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それぞれの専門家 4

「それでは大峰君、また近いうちに。土曜日の試合頑張って下さい」

「はい。ありがとうございます」

「斉藤君またねー」


 ご多忙な斉藤さんは午後からも一般企業相手にセミナーを開催するとのことで、そそくさとタクシーに乗って行ってしまった。

 

 抜けるような青い空、白い雲。

 クラブハウス前のゲートでタクシーに乗った斉藤さんを見送った俺と片平さんは、海浜公園横の遊歩道を2人で歩いていた。日曜日の午前ということもあり、砂浜で犬の散歩をしている人達がちらほら目に付く。

 

「大峰君、もっと練習したかったんじゃない?」


 バス停を目指していた俺に、片平さんからの質問が飛ぶ。


「んーそうなんすけど……ダメって言われたらどうしようもないっす」

 

 今日のような1部練のみの日は、グラウンドにて自主練習をする選手も多い。残念ながら昨日試合に出場した選手にはアスレチックトレーナーの吉田さんからもれなく自主練禁止が言い渡されており、練習やりたいウズウズをどうにか抑えこんでまっすぐ家に帰ることにした。片平さんはバス停と同じ方向のタイムリー新聞福岡支社へ向かっていた。

 

「そう言えば片平さんはなんでスーツなんすか?」


 いつもはジーンズなんかでかなりラフな服装のイメージ。パスヴィアの試合にも毎回来ているけど、かっちりした服装だった記憶はほとんどない。


「実は今日黒田オリンピック代表監督のところに行ってきてたの。なんか特ダネちょーだいって」

「軽いっすね……。あれ? 黒田監督福岡に来てるんですか?」

「んーん。東京だよ。だから今日の朝一東京で黒田監督に会って、そのまま福岡にとんぼ返り」

「……社会人って大変っすね」


 たった一言、二言を取るためにわざわざ東京まで行って来たのか。いつもふざけてる片平さんの、立派な社会人としての一面を見た気がした。

 

「そうでもないよ。あたしは仕事、楽しんでやらせてもらってるし。大峰君もそうでしょ?」

「そうですね」


 仕事、と言われると違和感が残ってしまうけど……お金をもらっている以上、仕事にかわりはない。毎日サッカーができる素晴らしい環境に満足しているだけに、このあたりに関してのプロ意識はまだまだ薄いのかもしれない。斉藤さんはプロ意識が高いと言ってくれたけど。


「それでね! 特ダネもらったの! 今度発表されるオリンピック代表候補にサプライズ選出の可能性があるって」

「へー。誰が入るんすかね」


 サプライズ選出か。

 誰かな? 大学生とかJ2の選手とかかな? 

 そう言えば倉田さん23歳だから選ばれてもおかしくないな。

 

「もう! 大峰君に決まってるじゃない!」

「いやーないでしょ」

「今回はちゃんと根拠があるの! しかも2つ! 1つは、今度のパスヴィア―シフエ戦を黒田監督が視察すること。もう1つは、サプライズ選出予定者がかなり若い選手だってこと。どっちも黒田監督本人から聞いたから嘘じゃないよ」


 うーん……。ここまで言われても実感が湧かないな。

 満足なリアクションが返って来なかったことに不満を持ったのか、片平さんが俺の進路に立ち塞がり、正面から肩をつかむ。

 

「可能性は十分あるんだから! 次の試合はしっかりアピールするんだよ!」


 まっすぐに俺の目の奥を覗き込んでくる片平さんの声に、いつものからかいの色は少ない。……本気で思ってくれているんだろうな。片平さんの気持ちに応えるため、精一杯感謝の気持ちを声に乗せる。


「わかりました。頑張ります」


 眩しい笑顔で「うん」と頷いた片平さんに、俺の気持ちは届いたのかな。


「それと今度の試合が終わった後、伊藤君と2人インタビューさせてもらうからそのつもりでね。もう西川監督に許可もらってるから大峰君には拒否権なし」


 なぜ伊藤さんとふたりで? とか、なぜ拒否権がないの? とか言いたいことはいっぱいあるけど……こうなったらもう抵抗できる余地はなさそうだ。さっき本気の片平さんを見たせいでちょっと及び腰の俺。

 

「じゃあ、あたしこっちだから。試合頑張ってね。応援してる」

「ありがとうございます」


 そう言ってきびすを返した片平さんは、タイムリー新聞が入るオフィスビルへと歩いて行った。

 さっそうと歩く、後ろ姿。浜風に奇麗な髪をなびかせて。

 いろんな顔を見せてくれたせいか、今日一日で心の中の片平さん像が大きく変わっていたことに……今更気付いた。

 

 あるときは――活発に、陽気に。

 またあるときは――真剣に、親身に。

 

 共通するのは照れくさそうに隠す……優しい心。

 

