それぞれの専門家 5
「オミーネー!」
「危ない危ない!」
金髪の外国人、パスヴィアのMFジローが勢いをつけて正面から俺に抱きつく。迎撃態勢を十分に取っていたのに、防ぎきれなかった衝撃。2、3歩たたらを踏んでしまった。……さすがジロー。
「よー大峰。デートか?」
ジローの後ろからこれまたパスヴィアのキャプテン、三上さんがニヤニヤしながら歩いて来た。そういえばオフ日にクラブメンバーと街でバッタリ会ったの……初めてだな。
サッカーは数あるスポーツの中でも特に体力を使うスポーツで、レギュラーシーズンの試合は基本的に週一回だけ。試合の翌々日がオフ日になることが多いので、お休みも週一回だけになる。
この休みをどのように使うかはもちろん個人の自由なのだが、意外と言うべきか、俺が知り合いのサッカー選手は家でまったりして休日を過ごしていることが多い。
本を読んだり、音楽を聴いたり、シリーズ物のドラマをレンタルしてきてまとめて見たり。
昔は夜の街に繰り出して豪遊する、なんてこともあったそうだが、今はそういう話はほとんど聞かなくなったな。お酒を飲む選手はたくさんいるけど。もちろん適量を。
俺の場合もほぼ一緒で、家でのんびりと過ごすことが多い。学校が終わったら寄り道もほとんどせず、そのまま家に帰っている。出かけるといえばヤッキーの散歩くらいか。
「久しぶりだね。結衣ちゃん」
「はい。お久しぶりです、三上さん」
三上さんに笑顔で挨拶を返す結衣。
「大峰の監視役よろしくね」
「はい! もちろんです!」
結衣は俺がパスヴィアユースに所属していた頃から、試合や練習の見学に来てくれていた。トップチームに所属してからもホームの試合には欠かさず応援に来てくれている。毎回誰かに紹介していることもあって、おそらくほとんどのパスヴィア関係者と面識があるんだろうと思う。当然ジローとも面識があるんだけど……
「ヘイ! ユイ! Are you going out with オミーネ already?」
「Unfortunately, no」
ジローからの質問に流暢な発音の英語で返す結衣。
「……ハハハ! OK, I got it」
「あはは。そうかそうか」
「え? え? なんすか、今のやり取り」
この場で1人だけ蚊帳の外に置かれた俺。何を質問されて何と答えたのか全く分からない。
「ヒロは気にしなくていいの。三上さん達はどちらに行かれてたんですか?」
「今からアドレスに行くところなんだ。ジローの新型スパイクをテストしにね」
「アドレス!? まじっすか!?」
三上さんの一言で俺のテンションはいきなりのレッドゾーンに突入。地下街に俺の声が響いてしまった。
「そういえば大峰の新しいスパイクの話もしてたぞ」
くるっと振り返ってじーっと結衣を見つめる。
「……はいはい。今日買い物つき合ってくれたからね。好きにしていいよ」
今度は三上さんを見つめる俺。
「じゃあ一緒に行くか? 時間あるなら結衣ちゃんもぜひ一緒に」
「あたしも行って大丈夫なんですか?」
「アドレスの人も大歓迎だろうと思うよ。なんせ大峰の大事な大事な関係者なんだから」
頬を赤く染めている結衣の横で、ジローと三上さんがニヤニヤ度合いを高めながら俺を見てきた。
まぁいい。アドレスへ行けることに免じて今は言われるがままにしといてやる。
* * *
地下街を抜けた俺たち4人は九州最大の歓楽街、中州方面へと歩いていた。平日の昼間ということもあり、道行く人々は早足で歩くサラリーマン風の人たちばかり。
眠らない街、中州の賑わいを伝え聞く限り、福岡で仕事を頑張っているお父さんたち最大の楽しみは、おそらく日が暮れてからこの周辺に軒を連ねる屋台で一杯飲むことなんだろう。
歩くこと15分。
福岡市を流れる那珂川に面した一角、そこに目的のアドレス本社ビルがそびえたっていた。
株式会社アドレスは福岡に本拠を置くスポーツ用品メーカー。創業15年と、まだまだ若い部類に入る新参メーカーと言われているが、ことサッカーに限れば、日本メーカーの中で3本の指に入るシェアを持っている。
このアドレス……なんというか、ものすごく挑戦的な商品開発をすることで有名になっていた。
「アドレスは今年も横浜の立木と契約の交渉に乗り出すって言ってたぞ」
