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始まりの日

 格式が高い老舗ホテルの大広間。

 俺は煌々と炊かれるフラッシュにも特に緊張することなく、用意された席へ足を進める。

 隣に立つ社長が深々とお辞儀するのを横目に見て、形だけそれを倣う。「皆様本日は……」とお決まりの定型句を述べたあと、社長は冒頭の挨拶をこのように締めくくった。


「本日、パスヴィア福岡は、大峰裕貴おおみねひろたか選手と史上最年少でのプロ契約を結びましたことをご報告いたします」


 嘆声が会場の記者達から漏れ、各々が手に持つカメラから閃光が絶え間なく放たれる。まるでこの世界から、輝くこの一瞬だけを切り取らんばかりに。


 使い古された表現になるが。


 人生というものを、所々で分岐するレールの上を走ることに例えるとしたら。

 この日も、俺の人生で幾度目かの分岐点になるのだろう。

 俺のサッカー人生にとって、とても大きな、分かれ道に。

 


* * *



 風は無い。

 時折突風が吹き抜けることで有名な福岡TQBスタジアムだが、今日に限れば別人のように大人しい。

 

 雨は止んだ。

 これで視界を遮る邪魔者はいなくなったが、暗緑色の天然芝には所々に水たまりが残っている。ピッチがとても滑りやすいことに変わりはないだろう。

 

「ジロー」


 顔はゴールに向けたまま、隣に立つチームメイトの名前を呼ぶ。

 右足のつま先でトントンッ、と2回芝を叩いたあと、1度だけ浅い屈伸。

 試合前に決めた「俺がいく」の合図。

 ジローがボールに向かって歩いて行く――が、ボールには触らず、再びもとの位置へ戻ってきた。ジローからの了承を表すサイン。

 

 緊張は無い。

 後半44分で2—2。このFKフリーキックが外れれば、おそらく引き分けでこのゲームは終わるだろう。

 まさに勝負を決める今日最後のチャンス。

 

 だが。

 

 こんな場面、これまでの人生で何度も経験している。幾度も乗り越えた自信がある。特段固くなることは、ない。

 

 ゴールまで約25m。ほぼ正面。

 

 ピピピピピッッ!

 

 レフェリーが今日の相手、京都アグナシマDFディフェンダーの壁を後ろに下がらせていた。

 相手GKゴールキーパーが大声でDFに指示を出し、壁をやや右寄りに調整する。アグナシマは前半25分、同じ位置からのFKでジローに右隅へゴールを決められていた。同じ轍は踏まない、ということだろう。

 

 全くもって予想通り。

 

 壁の位置を確認しながら俺がボールの左、ジローが右にスタンバイ。

 ぼんやりとゴール全体を視界に入れながら、頭の中でシュートイメージを固める。

 

 レフェリーがDFから離れ、笛を口元に運ぶ。

 ピッチの緊張感を物語るように、サポーターの歓声が次第にフェードアウトしていく。

 もとより、今の俺に歓声はほとんど聞こえていない。

 極限状態。

 おそらく、「入った」。

 

 

 ピーッッッッ!

 

 

 レフェリーのホイッスルと同時に俺とジローが走り出す。

 

 俺の助走が5歩、ジローが3歩。

 当然ジローが先にボールへ近づく。

 

 ジローが左足でのシュートモーションに入る――が、軸足をボールの右側に踏み込んだまま停止。シュートフェイント。

 

 相手GKがピクッと反応したのを俺は見逃さない。

 

 このとき俺は既に軸足をボールの左に差し入れ、シュートモーションに入っていた。

 壁役の相手DFはジローのフェイントにつられてジャンプを始め、

 一見左も右もシュートコースはほとんど消されているように見えるが――

  

 思い切り右足を振り抜く。

 インステップ。

 

 足にボールが当たった感触はほとんどない。

 うまく蹴ったときの感覚。

 背筋がゾクッとする感覚。

 

 ボールは壁に向かって弾丸のように突き進む。

 

 俺の狙いは――下!

 

 地面スレスレの高さで直線的な軌道をボールが描く。

 向きはゴールの左。

 

 ボールはジャンプしたDFの下をワンバウンドしてすり抜ける。

 

 雨に濡れた天然芝がさらにボールの速度を加速させ――

 

 

 ゴールネット左隅に突き刺さった。

 

 

 一歩も動けなかった相手GKが呆然の表情で立ち尽くす。

 

 ピピィィィー!

 

 レフェリーが手を高々と掲げながらホイッスルを吹く――と同時に、オーロラビジョンへ「GOAL!!」の文字が映し出されていた。

 

『ワァァァァァァー!』


 一瞬の静寂を挟み、パスヴィアサポーターの絶叫がスタジアムに響き渡る。

 

 アグナシマメンバーの顔が苦渋に満ちた表情へ変わり、同期したようにアグナシマサポーターが頭を抱えていた。

 

 パスヴィアベンチは狂乱の様相。

 叫びながらガッツポーズを決めたり、ベンチメンバー同士で抱き合ったり、地面に仰向けで倒れ込むスタッフもいる。

 

 隣に立つジローとハイタッチ。

 続けて、ゴールを決めた俺の周りにパスヴィアメンバーが駆け寄ってきた。

 全員と軽く手を合わせてから、俺は自分のポジションへゆっくりと戻る。

  

 ホームスタンドを見るとパスヴィアカラーの青い旗がそこかしこで舞い上がっていた。

 観客のボルテージは最高潮。

 間違いなく今日一番の盛り上がりを見せているだろう。

 

『大峰!』


 ダンダンッッ!

 

『大峰!』


 ダダダンッッ!

 

 大歓声と熱狂に包まれたスタジアムの温度と反比例するように、俺の心はリスタートに備え、ひたすら冷静さを増していく。

 

 

* * *

 

 

『いやー解説の今井いまいさん。パスヴィアの快進撃が止まりません』

『そうですね。これで開幕から8連勝ですから、また1つクラブ記録を塗り替えました』


『大峰は今日のFKで8試合連続ゴール。これはJ1も含めた連続ゴールタイ記録ですし、得点ランキングも独走の11ゴールです』

『とんでもないですよ、これは。なんと言っても大峰はボランチですからね』


『大スター誕生の予感がしますね。福岡は今大峰の話題で持ち切りです』

『16歳と0ヶ月……。末恐ろしい才能ですね』


『今年はロンドンオリンピックが開催されますから……否が応でも期待してしまいます』

『私もワクワクしています。大峰の他にも、大活躍している10代の若い選手がたくさんいますし。黒田くろだU―23代表監督の動向からも目が離せません』


『えーそれでは時間になりましたので、今日はこの辺で失礼します。実況は私、TVFの徳田とくだがお届けいたしました。次回は4月22日の広島戦を予定して……』

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