終わらせよう
薄暗い城の中を、どんどん進んでいく。
しばらくして、応接室と呼ばれていた部屋についた。
ここから、あの牢屋のある部屋まで行ったんだ、燐がいるとすれば、あの部屋だと思うんだけど……初めて来た時は、女帝に連れていってもらったから、今はどうすれば?
「昨日ぶり……だね」
聞こえた声に、身体が固まった。……いや、固まっちゃだめだ。
グラディウスを握りしめ、振り返る。
そこにいたのは、やっぱりというか……女帝だった。
「来てくれたんだね」
にっこりと笑うその表情は、嬉しそうだ。
「俺は、あなたに話があって来たんです」
「話か。私もね、君に用事があってね、あの妖精を攫って、魔法で、君以外の国民を動けなくしたんだ」
やっぱり……。
「どうして、俺を呼んだんですか?」
「君に協力してほしくてね」
「何を、でしょう?」
「この国の再生だよ」
「国の、再生?」
「国民からの支持は得られず、王を倒そうとする者までいる。もうこの国には、私の味方はいない。そんな時、君が現れた。君は私の救世主になる人間だと、なぜかそう思わすにはいられないんだ。不思議だよね」
「……」
それは多分、弟がかけた催眠によるものだと思う。とにかく、中身は違うとはいえ、女帝は本当に、俺に助けを求めていたんだ……。
「俺は、そんな、大した人間じゃないですよ」
「何かしてくれって言ってるわけじゃないんだ。私のそばにいてくれれば、それでいいんだ」
近付いてきたので、後ずさりする。グラディウスに手をかけるが、鞘から抜けない。
手が動かないんじゃなく、どんなに引っ張っても、刀身が出てこない。
「その剣は、使えないみたいだね」
女帝が笑う。どうしよう、どうしたらいいんだ?
「あの……訊きたいことが、あるんですけど」
まだ、終われない。猶予があるはずだ。
「何だい?」
「どうして、男性を拒絶するんですか?」
そう訊いた時、女帝から笑顔が消えた。
「……気になるかい?」
「は、はい」
地雷、だったかもしれない。
「教えてあげよう。私はね、この国がまだ女帝国になる前、ここから遠く離れた国で、弟と二人で楽しく暮らしていたんだ。でも、ある時、政治のために、国民のほとんどが男の異国に行くことになった。その国は、国民のことは、大事にしていた。でも、私達のことは、人とすら思っていないし、弟のことだって、道具としか見ていなかった。初めは、私達のことを歓迎していたはずだったのにね……。
私達は、男に尊厳を犯されたんだ。生きる希望も、何もかも、男に奪われたんだ」
尊厳、希望……。
「もう、男のいない世界にしか、私達の逃げ場はなかったんだよ」
ふふっと笑い、また、俺を見た。
「君は、どうかな? 私達のことを、人として、見てくれるかな?」
「……」
イエスとは言えない。言えるはずがない。ずっと長い間、人々を国に閉じ込めていたのに、人だなんて。
黙っていた俺を見て、女帝の表情が曇った。
「もしかして君も、あの妖精と同じことを言うのかな」
「えっ……」
妖精―――燐のことだ。
「言ったよね? 私達には、ここしか居場所が無いんだって」
近付いて、肩を掴まれた。
「待ってください、俺の話を聞いてください」
悲しい表情をする女帝に、俺は自分の気持ちをぶつけた。
「男が嫌いなのは、わかりました。でも、だからって、無関係の人間を巻き込むというのは、間違っています。弟さんや、キィさんが、これを望んでいるとは思えないし……」
しどろもどろになってしまう。でも、どうにか気持ちを伝えたい。
「あなたの身を守るためにも、みんなを、解放してください。こんなことをしなくても、他にも方法はあるはずなんです。俺には、解らない、ですけど……」
「……結局、君も、みんなと同じことを言うんだね」
手を離した。
「私はね、何度も言うけど、男が嫌いなんだ。この国の術を解いたら、男と、会うことになる」
「だったら、女体化の術だけかけて、閉じ込めたりしなければいいんじゃ……」
「それは、そうなんだけどね、でもそれだと、国としてやっていけないんだよ。私のように、男を見たくない人間は、あまり、いないから」
「え……」
男を、"見たくない?"
