それぞれの専門家 3
「少し休憩しましょうか。同じ話題を続けていると集中力も切れますしね」
そう言うとスタスタと自販機コーナーに歩いて行ってしまった。
「斉藤君のマイペースは変わらないなー」
おや?
「お二人はもともと知り合いだったんすか?」
「うん。大学の同期。斉藤君あー見えて野球部に入ってたんだよ」
意外……でもないかな? スーツの下に隠れている上半身の筋肉はスポーツ選手っぽかったし。
「そんであたしがマネージャー。似合うでしょ?」
片平さんが得意げに髪をかきあげる。ふわっと甘い香りが辺りに広がる。
「そうっすね」
「……冷たいなぁ」
俺はもう美人の色香には惑わされない。
「斉藤さんってなんで俺にも敬語なんすかね?」
「知らなーい。ってか斉藤君がタメ口でしゃべってるとこ見たことないよ」
「特に意味はありません。昔からの癖です」
斉藤さんが缶コーヒー2つとスポーツドリンクを持って帰ってきた。
「大峰君は……コーヒー飲みませんよね? これでいいですか?」
「あぁ。すいません。ありがとうございます」
「サンキュー。サッカー選手ってコーヒー飲んじゃダメなの?」
「別に禁止はされてないですよ。単に好みの問題っす」
実際コーヒー飲んでる選手もいるし、クラブの栄養士さんもコーヒー禁止令を出しているわけでは無いと思う。飲み過ぎるなよーとは言っていたが。
「じゃあなんで斉藤君は大峰君がコーヒー飲まないって知ってたの?」
「単なる推測です。今日実際にお会いして感じた雰囲気からの」
……怖い。この人と1日話したら丸裸にされそうだ。
直感が教えてくれた注意喚起はこういうところなんだろうか。
「……なんでも話してくれるんですよね? 理由を聞かせてもらえませんか?」
「ギブアンドテイク。次は大峰君の番ですよ」
「…………」
「おー。じゅるっ」
……まずい。片平さんの琴線に触れてしまった。これ以上の抵抗は止めよう。
「……何から話せばいいですか?」
「そんなに身構えないで下さい。まず断っておきますが、私は今から聞くお話を他人にするつもりはありません。もちろんそれをネタにして論文を書くつもりも」
「え? そうなの?」
「はい。理由はいくつかありますが……1番の理由は大峰君のためです」
「……俺の?」
……真意を読み取れない。
整った二重まぶたから放たれる斉藤さんの眼光からは、相変わらず鋭い印象を受ける。視線はぶれず、垂直に俺を射抜く。油断すると目を逸らしたくなるほどに。しかし、威圧されているとは感じない。嘘をついているとも思えない。
つまり……よくわからない。
「西川監督からお話を聞いた限り、大峰君はかなりのレアケースです。原石、と呼んでもいいと思います。今からしていただくお話が一般に出回れば、間違いなくたくさんの人間が大峰君に殺到します。私のような人間も含めて」
「…………」
「そうなってしまうのは本意ではないでしょう? あなたはサッカー以外に極力手を割きたくないはずです」
これは……どう捉えるべきなんだろう。こんなこと斉藤さんが言って……なにか得をすることがあるんだろうか。
俺が高校生だからこんなことを……?
……ダメだ。わからない。ここは素直にいこう。
「……それだと斉藤さんにメリットが無い」
「ありますよ。私の根本的な好奇心を満たしてくれる。それと、今信頼関係を築くことができれば、この先大峰君が大物選手になったときに私と個人契約をしてくれるかもしれない。れっきとしたビジネスです」
一言、うまい。
ここで「好奇心を満たしてくれる」なんてボランティアじみたことだけ言われれば俺の疑念は晴れなかっただろうが、きちんとした利害関係を出して来た。
こんな大人な駆け引き、当然今までの人生で経験したことは、無い。
判断に……迷う。
「斉藤君。今の言葉は本気っちゃね? 騙すつもりはなかね?」
「え? ……はい。もちろんです」
今日初めて斉藤さんが生々しい、言い換えれば人間らしい表情を見せた。
