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対決前夜

『AJA航空、東京行き、304便に御搭乗予定のお客様に搭乗口変更の……』


「げっ! 搭乗口変わってる! ヒロ、急いで!」

「落ち着けって。まだ30分あるから大丈夫だよ」


 せわしなくキョロキョロしながらパタパタと走る結衣。

 頭は早く早くと体を急かしているようだが、いかんせん左手に持つ土産袋が重いらしく、走る速度は俺が歩くそれとほとんど大差ない。

 かくいう俺は結衣の倍ほどの荷物を抱えているため、もとから走るつもりはない。というか搭乗口まで歩いてもおそらく5分で着くので、走る意味はないと思う。

 

「ふぃー。間に合った……」

「だから余裕だっつーの」


 日が落ちたあとの福岡空港は金曜日ということもあってか、意外と多くの人々で賑わっている。

 今日は4月20日。

 ゴールデンウィーク直前にもかかわらず、多くの家族連れが目に付く。どこか旅行にでも行くんだろうか。

 「よっこらせ」と、おおよそ女の子が使わない言葉を吐き捨てた結衣は、搭乗口前の椅子に座り、袋いっぱいのお土産を地面に置いていた。

 

「つーかお土産買い過ぎじゃない? 誰に渡すの、こんなに」

「えー。だって小学校の時の友達とか3年ぶりくらいなんだよ? みんなにお土産渡したいじゃん」


 ちなみに俺が両手に抱えているお土産も結衣の物で、元同級生達に配るらしい。結衣の同級生ということは俺の同級生でもある訳だが……当然俺がお土産を渡すような人は、いない。自分用に買ったお土産は、小学生の時にお世話になったサッカークラブの人たちにあげるものだけ。

 お土産の量を比較して卑屈になっている自分は、やっぱり器が小さいな、と思ってしまう。

 

「そういえばお前今日どうすんの? 俺は横浜のホテルに行く予定なんだけど」

「んーと、試合は調布なんだよね? あたしはおばあちゃん家に泊まる。会場も近いし」


 明日の試合はナイトゲーム。朝は横浜にある大学のグラウンドを借りて調整を行うことになっているため、パスヴィアの面々は大学近くのホテルに滞在する予定になっていた。ほとんどのパスヴィア関係者は午後一の便で東京に飛んでいるので、今頃ホテルでゆっくりしていることだろう。

 

「大丈夫か? 荷物相当多いけど」

木原きはらさんが車で迎えに来てくれるって」

「ん。なら大丈夫か」


 むしろ車じゃないと、この荷物は無理だろう。というか結衣ひとりで持てない量のお土産……。改めて結衣のスゴさを実感する。


「明日の試合はおばあちゃんと木原さんと3人で応援に行くからね!」

「ばあさん大丈夫かな……。人に酔ってかんしゃく起こさないといいけど」


 俺が小学生のときにお世話になった結衣のばあさんは、基本的に人混みは避ける傾向にあった。どんな心境の変化があったのか知らないが、今回の試合を直接見に行くと言い出したらしい。まあ、調布ならばあさんの家から車で2、30分の距離。どうせ車からVIP席直行だろうし……大丈夫かな?

 

「あ……あのぉ」

「うぇ!? あ、はい。俺……ですか?」


 座っている結衣の前に立っていた俺は、背後からの突然の問いかけに慌ててしまう。声をかけてきたのは大学生くらいの女3人グループ。


「パスヴィアの大峰選手……ですよね?」

「あっと、はい。そうです」


 俺の答えを聞いた女性達は、「ほらやっぱそうやん! 英陵えいりょうの制服やもん!」「マジ? 声かけてよかったー」と内輪会議に入ってしまった。

 声をかけられることはたまにあるんだけど、このボソボソ会議が終わるまでの「間」がいつも気まずくてしょうがない。


「……ヒロ、スマイル、スマイル」

「……りょうかい」


 結衣が目線を変えずに俺へそっとアドバイスを送る。結衣を尊敬するポイントは数えきれないくらい思いつくんだが、その中でも際立つのが「気遣い」。結衣には何度助けてもらったことか。

 搭乗口前はさすがに邪魔になりそうだと思い、隅の方へ移動する。

 

「あの……握手お願いしてもいいですか?」

「はい。もちろんです」


 大丈夫かな。顔引きつってないかな。

 恐る恐る手を差し出してくる女性たちの手を、これまた恐る恐る順番に握っていく。

 

「ありがとうございます! よかったらサインも……」

「あー、すいません。俺サ」

「写真とかどうですか? あたしが撮りますから」


 サインは書いたことないと断ろうとした矢先、結衣から飛んできたスルーパス。

 半年前から「サイン書けるようになっとけ」とクラブ事務所スタッフに言われていたが、未だに納得できるものが書けていなかった。そんな俺の返答を見抜いた結衣が、空気を悪くしないようにと、すかさず代案を提示。「確かにー。写真のほうがいいかもー」と先方もご納得の様子だ。カバンからスマホを取り出している。