「はは。懲りないっすね。まぁそこがアドレスのいいとこなんすけど!」
おそらく現在の日本で一番有名なサッカー選手、横浜セイラの立木恭介さん。
彼にまつわる逸話で、お世辞にも一般的に有名と言えなかったアドレスの名前が世に広まることとなった。
有名選手とスポンサー契約を結ぶことは、メーカーにとっての大きな利益。
アドレスは2年前、並みいる競合メーカーを抑えて立木さんとのスポンサー契約に乗り出した。立木さんからの条件は「最先端のオリジナルスパイク」を作ること。
立木さんのスパイクを開発する為、アドレスは地元国立大学スポーツ科学専攻の研究室と共同で、およそ1年の歳月をかけて新型のスパイクを開発した。結構な金額を投入して。
が、結局立木さんはスポンサー契約を結ばなかった。代わりに、多額のスポンサー料を武器にしている海外メーカーとあっさり契約を更新。
当時この話題が広がって多くの波紋を呼び、立木さんは「必ず契約するとまでは約束していなかった」と報道陣に弁明のコメントをしていた。
ことの真相はわからないが、ここでアドレスは意外な対応をとった。
スパイクを開発させておいて契約してくれなかった立木さんを責めるどころか、「納得出来るスパイクが作れなかった我々が悪い」と、まさかのスパイク開発2年目に突入。今度はさらに倍近くの資金を投入して。
これにはさすがの立木さんも苦笑い。「アドレスはいい意味で狂っている」とコメントしたそうだ。
この逸話を聞いてから、俺はアドレスの大ファンになった。
もとよりサッカー以外に興味を持たない俺の、唯一の趣味と言っていいのが「サッカー用品」。
スパイク、トレーニングシューズ、ウェア、アンダーシャツ、タイツ、レガース(すね当て)……。
言い出したらキリが無いが、子供の頃からお小遣いの大半はこういう商品に消えていた。
パスヴィアがチームとして契約していることもあり、アドレスとは親交も深い。ここ最近俺のサッカー以外での楽しみは、もっぱらアドレスの社員さんたちと心ゆくまでグッズ談義をすることになっていた。
さらに俺のプロ契約を期に、なんと俺と単独のスポンサー契約を結んでくれることとなった。もちろんオリジナルスパイクの開発込みで。
この話を持ちかけられた時は、正直プロ契約が決まったときよりも喜んでしまった……という話はもちろん内緒。
「おっきなビルなんだね。大企業って感じ」
「結衣ちゃんはここに来るの初めてか。中にはフットサルのコートとかもあるんだよ」
「へぇー。すごいですね。こんな一等地に」
結衣が不思議に思うのもわかる。大企業とはいえ、スポーツ用品メーカーとしてはまだまだ中堅クラスのアドレス。なぜこんなに資金が潤沢なのかは俺もよくわかっていない。
「こんにちは。お待ちしてましたよジローさん、三上さん」
「お世話になります」
「ヨロシク、デス」
アドレス本社ビルの入り口前で、商品開発部の武田さんにお出迎えを受ける。
「おや。大峰君もいらしたんですね、ようこそ。……そちらの女性は?」
ジローが武田さんに寄って行って、耳打ちをしている。
なんて言ってるかは聞こえないが……おおよそ想像はつく。
「なるほど。そういうことでしたら、ぜひ中を見学して行って下さい」
「……すみません。ありがとうございます」
栗色の髪をサラサラとなびかせつつ深く腰を折る結衣を見ながら、いつの間にか武田さんまでニヤニヤしていた。……ったく。
「それではみなさん、実験室までご案内いたします」
武田さんを先頭に入り口の自動ドアをくぐる一行。
「……すごーい!」
おおよそ20階建てのビルは1階から最上階まで吹き抜けの構造になっており、入り口から見上げる景色はまさに圧巻の一言。
結衣が一目見て嘆声をあげるのも無理はないだろう。
「すいません。今日の実験室は地下なんです。よろしければ後で最上階までご案内しますよ」
「いえ! 大丈夫です。すみません」
ブンブン手を振りながら慌てる結衣。
「……礼儀正しくて、容姿端麗。おまけに大峰君の……。よろしかったら新しい商品のCMに大峰君と出ませんか?」
「え!? いや……え?」
「……武田さん、勘弁して下さいよ」
「はっはっは。これは失礼」