一方の片平さんからは、今までの茶目っ気たっぷりでどこか憎めないキャラとはほど遠い、なんというか……武士が放つ殺気のようなものが出ていた。
「言ったね? 嘘やったらくらすけんね(ぶっとばすからね)」
「はい。わかりました」
「大峰君。信用してもいいと思う。……あたしを信用できれば、だけど」
真っ直ぐに俺の瞳を見つめる片平さん。当然だがその表情に見覚えはない。初めて俺に見せる表情。大人の顔。
信用、信頼。
考えても結論は出ない。ここは……直感に任せよう。
「わかりました。お二人を信用します。契約うんぬんは出世した時に考えます」
「じゃああたしもこの話は誰にもしない。記事にもしない」
俺と片平さんの回答に対し、斉藤さんは一度ソファーに座り直し、ふーっと短いため息をついた。
「……大学のとき以来ですね。久しぶりに見ましたよ、本気の顔になってる片平さん。博多弁を使ってるのも」
「え!? 出てた?」
気づいてなかったんだ。ばっちり使ってたのに。
「斉藤君がいけないんだよ。大峰君が16歳だってこと忘れてない?」
「すいません。正直忘れてました。ただ……こういう大人が世の中にはたくさんいるということは覚えておいてもらいたいですね。あなたはその年にしてすでに大人の世界に入ってしまっていますから」
「わかりました」
今までサッカーのことばかりであまり意識してなかったけど、プロになるっていうのはそういうことだよな。
判断を誤ればいいように使われる。
今日はいい経験させてもらったような気がする。冷や汗いっぱい出たけど……。
「すいません。回り道してしまいましたね。本題に入りましょうか」
「何の話してたっけ?」
片平さんの一言に、斉藤さんが、はぁーっと長いため息をついた。
「……大峰君のゾーンの話です。昨日試合があったんですよね? 昨日はゾーンに入りましたか?」
「はい。一度だけ」
「その時のお話、順を追って聞かせて頂けますか」
昨日のスリアロ戦の1点目。
カウンターから倉田さんにパスを出すと見せてのドリブル突破、ループシュート。
「えーと、シュートする時のイメージが試合中にどんどん固まってきて、ボールを持った瞬間に『あっ入った』みたいに感じて……」
「続けて下さい」
こんな感じの説明でいいのかな? と、戸惑いから一拍置こうとした俺に、斉藤さんは間髪いれず、続きを促す。
「そこからは固まったイメージ通りに体が自動的に動いていく……みたいな」
「最初のイメージと全く同じ状況になったんですか?」
「いえ。細かいところは違いますけど、その都度調節していくというか……説明するの難しいっすね」
「大丈夫です。十分伝わっています。つまり、ゾーンに入った後も『考えていた』訳ですね?」
「そう……ですね」
「……ふむ」
斉藤さんが考え込むような仕草を見せた。なんかお医者さんに診断されているような錯覚に陥る。ものすごく不安だ。
「やっぱり聞いたことない体験談ですね……。最初に私は『真剣白羽取りゾーン説』否定派だとお話ししましたが、あれとはまた違ったベクトルであなたは特異だ」
診断結果は、特異。
自分でも、自分のゾーンが変わっていることは自覚していた。だけど、専門家にそう指摘されると……複雑な気持ちがこみ上げてくる。
隣でうんうん唸っていた片平さんが斉藤さんへ疑問をぶつける。
「大峰君の場合はどこが他の人と違うの? 聞いててもよくわからないんだけど」
「ゾーンに入ることによって起きる現象は様々なものがありますが、今までの体験談に共通していたのは『1つの現象』だけが起きる、ということでした。大峰君の場合は『2つの現象』が起きている」
「「2つ?」」
どういうことだ?
今の話のどこに2つあったんだろう?
「人間の体にはリミッターがついている、という話はご存知ですか?」
「普通の人は本来筋肉が持っている性能のちょっとしか発揮できない、ってやつ?」
「ええ。これが時として外れる場合があります。いわゆる火事場の馬鹿力ですね。スポーツ選手の場合は主にこれです。思考能力や感覚など『脳の活動』を犠牲にして『体の活動』を活発化する訳です」
……あっ!
