心配
12時になった。
「じゃ、そろそろ」
燐が俺の服の袖を掴んで洗面所まで連行していった。
「いつも思うんだけど、鏡じゃないとだめなのか? っていうか、何で毎回鏡が割れるんだ?」
「何でって言われても……どっちも理由なんてわかんないよ。私はやり方を聞いただけだから」
「誰から聞いたんだ?」
「私と同じ、人外にされた人に。この街の外に住んでる人だっていっぱいいるんだからね?」
「え? そ、そうなのか……こういうことを訊くのもあれだけど、人外って、本当に差別されてるのか? 燐が街中を歩いている時、変な目で見てくる奴もいなかったし、悪口を言ってくる奴もいなかったと思うけど……」
「それは、私が湊君と一緒にいるからだよ。この国の女性は、見た目で男かどうかすぐには解らないし、みんな華奢で、実際には空手の有段者とかが紛れているかもしれないから、迂闊に手が出せないの。もし私が1人でこの街に入ってたら、どうなってたことか……」
「燐……」
訊いてはいけないことを、訊いてしまっただろうか……。
「まぁとにかく、12時になったんだから、早く向こうに戻って、ちゃっちゃとお風呂入って来ちゃってよ!」
「わ、解った」
鏡の前に立ち、燐が手を合わせる。
その瞬間、鏡が割れ、隙間から光が溢れ出した―――。
眩しさに堪えかねて目を瞑り、目を開くと、俺は真っ暗な部屋の中にいた。
「わっ!? えっと、電気は……」
恐る恐る探し、電気をつけると、そこは自分の部屋だった。
身体は……男に戻っている。
……そうだ、両親は、姉ちゃんは、今どうしてるんだろう?
物音をたてないように慎重にリビングに向かう。
リビングには、誰もいなかった。
代わりに、メモ紙とボールペン、そして俺の携帯が、テーブルの上に置いてあった。
メモには、「湊へ。皆、心配しています。帰ったのなら、何処にも行かないでリビングで待っていなさい」と、書いてあった。
―――母さんの字で。
「……!」
まるで走り書きした様な状態の字に、いつの間にか手が震えていた。
……いや、違う。俺はこんな気分になるために帰って来たんじゃない。
脱衣所に向かおうとリビングを出た。
『やっぱり、一度ご両親に会った方がいいんじゃないかな……』
燐の声が頭に響いた。
「え、手紙の事か? 心配しなくてもいいって、大丈夫だから」
『湊君、今焦ってるよね、言わなくても解るんだよ? 私だって、こんな事に巻き込んで申し訳ないって思ってるけど、でもやっぱり何も言わないのは駄目だよ』
「……いや、いい」
『何でそう言うの?』
「だって、話しても理解されないと思うし、駄目って絶対言われると思うし…」
『だからって、何も言わないのは駄目だよ!』
「大声出すなよ……大丈夫だって。じゃあ俺風呂入るからピアスの電源―――」
『湊君!! ……お願いだから、ご両親を心配させるようなことしないでっ……』
すすり泣くような声が、聞こえた。
「燐……」
何度か泣きそうな顔を見たことはあったが、まさか本当に泣くなんて……。
「……解ったよ。でも、俺の意見も尊重させてくれ」
リビングに戻って、メモを裏返した。
「これでよし、と……」
メモには、「理由は言えないけど、ちゃんと帰る。だから心配しないで」と書いた。俺の字だから、家族が見てもすぐ解ると思う。
それにしても……。
「やっぱそのピアス、凄いんだな……」
燐からの感情がダイナミックに伝わってきて、俺の目からも涙が溢れていた。
『湊君……ごめんなさい』
「平気平気。女の目の前で泣くなんてかなり恥ずかしいけど……」
『じゃあ、ピアスの電源切るね?』
「ああ、また後でな」
ピアスの電源が切られた瞬間、俺の涙も止まった。
「俺って、薄情なのかな……」
ポツリと呟き、脱衣所に向かった。