女帝
俺は、少しの間、呆然としてしまって、言葉がでなかった。
この国の王って、まさか……。
「女帝、って事ですか……?」
「うん、まぁそんなところだね」
笑顔で答えた。
「さて、私がなぜ、君に会いに来たのか、そこから説明しようか……私はね? 君を歓迎しに来たんだ」
「か、歓迎?」
「そう。まぁこんな所で立ち話も何だから、話は私の家に来てからにしようか」
「家って、まさか……」
「うん? ……ああ、もしかして、"居城"とでも言った方がよかったかな? で、どうするんだい? 行くの? 行かないの?」
「……」
ここで姿を消してしまえば、燐やメアリー、ガーネットさんにも心配をかけてしまう……でも。
「……解りました。行きます」
「そう来なくては。それじゃ、行こうか」
俺に背を向けて歩き出した。
黙ってついて行こうとしたところで、ある事を思い出した。
そうだ、ピアス……燐は何故か、ピアスの事を他人に知られるのを恐れていた……相手は女帝だ。何をされるか解らない。
素早くピアスを外し、服のポケットに突っ込んだ―――。
「そういえば」
その瞬間、女帝が振り向いた。まさか、ピアスの事がバレたのか?
「一つ、訊きたいことがあるんだけど……君は一体、誰に召喚されたのかな?」
「はい?」
ピアスの事はバレていないようで、ホッとして思わず変な声を出してしまった。
「だから……誰に召喚されたんだと訊いているんだ。今、この国で異世界人を召喚できるのは私しかいない。だからこそ気になるんだ、誰が君を召喚したのか。私は今のところ、"妖精が君を召喚した"ということしか解らなくてね……」
誰が、俺を召喚したのか……。
「……解りません」
俺は、答えた。
「解らない?」
「はい、解らないんです。いつものように学校から帰って、自分の部屋に入って……気がついたら、ここにいました」
勿論、燐の事は伏せて話した。
「ふーん……いや、引き留めて済まなかった。さっ、行こうか」
再び前を向いて歩き出した。
ホテルの敷地内を出て、人気の無い通りに入り、辿り着いたのは、薄暗い、狭い路地の前だった。
「私の家はね、少し特殊な場所にあるんだ」
そう言って、中に入っていく。
進んでいくにつれて、段々と不安になってきた。
俺が聞いた話、というか、レアさんとスカイさんから聞いたわずかな情報では、女帝が自ら会いに来たなんて話は一度も聞いていない。
もしかして、俺が初? いや、他にも会った人間はいるのかもしれないけど……。
……そういえば、メリルさんは、ガーネットさんと一緒に、国の術を解いてもらおうと女帝に会いに行って、そこで小人にされたんだっけ……会うだけなら、簡単なのかもしれない。
しばらく歩いたところで、やっと路地を抜けた。
「ここが、私の家だよ」
そう言って女帝が示したのは、大きな高層マンションのような建物だった。
「あれっ……」
思わず首をかしげた。
「どうかしたのかい?」
「あっ、いや、イメージと違うな、と」
もう少し派手だと思っていた。
「そうか? 私はこれが普通だと思っていたけどな……」
そう言うと、いきなり俺に近付き、手を取った。
「えっ!?」
「うん? 女性に手を取られるのは、初めてかい?」
「え、あ……えっと……」
「ふふっ、戸惑ってしまって……可愛いな。いや何、この辺り、段差が多いから支えになろうと思ってね。さ、行こうか」
そのまま、俺の手を引いて歩き出した。
中は、結構広かった。装飾はあるが、そこまで多くなく、少し物足りなさを感じた。
「こっちだよ」
俺の手を引いたまま、奥へと進んでいく。
「あ、あの……どこまで行くんですか?」
付いていくと決めた癖に、怖気付いてしまう。
「まぁまぁ、取って食いはしないから」
後ろを振り返らず、どんどん進んでいく。
女帝がようやく立ち止まったのは、青く染められた壁に囲まれた、かなり広い部屋だった。
「ここは……?」
「応接室だよ」
そう言って、俺の手を離した。
「……で、あの、何で俺をここに連れてきたんですか? 歓迎……って言ってましたけど」
「ああ、私は君を歓迎しようと思ったんだ。この世界に無理矢理連れて来られた、君をね」
「でも、俺、女帝を……あなたを否定する立場の人間に呼ばれたんですよ? ……敵を歓迎するんですか?」
「敵、か」
ふふっ、と、女帝は笑った。
「私は、君がそんな野蛮な事をする人間に見えない。寧ろ、君は私の味方な気がするけどね」
「み、味方?」
いきなり何を言い出すんだ?