やや中年太りしたお腹をポンポン叩きながら豪快に笑う武田さん。
「ですが、新しいスパイクが出来た際には大峰君に思い切り宣伝してもらいますからね」
「……男に二言は……無いっすよ」
大喜びしたスポンサー契約の中で唯一と言っていい不安材料。
宣伝。ポスター。CM。
要は広報活動。
果たして俺に勤まるんだろうか……。
「さて、ここが今日の実験室です。もうすでに準備は出来ていますから」
階段を下りること数十秒。
目的の実験室にはすぐに到着した。
外から見る限り特に何の変哲も無い、普通の部屋。
変なところと言えば、武田さんが開けようとしているドアがやたらと分厚くて、音楽室のドアに似ていることくらいか。
武田さんに続いて部屋の中に入ると……。
「おお。今日はいつにも増してすごいっすね」
およそ学校の教室2つ分くらいの広さを持つ部屋。いたるところにメタルラックが置いてあるのが目に付く。そこにはパソコンのような機器がギュウギュウに押し込められ、機器から伸びる野太いケーブルが部屋のあちこちにはっていた。
部屋の右側には一面芝の絨毯が広がっており、壁際にはゴールネットが設置されている。あそこでなんらかの実験をするのだろう、という大雑把なことぐらいしか俺には想像できない。中には3人ほどのスタッフが既に待機しており、モニターに向かって座っていた。
「それではジローさん、こちらで準備をお願いします」
部屋の入り口に立っていた武田さんは真向かいの部屋を指差しながら、続けて部屋に入ろうとしたジローを制止する。それを見た三上さんがすかさずジローに耳打ち。
「ヨロシク、オネガイシマス」
別室でトレーニングウェアに着替えて来たジローの足には、何らかのセンサーと思しきものが貼付けられたタイツと、赤いスパイク。
「ではジローさん、FKと同じ要領であちらのネットにボールを蹴って下さい」
武田さんの言葉を受け、再び三上さんがジローに耳打ちをする。
「オーケー」
ボールの手前3m、やや右よりの位置まで歩くジロー。
左利きのジローがいつもFKを蹴る際のポジション。
位置につくと目を閉じ、胸に右手を当ててしばらく停止する。
いつものルーティーン。
一瞬の静寂の後、やや短い助走を行ったジローの足下から爆音が轟く。
スガンッッッ
ボールは奇麗な円弧を描いてネットに吸い込まれていった。
「……きれい」
一部始終を見守っていた結衣がたまらず声をあげる。
何度も何度も練習で繰り返されて完成したジローの動作は、一種の芸術的な美しさを感じさせる。暴力的な炸裂音を一般人の結衣が間近で聞いてなお、「きれい」と表現するのも納得できることだ。
「ジロー、ヒザ、大丈夫?」
「Yep. ダイジョウブ」
「今朝の検診でドクターにお墨付きをもらってたから、とりあえずは大丈夫だろう」
ジローはこの一週間軽めの運動しか出来ていなかったため、久しぶりの全力キックに思わず心配をしてしまったが、本人の表情を見る限り特に問題なさそうだ。
このまま測定――モニターに表示されるグラフを見ていても、結局何を測定していたのかよくわからなかった――は30分ほど続けられ、無事に終了した。
「いやーいいデータが取れました。これでもう少し調整をすれば完璧ですね。おそらく後1ヶ月くらいで出来上がりそうです」
「いいなージロー。羨ましいよ」
俺の言葉を汲み取ったのか、ジローが俺に肩を組み、履いたままの赤いスパイクを指差す。
「オミーネ。ウラヤマシイ、ダロ」
「ははは。そして大峰君にはこれを……」
「こ……これは!」
武田さんが一枚の紙を持っていた封筒から取り出し、俺とジローがそれを覗き込む。用紙にはスパイクの三面図がカラーで描かれていた。
「『大峰スパイク』。その原案です」
「まじっすか!? ちょ……ちょ……ちょーかっこいい! この形状10年くらい前にヨーロッパで流行ってた形状ですよね!? デザイナー誰ですか!? 古臭さが一切感じられないとかまじすげぇ! これパネル部分の素材は何で作るんですか!? 紐は!? カラーはこれで本決まり……」
「もう……また始まった」
「あれは……すでに立派なオタクだな」
あきれる結衣と三上さんを背に、俺と武田さんは心ゆくまでスパイク談義に花を咲かせた。