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V.S. シフエ東京 1

『オーオーオッオ東京!』

 

 ダダダンッ

 

『オーオーオッオ東京!』

 

 ダダダンッ

 

 キックオフの19時まであとおよそ40分。

 

 おおよそ日が沈み、薄暗くなった周辺地域から隔離するように、ナイターランプが煌々とピッチを照らしていた。試合前練習を始めたシフエ東京にエールを送るサポーターの熱気と相まって、スタジアム内の空気は1℃、また1℃と上昇をしているように感じる。まるで、試合に向けて選手と一緒にウォームアップをしている、とでも言わんばかりに。

 

 ここ、東京デイブロック・スタジアムは東京の調布にある大型のサッカー専用スタジアムで、パスヴィアホームの福岡TQBスタジアムと比べておおよそ倍、5万人の最大収容人数を誇る。

 つい2年前に建てられたばかりの真新しいスタジアムは、イギリスにある有名5つ星スタジアムを参考に建設されており、レンガ風の外壁を外から眺めると、なんとも言えない異国風の情緒を醸し出していた。

 

「次、ターン、アップ!」


 繰り返される東京の応援歌を脳内から排除するように、パスヴィアの面々は黙々とウォームアップを続けていた。先程ランニングを終え、現在はベンチ前のライン際にマーカーを置いてのブラジル体操に取り組んでいる。

 声を出すのはメニューを指示するコーチのみ。

 もし一部始終を見ている一般の人がいるとすれば、あまりの変わりように驚くことだろう。ロッカールームでくだらないことを言ってはバカ騒ぎをしていた連中とは到底思えない、と。

 集中すること、それ自体は当然。プロなのだから。ただ……。

 

 今日はいつにも増して、みんなが「固い」ような気がする。

 コートの向こうで比較的和やかにアップをするシフエメンバーと比べれば歴然。ホーム、アウェーと環境の違いを差し引いても、なお。

 

 おそらく「追われるプレッシャー」がかかり始めたんじゃないかと思う。

 

 お世辞にも、去年までのパスヴィアの成績は良いものではなかった。良くても22チーム中、7位もしくは8位。最下位一歩手前の年もあった。

 そこにきて今年は開幕から9連勝。

 上位3チームはまだダンゴ状態だが、1位の座を譲り渡したことはない。加えて連続勝利数のクラブ記録を更新中。

 おそらく、生え抜きのパスヴィア選手にとっては未知の経験だろう。

 固くなるのも……無理はないか。

 

 元来俺は感情の起伏が小さい――サッカーグッズ談義中を除く――ため、緊張やイライラなどとはあまり縁がない。

 逆に言えば熱くなることも少ないので、ここが弱点とも言えるんだが。

  

「池内と……小森が特に固いな」


 ブラジル体操を終え、2人1組での基礎練習に移る前、スタッフからボールを受け取ろうとしたところで三上さんから声をかけられた。


「……そうっすね」


 いつも冗談まじりの会話で周囲を和ませる池内さんが、シフエサポーターの大合唱に舌打ちをし、試合前は朗らかな表情が印象的な小森さんが眉間にしわを寄せていた。

 

「イケーウチ!」

「うわっ。なんだよジロー」

 

 投げられたボールをヘディングして返していた池内さんの後ろから、ジローがジャンプして抱きついた。ちょうど、池内さんがジローをおんぶをしているような格好。

 

「Just chill out, イケーウチ」

「あん? 何、どういう意味?」

「落ち着け、ってさ」


 ニコニコと笑うジローの横で三上さんが通訳をする。

 

「イケーウチ。ダイジョウブ」

「……オッケー、ジロー」


 ジローの一言に、池内さんがいつも冗談を言っている時の表情に戻る。

 

「オイ! イケーウチ! シューチューセンカ! ハハハ!」


 そう言い残し、ジローは少し離れたパートナーの元に走って行った。おそらく最後の一言は中田コーチのマネをしたんだろう。

 

「ふっ。ジローにお株を奪われちゃったな」

「ははは」


 隣で見守っていた三上さんが、ようやく安堵の表情を浮かべる。

 

「よし、一旦戻るぞ!」


 中田コーチがジェスチャーを交えて、パスヴィアの選手達に指示を飛ばす。

 試合開始まであと30分。

 10分前には選手入場が始まるので、実質あと20分。

 

 チームによって試合前までの時間の使い方は変わるらしいが、パスヴィアの場合早くアップを終了させ、入場直前に短いミーティングを行っている。今日のようにナーバスな選手が多い時には特に有効だろう。

 ふいに上を見上げると、さきほどまでまばらだった観客席がシフエカラーの赤と青で埋め尽くされようとしていた。

 

 ……結衣もどっかで見てくれているのかな。

 最前列で大声を出している女の子を見て不意にこんなことを考えてしまった。

 いかん、いかん。そろそろ気持ちを作ろう、と一旦目を閉じた――

 

 そのとき。

 

「大峰君」


 一時的に視覚情報を遮断し、頭を整理させようとした矢先。まるでタイミングをはかったように、心理的防壁の間隙を縫うように声がかかる。

 

 初めて聞く声。

 

「……伊藤さん」

 

 振り向いた俺の目に飛び込んで来たのは……おおよそサッカー選手とは思えないほど、白い肌。

 やや茶色がかった髪はナイターランプの光を浴び、細く、柔らかそうな印象を俺に植え付ける。

 背丈や体の線が細いところを見ると、体格は俺のそれと酷似していた。

 