 結衣さん、グッジョブです。

 

「じゃ撮りますよー。もっと寄って下さーい」


 うっ。搭乗口付近にいる人々の視線を感じる。なんか注目を集めてしまっているみたいだ。

 ……いかん、いかん。余計なことは考えずに……ス……スマイル、スマイル。

 

「はいちーず」


 カシャッ。

 

「ありがとうございました! あの……1つ聞いてもいいですか?」

「はい。どうぞ」

「……彼女さん?」


 とくんっ。


 ひとつのミッションをクリアした俺は気を抜いてしまい、3人グループでもっとも活発そうなお姉さんが聞いてきた質問の内容に……心臓がはねてしまう。


「あーっと、こいつは……」

「違いますよ。安心して下さい」


 間髪入れずにニッコリ笑顔で答える結衣。

 何も言えずにただ固まる俺。

 

 「違うってよー」「えーマジ? 連絡先聞けばいいやん」「どうしよー」と繰り広げられていた内輪会議の内容は、俺の耳をほとんど素通りしていた。

 代わりに脳で処理されているのは……目に映る結衣の顔。

 笑っているように見える……その表情。

 

 知っている。

 

 16年も一緒にいるんだ。

 結衣が……辛い時にどんな表情をするかぐらい、知っている。

 

『出発便のご案内を致します。AJA航空、304便ご利用のお客様は搭乗口8番から……』


「さっ、行こ?」

「……ああ」

 

 くるっとその場で一回転まわったその瞬間から、結衣の顔はいつも通りの明るさを取り戻していた。

 

 

* * * 

 

 

「ひさしぶりだな、ヒロ坊」

「ばあさんは相変わらずみたいだな」


 黒のパンツスーツに身を包んだ女性。両腕を組み、羽田空港到着ロビー自動ドアの真ん前に仁王立ちをしていた。

 その後ろでオロオロと所在なさそうにしているのは彼女のお手伝い、木原さん。木原さんが落ち着かないのも、まぁわかる。周りの視線を見れば……ね。

 

「ぼっちゃん。大きくなられて……」

「木原さんも変わんないね。そろそろ呼び方は変えて欲しいんだけど……」

 

 柔和な笑顔を浮かべる中年の女性。昔に比べると……ややぽっちゃりしたかな?

 

「おばあちゃんも迎えに来てくれたんだ。わざわざありがと」

「ふん。気まぐれよ。ついでにクソ坊主の顔を見とかんと、明日の試合でどこにおるのか分からなくなるでな」

「もう、おばあちゃんは……」


 ちょっとした注目を集めてしまっているようなので、さっさと駐車場へ行こうと誘導する。こんなに人が多いところでさっきみたいなのは勘弁だ。多分東京の人は俺のこと知らないと思うけど。

 

「そういやばあさん。試合見に来るってどういう心境の変化だよ」

「老い先短い身なんでな。例えクソ坊主の晴れ舞台だろうと1度は見ておきたいさね」

「老い先って……あんたまだ五十代だろ……」


 ばあさん、なんて呼んではいるけど、実はまだ還暦すら迎えていない。どことなく結衣に似た童顔の顔立ちとかっちりしたスーツが似合う姿は、どこから見ても現役バリバリのキャリアウーマンにしか見えないだろう。実際は会社を経営する社長さんなわけだが。

 

「ヒロ坊。つまらん試合は見せるなよ。この婆、内容次第では途中で帰るぞ」

「……精進します」


 ヒールでカツカツ音を鳴らしながら駐車場へ向かう道を進む。ばあさんは一度もこちらに視線を向けず、我が道を進む。


「……勝てそうか?」

「……勝つよ」

 

 荷物を両脇に抱えたまま、俺の視線はばあさんの顔をしっかり捉える。

  

「……ふん。負けたら家には来なくていいでな」

「わかった」

「ちょっと! 変な約束しないでよ! 日曜はヒロと行きたいとこあるんだから」


 カツンッ。

 ヒールを高らかと鳴らし、ばあさん突然の停止。


「ほう。ヒロ坊。結衣はお前が勝つとは思っとらんようだぞ」


 ばあさんが意地悪そうな顔でこちらを振り向く。


「そういうことじゃないでしょ!」

「結衣」


 俺の言葉に結衣がこちらを振り向く。

 

「負けねえよ」


 結衣が一瞬だけ、言葉を失う。もともと大きな目をさらにまんまるとして。


「……応援、してるからね」


 この顔も知っている。

 結衣が……嬉しい時にどんな表情をするかぐらい、知っている。

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