「……大峰君は気づいたようですね」
「ちょっと! あたしはわかんないから説明続けて!」
「体と同様、脳にもリミッターがついています。脳の場合は通常数%しか使えないと言われていますが……これもリミッターが外れれば『体の活動』を犠牲にして『脳の活動』を活発化することができます。事故に遭った際スローモーションに見える現象ですね。通常ならこの場合、『わかるんだけど動けない』という状況になります」
「……うん。つまり?」
斉藤さんがローテーブルの上に置かれた2つの缶コーヒーを指差す。
赤のラベルと青のラベル。
同種のものなのに、相反する性質を表しているように感じた。
「体のリミッターと脳のリミッターは同時に外せない、ということです」
「大峰君の場合は……」
「今まで無理だと思われていたものを……実現している可能性があります」
確かに、俺はゾーンに入っている間も「考えている」。
先日のスリアロ戦の場合は、相手DFがフェイントに引っかかったのを確認してから、逆側にドリブルで抜いていった。
……待てよ? でも……。
「脳だけが活性化されていて……体のリミッターは外れていないって可能性はないっすか?」
「その可能性もあります。が、そもそも複雑な肉体的活動中に脳のリミッターが外れていること自体が特殊です。加えて大峰君のこれまでの成績……。ゾーンに入っている際に体のキレがいいとか、シュート力が増しているとか、そういう感覚はありませんか?」
「……ありますね」
俺はこれまでに数十回……いや、もっとたくさんゾーンに入っているはずだ。その全部の統計をとっているわけではないが、おそらくゾーンに入った時の6割から7割はゴールに結びついている。
そのほとんどで感じるのは、「普段よりもいいパフォーマンスが出せている」こと。
「最初に西川監督から『彼はゾーンに入っていることを自覚できるらしい』と聞いた時から違和感を感じていましたが……やはりそのようですね」
「これって……何か問題あるの?」
心配そうな顔をして、片平さんは俺と斉藤さんへ交互に視線を送っていた。
「それについて現段階では何とも言えません。フィジカルチェックや健康診断は受けてますよね? 何か異常は?」
「今のところは、無いです」
「自覚症状は?」
「何も無いです」
フィジカルチェックは2月、健康診断はつい先日行ったばかり。
2つとも特に異常はなかった。
「脅すつもりはありませんが、人より気をつけておいた方がいいです。パスヴィアのチームドクターには私から話しておきます」
「そんなに危ないことなの?」
「危ないかどうかすら、今は判断できません。ただ……本来リミッターの役割は『自分で自分を壊さないための制御装置』です。用心するに越したことは無い」
今まではゾーンに入ることのメリットばかりを考えていたが、当然副作用のような効果が出てしまうことも念頭に置いておかないといけないってことか。
これが聞けただけでも斉藤さんに話した甲斐があったな。
「私は本来ゾーンのような概念をデスクワークなどのビジネスに応用することが専門です。なのでスポーツ科学には少し疎いところがあります。私の方でもいろいろ調べてみますので、何かわかり次第大峰君にお伝えします」
「すいません。ありがとうございます」
「いえいえ。将来契約していただけると思えばこのくらい……」
「さ・い・と・う君!」
片平さんがテーブルに身を乗り出し、斉藤さんを睨みつける。
「私は本気ですよ。男と男の約束です」
「いやあの……契約するとまでは言ってないですからね……」
なるほど。最初の直感が俺に教えてくれたのは「お前気をつけないと金づるにされるぞ!」だったのかな?
「ちなみに聞いてもいいっすか? 俺がコーヒー飲まないって思った理由は……」
「ああ。ほとんど直感ですよ。たいした理由はありません」
……そうなんだ。
「ただ……年齢の割にプロ意識が強いな、と印象を受けましたので。コーヒーのように飲んでも体に得が少ないものは手を付けないんじゃないかと」
「プロ意識……強いですか? 俺」
「最初、ゾーンについて話すことにものすごい抵抗感を見せてましたよね? 一回りほど年上の私に対して敵意を隠そうともせず。あれこそプロ意識ですよ。得体の知れない人間にほいほい手の内を見せるのはアマチュアのすることです」
悔しいけど説得力がある。
斉藤さんと口喧嘩しても絶対に勝てる自信がない。
「じゃあじゃあ! 真剣白羽取りゾーン説を否定している理由は?」
「あれはもっと単純です。そもそもゾーンとかなんとか以前に、人間にあれは無理でしょう」
「「……え?」」
思わぬ返答に固まる俺と片平さん。先程まで展開されていた……なんというか、斉藤さんの理知的な面が一気に削がれた気分。
「ゾーンで説明するなら簡単です。刃を掴むことに目標を定めるだけですから。ただ、人間に上段から振り下ろされる刀を手のひらで挟むことができますかね? という訳で私は真剣白羽取り自体無理説の論者です」
これも説得力ある……のかな?
「なので、真剣白羽取りと大峰君のケースが似ていると思ったんです。私の知識で現象は説明できる。だが、現実にそんなことできるとは思えない……という意味でね。もちろん大峰君が嘘をついてるなんて思ってませんよ」
すごいな。
何気ない会話の一つ一つにこんなに意味を持たせてたのか。心理学者がみんなそうなのか、斉藤さんが特殊なのかは判断できないけど。
「それにしても、最近のサッカー界はすごいですね。若い才能がどんどん開花している」
「大峰君の他にも注目している選手がいるの?」
「シフエ東京の伊藤君。彼にも最近お話を聞かせていただいたんですよ」
最近伊藤さんの話をよく聞くな。
面識はないけど、やっぱりすごい人なのかな?
「へーそうなんだ。もしかして彼もゾーンによく入るの?」
「守秘義務があるのでお答えできません……と言いたいところですが、実は伊藤君本人から大峰君には伝えてもいい、と言われたんですよ」
「俺に? なんで?」
「さぁ。真意は私もわかりません。ただ、次の試合がシフエ東京戦なんですよね? 詳しい話をするとフェアじゃない気がするので、概要だけお伝えします」
「便宜上勝手に名前つけますが……従来の体を活性化させるものを『行動型ゾーン』とすれば……伊藤君は脳の活動を極限まで強化した『思考型ゾーン』の持ち主です」