 伊藤翔太。

 

 メンタルトレーナーの斉藤さん曰く、俺と同じくゾーンに良く入る選手で、かつそのゾーンは「思考型ゾーン」という、俺からすれば未知の特徴を持っている、らしい。

 

 タイムリー新聞の片平さん曰く、俺と同じく高校生Jリーガーで、かつオリンピック代表の当確線上に浮上している、らしい。

 相応の実力を持っていることは……間違いない。


「今日を楽しみにしていたよ」


 優しそうな表情、険の無い言葉と同時に、俺へ握手を求める。


「……俺もっすよ」


 右手を差し出して握手する。

 俺たちのやり取りを見ていた観客からひと際大きな歓声が上がっていた。

 

 が。

 

 そんなこと気にしている余裕はない。

 一瞬でも目を離せば喰われてしまいそうな錯覚に陥る。

 

 相手選手の放つプレッシャーに潰されまいと必死に抗ったのは、おそらくこの日が初めてのことだった。

 

 

* * * 

 

 

「今日もスタートは4―1―4―1で行く。ジロー、ヒザの調子は大丈夫だな?」


 ミーティングルームで西川監督がジローに問いかける。現在ジローの横にはパスヴィアの通訳が控えており、同時通訳を行っていた。

 

「ダイジョウブ、デス」

「よし、ゲームメイクは任せた。固くなってるバカ共を思いっきり走らせてやれ」

「オーケー、ボス」


 西川監督がジロッと池内さんを睨む。

 一瞬ビクッと反応した池内さんだったが、頬をパンッと叩いて気合いを入れ直す。

 

「大峰。お前はスリアロ戦と同じく自由に動け。周りはバイタルエリアを最優先にカバーへ入れ」

「「「ういっす!」」」


 一通りの指示を出し終えた西川監督は一歩後ろに退き、代わりに隣から中田コーチが前に出る。

 

「俺からも一言。今週の練習でさんざん言ったばってん、今シーズンのシフエはダントツで失点が少なか。要因は間違いなく……ボランチの伊藤」


 得点、失点ともに多いパスヴィアとは対照的なシフエ東京。現在第9節が終了した時点でのチーム失点数は驚きの3点。3試合に1点しか取られていない計算になる。

 

「おそらく今日もシフエは4―1―3―2でくるやろう。うちと同じワンボランチの4バックばってんが、ボランチの性質は全く違う。うちの大峰が攻守にバランス良く展開するタイプに対して、伊藤はいわゆる『アンカー』タイプの選手やな」


 中田コーチが言うように、伊藤さんがアンカーなのは明らか。

 攻撃参加はほとんどしないが、バイタルエリア(得点の可能性が高い地域)でのディフェンスやカバー能力は、現在のJ2で頭一つ抜けていると思う。

 なんでここにカバー入れるの? と映像を見ていて何度も思った記憶がある。


「攻撃に関してはいつも通りにやればよか。相手は高校生のガキやけんな? 怖がったってしょーんない。ガンガン行け」

「「「うぃっす!」」」


 「高校生のガキ」という言葉が俺にも刺さる。


「守備に関してはカウンター警戒に思いっきりバイアスかけてよか。これまでの試合を見ても、シフエは攻撃のタレントがおらん分、奇襲と連携を軸にしとうのは明らかやろう」


 全員が無言でうなずく。

 

 もともと東京にはリバルディ東京という、Jリーグ設立からビッグスターを数多く排出しているJ1の大御所チームがあった。

 その東京に数年前、高卒の選手と大学生のアマチュア選手を中心とした新参クラブが設立された。このクラブは年々成績を上げ、徐々に頭角を表すこととなる。

 そしてついに去年、J2へと参入してきた。

 

 それがシフエ東京。

 

 若い無名の選手を多く使うシフエ東京に対するシーズン開幕前の下馬評は、お世辞にも良いものではなかった。

 ところが、始まってみればそれを大きく覆す現在の戦績。

 設立当初から監督を務める池田いけだ監督を讃えて「池田マジック」と言われている。


「自信もってけ! 俺たちの方が強かろーが!」

「「「はいっ!」」」


 中田コーチの檄に全員が反応。メンバーはそこらじゅうでバチンバチン言わせながらハイタッチをしていた。中田コーチはこうやってメンバーを鼓舞するのがとても上手い。


「クラタ」


 隣にいた倉田さんに、ジローが声をかけていた。

 

 ……おぉ。通訳さん無しで会話が成立している。

 倉田さんも英語話せたんだ……知らなかった。

 

「時間です! 入場準備をお願いします!」


 係員に促されてパスヴィア関係者が一斉に通路に溢れ出す。

 

「おい」


 部屋を出ようとした俺は、ジローと話していた倉田さんに呼び止められた。


「俺が得点してやるから、今日もお前は走り回ってろ」

「……期待してますよ」


 最近倉田さんへの返答が定形化してきたような気がする。

 

「オミーネ、ガンバル、ゾ!」

「うん」


 差し出されたジローの右腕と自分の腕を軽く合わせる。

 

 通路に出た俺は数秒だけ目を瞑って立ち止まる。

 余計な雑念を振り落とすように。

 

 連続勝利記録、連続ゴール記録、オリンピック代表……。

 

 目を開けて再び歩き出した俺の目には、入場前整列を行っているシフエ東京のメンバーしか映っていなかった。

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