐにシュート。
取り得る選択肢も多い。
さぁ、どう来る!
倉田さんが体を左に振り、一つ細かいフェイントを入れ、次の動作に移る――直前。
「勝負! パスもシュートもない!」
俺の右を走っていた伊藤さんが突然大声を張り上げる。
その声を受け、シフエCB#3はその場で若干腰を落とし、俺と池内さんをマークしていた他のDF達は、シフエCB#3のカバーに入れる位置に動いた。
おそらくドリブル突破を狙っていたであろう倉田さんは、始めた動作を中途半端に止めてしまい、そのままシフエCB#3に真正面から突っ込んでしまった。
体を入れられ、倉田さんがシフエにボールを奪われる。
間髪入れずに池内さんがプレスに走るが、シフエCB#3は落ち着いてボールを処理。フリーでサイドに展開していたシフエSBにボールをつなげた。
パスヴィアのファーストアタックはほぼ奇襲のような形だったので、前線に上がっていた選手は数名。パスヴィア陣内はほぼ統制の取れたフォーメーションを維持している。これを見たシフエは素早いカウンターを狙わず、陣内でパスを回してゲームを組み立てようとしていた。
この間に俺は前線から自分のポジションへと戻る。
「絶妙のタイミングで声を張られたな。おかげで倉田が迷っちまった」
「…………」
隣を走りながら池内さんがつぶやく。
果たして……そうなんだろうか。
確かに結果だけ見れば……ここしかないタイミングで伊藤さんが声を上げた事により、倉田さんは選択肢を無理矢理変更しようとして、失敗した。
ただ、気になるのは……。
シフエDF全員が「伊藤さんの指示に全幅の信頼を置いていた」こと。
周りの選手が他の選手に声を上げる事は珍しくも何ともない。当事者が気付かない事を教えるのは当然の事だ。
この場合引っかかるのは、伊藤さんの「予測」に全員がその通り行動した事だ。
今回のケースの場合、取り得る選択肢はおそらく複数あった。
そして、あの時点――伊藤さんが声を張るその瞬間――まで、どの選択肢を選ぶかは、当然だが倉田さん本人だけしか知らない。
もちろん予測する事はできる。
選手それぞれに癖や過去のデータがあるので、ある程度推測をして行動する事は可能だ。
ただ、あくまで予想。
外れる可能性もある。特に先程のバイタルエリアのような、即得点につながる場所では、こんなリスク通常は取らない。
それなのに。
シフエCB#3はシュートの可能性があるのにスペースを詰めず、ドリブル突破に備えてその場に留まった。
2人いた他のシフエDFは、俺と池内さんへのマークを半分以上外して中央へのカバーに行けるよう、ポジショニングを変更していた。
伊藤さんの指示に全幅の信頼を置いて。
試合が始まってまだ5分前後。
初っ端からこんなリスクを取る必要は――ない。
と、いうことは……。
リスクを取った訳じゃ……ない?
推測ではなく……確信?
――だめだ! 結論は出せない。プレーに集中!
涼しい表情をしてボールを回す伊藤さんを視界に入れてしまい、俺はこの日数度目の思考の迷路に入り込んでしまっていた。
ももたつばさです。
RAILs、お楽しみ頂けていますでしょうか。
物語も前半の山場に差し掛かって来たところですが、少し説明が必要な部分が出て来ました。
シフエ東京戦から初めて使った用語、『バイタルエリア』と『アンカー』についてです。
この小説では、サッカー知らない人にも読んで頂けるよう、極力専門用語の使用を控えていましたが、物語の都合で上記2つは使った方が分かりやすいと判断しました。
と、ここで問題が……。
『バイタルエリア』
『アンカー』
『ボランチ』
上記3つは特に解釈が多岐に渡るようですね。知らなかった……。
今まで自分が使っていた用法はどうやら一部の意味だけだったらしい事が判明したので、小説内での意味を統一しておきます。
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『バイタルエリア』
・得点の可能性が高い重要エリア。
・主にDFとMFの間のスペース。
・選手のポジションなど状況によって変形する。
『ボランチ』
・守備的MF = DMF = ボランチ。
・守備的な位置にポジショニングしているが、必ずしも守備的な仕事しかしない訳ではない。
『アンカー』
・ボランチの中での守備的な役割、またはその役割を受け持つ個人。
・アンカーというポジション名とは扱わない。
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上記を小説内での使い方にします。これ以外の使い方はしません。
詳しくは作者の「活動報告31」に記載しています。