「見たところ、君は女性である事を完全に受け入れ、女性として生きている。今、女物の服を着ているのが何よりの証拠だ。それに、君は私に会い、誘われた時、抵抗せずついてきた。……葛藤はあったようだけどね
そういう理由で、君の事を味方だと判断したんだ」
そう言われて、はっとした。
そうだ。俺達が良かれと思ってやったことは、全部"女帝を肯定する"行動になっているのか……。
「……さて、そんな君に、少し面白い物を見せてあげるよ」
そう言うと、女帝はパチンと指を鳴らした。
その瞬間、応接室の奥の壁が、シャッターのように上向きに開いた。
「おいで」
女帝が歩き出した。
面白い物……ここまで来ておいて、見ないわけにはいかない。
壁の奥には薄暗い階段が続いていて、両側の壁に等間隔にロウソクが置いてあり、正直、暗い場所を見るには物足りなかった。
ゆっくりと転ばない様に階段を下りると、奥には木の扉があった。
「これを人に見せるのは初めてだ……驚くかもしれないけど、これが"国の現実"だから、しっかりと見ておいてね」
そう言って、ゆっくりと扉を開けた。
中にあったのは、大きな牢屋だった。両側に火のついていないロウソクが付いている。
薄暗くてよく見えなかったが、中に誰かいるような気配を感じた。
「ここは、少し特殊な場所なんだ。だから、私もあまり立ち入らない……湊君、今から見せる物の事は、絶対に誰にも言わないと約束してくれ。まぁ君なら、それくらい言わなくても解るだろうけど」
再び指を鳴らすと、今度はロウソクに火がついた。
辺りが僅かに明るくなり、牢屋の中の光景が徐々にはっきりしていく。
牢屋の奥に、1人の"男性"が座っていた。
「えっ……!?」
自分の目を疑った。
だって、この国は、女性しかいないはず……。
でも目の前にいる人は、顔は俯いてて解らないが、髪は短く、体格からして間違いなく、男性だ。
「紹介しよう。私の―――弟だ」
女帝から、信じられない言葉が飛び出した。
お、弟って……何で、弟を牢屋に? しかも何で、女体化していないんだ?
更に目を凝らして見てみると、男性の身体から、何本もの太い管が伸びているのが見えた。
「い、一体、どういう……」
現実が理解できない。今、俺は、何を見ているんだ……?
「……まぁ、困惑するのも無理はないか。彼がいるおかげで、この国は"女体化"を維持できているんだ」
「女体化を、維持……?」
「簡単に言うと、彼から、この国……金糸雀王国全体に張り巡らされた結界を維持するための魔力を吸い取っている、ってところかな」
そう答えた女帝は、ずっと男性を見つめていて、その眼は、愛でるような、もしくは楽しんでいるような、そんな眼をしていた。
「ど、どうしてそんな事……」
「どうして、か……私自身は魔力を全く作れない体質で、反対に彼は、莫大な量の魔力を作る事が出来る体質だから、っていうのが理由の一つだね。私自身に力があればよかったんだけど、弟の方が優れているから、そっちから取るしかないと思ってね」
それはつまり、"搾取"という事になる。
女帝は、実の弟から、あの太い管を通じて、魔力を搾取している。
「あ……あの人はどうして、女体化していないんですか?」
「この牢屋だけ、結界の対象外にしているからだね」
「じゃあ、どうして対象外にしているんですか? 確かあなたは……」
燐から聞いた。女帝は、生粋の男嫌いだと。
「……確かに、男は嫌いだ。でも、人間というのは、女性だけでは繁殖できない。だから仕方なく、男性を1人だけ、この場に置いている。要は精子があれば繁殖できるんだから、そういう意味では、本当に仕方なく、なんだけどね」
「それって、まさか……」
実の弟から、魔力だけじゃなく、精子も搾取している。
つまり、この国で生まれ育った子供全員の父親は、女帝の弟で、遠いながらも、女帝と血が繋がっている、ということになる。