 片平さんが他の記者さんと違うな、と感じていたのは……俺を思いやってくれる気持ちを大きく感じるからなのかもしれない。

 片平さんの気持ちに応えるためにも……頑張らないと。

 

 オリンピック代表。

 意識していなかったわけでは、もちろん無い。

 サッカー少年にとってはワールドカップに並ぶ夢舞台。

 俺が生まれるはるか昔に銅メダル獲得の快挙を成し遂げている日本だが、その後のオリンピックでは良い成績を残すことができずにいる。

 

 自信はある。

 すでにJ1、J2のトップチームとは公式または非公式の練習試合を含めた相当数の対戦を経験しているが、一回り近く年上の選手達にも実力の差を感じたことはない。U―15日本代表にて各国のエース達としのぎを削った経験もあるが、通用しないと感じたことはなかった。

 

 次の試合には黒田監督が視察に来る。

 今まで一緒にプレーをすることがなかった伊藤さんとの初対決。

 斉藤さんの話では伊藤さんもゾーンによく入る選手で、かつ同じ高校生Jリーガー。思考型ゾーンという未知の能力を持っているらしい。

 

 久しぶりに燃えてきた。

 次の土曜日、アウェーでのシフエ東京戦。

 これまで以上にコンディションを整えて、最高のパフォーマンスを発揮出来るようにしないと。

 

 ……ん?

 なんか忘れているような……。

 

 心の奥に、ほんのわずか憂慮のしこりを見つけたような気がした。が、到着を知らせるバスのクラクションによって、脆くもかき消されてしまった。

 

 

* * * 

 

 

「というわけで、あたしが監視役です!」

「……は?」


 目の前には仁王立ちする結衣。

 玄関を勢いよく開けてからの、突然の宣言。

 

 バスに揺られること30分。

 地元に帰り着いた俺は、まっすぐ家にあがらず、自宅玄関前でヤッキーとの至福の時間を堪能していた。特に毛の生え変わりが激しい我が家の愛犬は、定期的にブラッシングをしてあげないとあたりに抜け毛の絨毯を作ってしまう。

 世話係としての使命にかられ、逃げるヤッキ—と追いかけっこをしていた矢先、勢いよく玄関を開けた結衣に先の一言を突きつけられた。

 

「だから、監視役! ヒロがちゃんと学校行くようにって、パスヴィアの監督さんから直々に任命を受けました!」

「はぁ……」


 なるほど。

 先日広島から帰る際に新幹線で監督に言われた「監視役」は結衣のことだったのか。というかなぜ監督は結衣と繋がっているんだろう。

 

「春菜おばさんに監督さんが相談したんだって。誰か適任はいないかって。そんなのあたししかいないでしょ!」

「あー……なるほど。昨日電話で言ってた『話したいこと』ってこれのことだったのか」

「違うよ? あっいや、これもなんだけど……」


 相変わらず玄関に仁王立ちしたままの結衣だったが、少しだけモジモジし始めた。何か言いにくいことなんだろうか。

 

「……明日、オフ日でしょ? 学校終わったら買い物につき合ってくれない? 明日の授業午前中で終わるから」

「ああ。別にいいよ。何買いに?」


 買い物か。そういえば最近結衣とふたりで出掛けることも少なかったな。すぐに了承の返事を返した俺とは正反対に、相変わらずモジモジした結衣の返事は遅い。


「洋服。……東京で着る……その、洋服を……」

「東京? あぁ、ばあさんのとこか。いつ行くんだ?」

「……次の金曜日」


 会話が進むにつれ、結衣の顔がどんどん下を向いて行く。

 なんか要領を得ないな。

 あれ? 待てよ……


「金曜日? 俺も次の土曜日シフエ東京と試合だから、金曜に東京行くんだけど」

「……うん。知ってる」


 まぁそうだよな。

 俺のスケジュールは下手したら俺より結衣の方が詳しいわけだし。


「そうなんだ。じゃあ飛行機かぶるかもな」

「……そうだね」

「どこの航空会社の飛」

「さすがに気づいてよ! あたしはヒロと一緒に東京へ行きたいの!」


 結衣が突然の大爆発を起こした。

 普段俺に対して文句を言っては怒鳴っている結衣だが、今日はいつもの声量比で10割増し。あまりの大声にヤッキーが少し怯えている。あまりに鬼気迫った結衣に俺も面食らってしまった。いかにも結衣は「もうちょっとこの鈍感どうにかならないの?」と言いたげな表情を作っているような気がするが……おそらく俺の勘違いだろう……多分。

 

「ていうかもう決定事項だから。お母さんにも、春菜おばさんにも許可もらったから。ヒロに拒否権は無いから」

「……なんでみんな俺の拒否権を取り上げるんだよ」


 おばちゃんも母ちゃんもよくゴーサインを出したな。だいたい土曜日のアウェー開催なんだから金曜日は学校休んで……あっ!