「あの、あなたは、もしかして―――」
発した俺の言葉を聞いて、女帝が震えだした。
「何故、それを……いや、言い方から、そう思ったのかな……」
はあっと、息を吐いた。
「もう無理だ。君は……知りすぎたんだ」
その瞬間、女帝の蹴りが横っ腹に入った。
「ぐっ……!?」
祭華に殴られた時より、ずっと痛い。
遠くまで吹っ飛ばされて、グラディウスを落としてしまった。
「どうして! どうして君まで、そんなことを言うんだ……!」
胸倉を掴みながら、叫んだ。
「君は、私を助けるために、この国に来たんじゃないのか!? そうじゃないなら、何故、この国に来たんだ!? 私が召喚したわけでも、知らないうちに迷い込んだわけでもない、この国に、異世界から現れた理由は何だ!?」
「っ……」
女帝の手を握って、答えた。
「大切な人を、連れて帰るためです!」
その時の俺は、どんな顔をしてたんだろう。
俺から手を離して、数歩下がった。
「な、何だ、それは……そんなことで、君はこの国に来たのか?」
絶望するような表情。膝から、崩れ落ちた。
「それは……あの妖精のことか?」
「……はい」
燐への気持ちは、もう固まっていた。
「は、はははっ―――」
不適に、大声を出して、笑った。
笑って、その場に倒れた。
「……」
倒れた女帝の、遥か後ろ。
女帝と同じく、昨日会った人物。
「ありがとう、ございます……」
その人物に、俺は無意識のうちに、頭を下げていた。
「礼を言うのは、僕の方です」
そう言って、女帝の弟は、俺に手を差しのべた。
「グラディウス、使えなくしたのって、弟さんですよね?」
俺の質問に、弟はしっかり頷いた。
「すみません、兄を、傷付けたくなかったもので」
「……やっぱり、女帝は、男だったんですね」
おかしいとは思っていた。
お姉さんが、俺と最後に話した時、あの人は"兄弟"という言葉を使った。姉と弟でもそういう言い方をしないわけじゃないけど、どこか、引っ掛かっていた。
「兄は、ずっと独りだったんです。僕がもう少し側にいれば、こんなことにはならなかった……。
兄の寂しさが、苦しさが、この国を生んだんです。僕自身、ついさっき、知りました」
「それは、お姉さんから?」
「それもありますけど、もう一人、僕に全てを教えてくれた方がいました」
「それって―――」
その時、身体の違和感に気付いた。
ほんの少しだけど、身体が縮んだ。
「あっ……」
声も、大分低くなった。
「術は、解除しました。もう、全て終わったんです」
終わった、これで……。
「うう、ん……」
倒れていた女帝が、目を覚ました。……いや、その姿は、もう―――。
「? ……っ!?」
俺達を見上げて、状況を理解したようだ。
「どうして……」
戸惑う兄を、弟は優しく抱き締めた。
「もう、終わりにしよう」
「……嫌だ、嫌だ! 私は、もう男には戻りたくない!」
子供のように、泣きじゃくった。
「兄さん……」
優しく背中を撫でると、兄はまた沈黙した。
「魔法で、眠らせました」
肩を貸して、立ち上がった。
「湊さん、僕達はもう、この国から離れます。ここにいたら、きっと、住民に殺されかねない……痛いのは嫌です。それに、そんなことで、罪が償えるとは思っていません。僕も兄も、もっときつい罰を受けた方が良い気がするんです。自分勝手なのは、わかってます。
僕がいた牢屋の奥に、ワープホールを作りました。異世界から来た人達は、みんなそこから帰ることができます。それと……」
手を差し出した。
「ピアスを、僕に。あれを燐さんに渡したのは、僕……正確に言うと、僕の分身なんです。この国の痕跡は、残さない方が良いでしょう?」
「あ、はい」
ピアスを渡すと、それを握りつぶした。
「これで良いんです……湊さん、もう二度と、あなたに会うことが無いように、祈っています」
笑顔で頭を下げて、兄と一緒に消えてしまった。
「……」
一人になった広い部屋で、辺りを見渡すと、例の牢屋への道が見えた。
裾を捲って、向かう。
薄暗かったはずの壁の奥が、やけにはっきりと見える。これまでは、術で暗くしていたのだろうか。
しばらく歩くと、牢屋が見えた。
弟がいた牢屋に、ワープホールと思われる、青白い穴が開いている。
その前に、髪の長い女性が、こちらに背を向けて立っていた。
「燐」
名前を呼ぶと、振り返った。
俺より少し背が高くて、初めて会ったあの時の面影がある。
「……湊君」
俺を認識して、駆け寄って、抱き締められた。
「ありがとう、湊君」
涙を流して、ありがとう、と繰り返していた。




