お姉さん
次の瞬間、俺は、草原にいた。
「え?」
頭上には青空が広がる、草原。
ここ……どこだ?
すると。
「燐!」
聞き慣れない声が聞こえた。
って、燐? まさか、燐もここにいるのか?
振り返ると、ニット帽のようなものを被った20歳後半くらいの髪の長い女性が立っていた。
そして、燐の姿はどこにもなかった。
「え?」
「"え?"って、さっきから名前を呼んでるのに、何ボーッと突っ立ってるんだい?」
「……まさか、燐って……」
自分の指さすと、女性は吹き出してしまった。
「他に誰がいるの?」
堪え切れない、とでも言いたそうに、笑っている。
ちょっと待ってくれ、俺が、燐? 何で急にそうなるんだ?
試しに、身体をあちこち触ってみると、ある違和感に気付いた。
髪が、短い。
そういえば、女体化した俺は長髪、そして燐は、短髪だった……まさか。
「あ、あの、すいません、鏡とかって、持ってます?」
喋ってみて、気付いた。俺の声じゃない。ついさっきまで、聞いていた声だ……。
「うん? いや、生憎、そういうのは持っていないけど……どうしたんだい?」
「いやっ、その……」
戸惑う俺を見て、女性は首を傾げた。
そして―――
「ああっ!!」
「ひっ!?」
女性が声を上げ、俺の肩を勢い良く掴んだ。驚いて変な声が出た。
「そうか! 君は燐であって燐じゃないんだ!」
「はい!?」
何言ってんだ!?
「あ、ああ……すまない、驚かせてしまって。いや、何と説明すれば良いのか……そうだ、もっと落ち着ける場所で話をしよう」
そう言うと、俺の腕を掴んで歩き出した。
「えっ、あ、ちょっと―――」
しばらく歩いていると、建物が見えてきた。
社会の教科書で見るような、遊牧民が使うゲルのような見た目をしていた。
「さぁ、入って」
引きずり込まれるように入った。
中は、絨毯のようなものが敷かれている広い空間になっていた。
「適当なところに座って。いやぁ、まさか、話には聞いていたが、本当に会えるとは思わなかったな……」
適当な、と言われたので、なるべく隅の方に腰を下ろすと、女性は俺の顔を見ながらそう呟いた。
「あ、あの、話って何なんですか? ここって一体……」
「その事なんだが、まず、一つ確認させてほしい。君の名前は、橋本湊、で、合ってるかな?」
「はい、合ってます……」
「そうかそうか、君が橋本湊か。私の事は……まあ、お姉さん、とでも呼んでくれ。それじゃ、説明を始めるとするか」
そう言うと、お姉さんは、急に神妙な顔になって言った。
「まず、君のその姿の事だが……君の今現在の姿は、さっきのような人間の女性ではなく……直球で言ってしまえば、燐の姿を借りた状態になっている」
「えっ!?」
咄嗟に自分の手を見下ろす。……やっぱり、俺、燐になってたんだ……。
「すまないが、驚くのは後にしてくれ。ここに来るまでに時間を喰ってしまった……朝が近い」
「あ、はい」
朝が近いって、どういう事だ? 外は青空、普通に朝は来ていたが……。
「で、君が今いるこの場所、及びこの空間についてだが、ここは現実には存在しない場所で、要は……頭の中の世界、と言ったところだね」
「あ、頭の中の、世界……それって、つまり、妄想……?」
「そういうことになるね」
「へ、へぇ……ちなみに、誰の妄想なんですか?」
「燐の妄想」
「えっ、これ、燐の妄想なんですか?」
こういう趣味があったってことか?
「驚くのは後にしてくれと言ったでしょ? そして、この私だが……姿形は現実世界には無い。私が存在出来るのは、燐の妄想の中だけなんだ」
「つまり、燐が作り出した人……?」
「そうじゃない……それに私は人ではない」
そう言って、ニット帽を取った。
そこには、まるで狐の耳のような、立派な獣耳が生えていた。
「私は、元人間の、現獣人だ」
元人間の、獣人……!?