 

「待った! 俺、土曜日のアウェー開催出るなって監督に言われてたんだった」

「その点は大丈夫。監督さんから許可もらってあるから。土曜日はナイトゲームだから金曜の夜の便で東京に来ればいいって」

「お前監督とどんな取引したんだよ……」


 ……なんというか。

 まぁ、ばあさんとも久しく会ってないし……いい機会なのかな。

 小学生のとき、とある事情から数年間お世話になった結衣の祖母。プロ契約が決まったときに電話で少し話したくらいで、ここ数年顔を会わせていない。ばあさん孝行、やっとくべきか。

 

「んで、結局これが言いたかったことなのか? 決定事項だったんならあんな思わせぶりに言うなよ」

「……ばか」

「はい?」

「もういいよ! 明日ちゃんと学校行くからね! 起こしに行くからね! じゃーね! ばかっ!」


 ……言いたいこと言い終わった結衣は、そのまま大峰宅の隣に建つ高崎宅へとサンダルで走っていった。

 玄関と玄関の距離は直線でおよそ5m。疾風のごとく駆ける結衣を見て、やはりヤッキーは怯えていた。俺はいつも通り固まったまま。

 

 小さな頃からずっと一緒にいる幼馴染。

 小さな頃は泣き虫だった幼馴染。

 

 今となっては立派な女の子になってしまったのか、彼女が何を考えているのか判断に迷う場面が多くなって来た。

 元来、人の感情変化を読み取ることに疎い俺。

 当然複雑な心情渦巻く思春期の女の子が考えることなんて、これっぽっちもわからない。

 

 けど。

 

 今日……少しだけ。

 結衣の気持ちを知りたい。

 素直にそう思った。

 


* * *



「どっちがいいと思う?」


 右手に白い膝丈のワンピース。

 左手に淡い水色のワンピース。

 

「うーん……白いほう」

「白か……うん。じゃあこっちにしよ」


 福岡の大都会、天神にそびえ立つ若者に人気のファッションビル。その4Fにある、女の子向けブランドショップでのやり取り。

 

 今日の学校は午前中に終了した――あまりに学校に行ってないので、なぜ午前で授業が終わったのかよくわかっていない――ため、昨日の約束通り結衣の買い物につき合っているところ。今は平日の昼間だということもあり、制服姿の高校生は俺らの他にはほとんど見当たらない。

 

 久しぶりに行った学校では、大方想像通りの扱いを同級生達から受けた。

 

 おめでとー。

 テレビで見たよ。

 新記録なんだろ? すごいな。

 芸能人とかと知り合うこともあるの?

 などなど。

 

 対人スキルに乏しい俺の返事は大抵同じ。

 

『あーうん』

『いやーどうだろ』


 こんな態度しか取れない自分の器量の無さに心底嫌気がさしているのは間違いないんだが、依然として同級生達とのコミュニケーションを苦手としている。

 クラブで大人達と接することに抵抗を感じたことは少ない。大人達は俺のコミュニケーション能力を考慮した上で上手く会話を進めてくれる。それがとても心地よい。

 

 小さな頃からこんな環境に慣れてしまっていたのが原因なんだろうか。

 三つ子の魂百までというが、高校生になって性格を変えることはできるんだろうか。

 スリアロ戦以来……よく自問自答をしている。

 

「ヒロ?」

「……あーごめん。大丈夫」


 気づけばファッションビルを抜けて地下街を歩いているところだった。薄暗い通路でも……結衣が俺を心配して表情を曇らせているのがわかる。

 

「溜め込むのはよくないよ。何に悩んでいるのか知らないけど。さっさと吐いてスッキリしちゃえ」

「ん……ありがと」


 ショップのロゴが描かれた紙袋と学生カバンを後ろ手に持ち、隣を歩きながら首を傾げて俺を下から覗き込む。


「無理してまでは言わなくていいからね。言いたくなるような空気を作るのが……あたしの仕事なんだから」

「……お前はホントにすごいな」


 心から自然と漏れた……賞賛の言葉。

 結衣はなおも俺を覗き込む。

 

 今はそれほど人通りが多くない地下街のど真ん中。自然に立ち止まった俺と結衣。天井に設置されたオレンジ色の照明が、まるでスポットライトのように俺たちを照らす。

 

 正面から結衣を直視した俺は、もはやぴくりとも動けない。

 俺の心を暖かく包んでくれる結衣に……全て委ねたくなる。

 

「結衣…………あれ?」


 どうにか言葉を発した俺の視線に飛び込んできたのは……大柄な外国人。

 結衣の背中の先、地下街通路のその向こうから……見慣れた金髪が走ってきた。

 

「ヘーイ! オミーネ!」


 ……おそらくタックルをかましてくるであろう知り合いを受け止めるべく、結衣を俺の後ろへまわるように促し、無言で両手を広げて迎撃態勢をとった。

 何も問題が起きませんように、と心の中でつぶやきながら。

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