「……この国の人間が……どのくらいかは解りませんけど、あなたを、倒そうとしているというのは……知っていますか?」
「この国には、"耳"を置いているからね、知ってるよ」
途端に、女帝が悲しそうな目をする。
「でも、私はこの現状をどうにかしようとは思わない。人間は、我儘な生き物だ。私はいつもその我儘を聞いてやっていた。だから、今回くらいはいいだろう?」
「……」
過去に、何かあったのかもしれない。
「さて……ここまで歩いてきて、疲れただろう。お茶にしようか。ここで待っててくれ」
俺を置いて、階段を上って行った。
一人、牢屋の前に残された。
……燐、心配してるかな。今ならピアスで連絡出来るかもしれない。
ポケットからピアスを取り出そうとした―――その時。
「うっ……うぅっ―――」
呻き声が、牢屋から聞こえた。
「え?」
牢屋に目をやると、項垂れていた男性の頭が微かに動いた。
「あっ……だ、大丈夫ですか!?」
咄嗟に鉄格子にしがみつき、叫んだ。
俺の声が届いたのか、男性がゆっくりと頭を上げた。
「あなたは……」
虚ろな目で、俺を見た。
「……早く、逃げてください」
弱々しく、そう言った。
「出口なら、向こうに……早く―――」
ゆっくりと男性が指したのは、女帝が出て行った階段とは逆の方向。
そっちにはロウソクの光が届いてなくて、何があるのかは解らなかった。
……そうだ、俺は今、単身で敵の本拠地にいたんだ。
この隙に逃げなきゃ、何をされるか解らない!!
燐や、メリルさんがされた事、そして、自身の弟を見た時の女帝の顔―――それらを思い出した瞬間、俺は走り出した。
「痛っ!」
途中で、何かに頭をぶつけた。
「な、何だ……?」
そっと手を伸ばして触れてみると、木製の壁……いや、扉だった。
何故、真っ暗なのに扉だと解ったのか?
徐々に周りが明るくなったから―――ロウソクの火で。
「!!」
後ろを振り返ると、燭台を手に持った女帝が立っていた。
「……弟に、何か言われたんだね?」
じりじりと近付いてくる。
「あ、あ……」
逃げ出してしまった……どうしよう、大人しくしていれば、何もされずに済んだのかもしれないのに……!!
女帝が手を伸ばして、俺の肩に触れた。身体が竦んでしまい、咄嗟に目を瞑る。
「―――もういいよ。帰りなさい」
そう言ったのが聞こえた。
「……え?」
ゆっくり目を開けると、真顔の女帝が立っていた。
「その扉から出て、まっすぐ進めば、さっきの路地が見えてくる。魔法で少し地形を歪めてはいるけど、すぐに解るはずだ」
肩を放して、数歩下がる。
「さ、もう帰りなさい」
「……」
俺は後ろ手で扉を開け、城の外へ飛び出した。
必死で走った。途中、路地を見つけ、その中を通り、広い通りに出た瞬間―――。
「わっ!!」
石か何かに蹴躓いて、思いっきり転んでしまった。
「痛っ……」
立ち上がろうと地面に手を突いたが、走り続けた所為で疲れてしまい、結局座る体勢になってしまった。
「はぁ、はぁ……」
呼吸を整えている間、徐々に冷静になってきた。
……思えば、どうして、女帝は、俺を城に招いたんだ? 歓迎のため、というのは解った。でも、いくらなんでも敵を歓迎するか? いや、そこはさっき理由っぽい事を言っていた。俺は敵じゃない、味方だ、とか何とか……でも、おかしい。女っぽい格好をしていたから? 女帝の誘いに乗ったから? ……そんなの、何とでも言えることだ。敵である可能性は消えていない。それに、何で女帝は、誰にも見せていない弟を、よりにもよって俺になんかに紹介したんだ? お茶にしようって、どうして俺が逃げ出すような隙を作ったんだ? 何で、何で―――。
考えれば考えるほど、疑問が次々と湧き出てくる。
「もしかして、女帝って……」
……。
「……帰ろう。燐が心配してるかもしれない」
立ち上がり、ホテルに向かって歩き出した。