「いつだったか、女帝が、人口不足に悩んで、異世界から人を呼び寄せたのは、君も知ってるよね?」
「あ、はい、知ってます……」
「あの時、私も、この世界に呼ばれたんだ。そして、女帝に反抗し、獣人にされた」
「……」
正直、言葉が出なかった。
燐やメリルさんと同じように、この人も、女帝に姿を……。
「そこで終わらせておけば良かったんだろうが、どうにも腹の虫が治まらなくてね……女帝を襲撃しようとした。そんな事をしてしまえば……解るかな?」
「……もっと、酷い目に、遭わされる……」
答える俺の声は、震えていた。でも、お姉さんは、優しく微笑んで言った。
「その通り。今度は、私の身体を消されてしまった」
思わず、息を呑んだ。
「とは言っても、身体そのものを消滅されたわけじゃない。あの時、女帝は『そんなに戻りたければ戻してやる』、とか何とか言ってた気がするから、多分、身体は……元の世界に行ったのかな。ふふっ、今となっては、解らないけどね」
笑ってる……。
「身体を失い、魂だけになり……所謂、幽霊状態になって、路頭に迷っていた時に、私と同じように女帝に反抗して人外になった燐を見つけた。彼女は人間と違い、私を認識出来た。でも、燐は下級の妖精……私を見るのでさえ、莫大な力を必要とした。だから、私は燐の中に棲むことにした」
「燐の中に、棲む……?」
「頭の中に世界を作り、私をそこに配置する、それだけ。それからは彼女が眠った時に、夢として現れ、異世界での生活の知恵を伝授するアドバイザーの役目を担っている。……で、君が何故、燐の夢であるこの世界に来る事が出来て、私と話まで出来ているか、というと……君、寝る時に、あのピアスを外さないで寝たでしょ?」
「あっ」
そういえば、ピアスを外した記憶が無い。
「知ってると思うけど、あのピアスは、装着している者同士の思考を繋ぐもの……本来ならば燐が来ているはずのこの世界を、今、燐の思考を通して、君が来ている、という事になる」
「じゃあ、燐は今……」
「今は……熟睡してるね。朝起きたらびっくりするんじゃないかな、ほぼ毎日、彼女はここに来ていたから」
「……」
悪い事、したかな……。
「話は以上だね。おっと、今度は時間が余ったな……何か質問はあるかい?」
「えっと……」
驚きが多すぎて、質問だらけだが―――。
「お姉さんは、何で、燐の中に棲むことにしたんですか? いくら、力を使うからって、寝た時だけ会えるっていうのは、ちょっと不便な気がするんですが……」
「そうだね、それは私も思ったし、今もそう思ってる。実は、これは彼女の希望なんだ」
「えっ……燐が、こうしたい、って言ったんですか?」
「うん。今まで、詳しい理由を聞いていなかったけど、私が予想するに、多分、"自分の心に一番近い部分"に、誰かがいてほしかったんじゃないかな……彼女、ああ見えて結構寂しがりやだし」
「寂しがりや……」
全然、そんな風には見えなかった……。
「気持ちは、解らなくもないよね。異世界に来て、独りぼっちで、不安だったろうし……だから、私は、出来る限り、内側から彼女をサポートしたんだ」
「サポート、ですか」
「そうだよ? だって、普通、湊君だったら、独りで異世界に放り出されて、1年も生活出来ると思う?」
それもそうだ。
燐がこの世界に来たのは、大体1年前。
来た直後に、妖精にされ、途方に暮れていた。
ただでさえ、人外に対する風当たりはきついのに、独りになって……それでも1年、生き抜くことが出来たのは、お姉さんがいたから……。
「まあ、今は、私じゃなく……君に、安らぎを求めているみたいだけどね」
「えっ、俺、ですか?」
「当り前じゃない。告白されたんでしょ? その子から」
俺を、指差した。
「どう答えるかは、君次第だけど……燐を悲しませるような行動は、慎んでほしいね」
「うっ……」
今までで1番怖い目つきになった。
「おっと、そろそろ時間みたいだね、日が昇る」
「解るんですか?」
「獣人だからね。外の雰囲気が、何となく解る感じかな?」
「でも、確か、身体は無いんじゃ……」
「魂まで獣人に変えられてしまっているんだ。否が応にも解ってしまうんだよ」
「……何か、すいません」
「平気だよ。あ、そうだ、戻るついでに、燐に伝えてほしいことがあるんだ」
「何ですか?」
「女帝を倒す事が全てじゃない……湊君を見て、そう思い始めた」
その時、視界が、白く染まり始めた。
「兄代わりの身分としては、2人仲良く元の世界に戻って、幸せになってもらいたい、そう思っている。と―――」




