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王都警備隊  作者: 風羽洸海
本編
9/36

五章 空き家のオバケ(3)


 自分の部屋にも戻らずシンハの私室を訪ったリーファは、ちょうど部屋を出ようとした当人と正面衝突しそうになった。

 二人して「おっと」とのけぞり、続いて同時に何か言いかけ、互いに先を譲って口をつぐむ。見ていたロトが「何を遊んでいるんですか」と笑いを含んだ声で呆れた。図らずも鏡像を演じた二人は、顔を見合わせて苦笑するしかなかった。

「ちょうど良かった。おまえに渡すものがあるんだ」

 その場でシンハが、ほら、と差し出したのは、入隊試験の合格証だった。リーファは目をぱちくりさせ、胡散臭げにシンハと紙片とを交互に眺めた。無言の問いかけに、シンハは肩を竦めて答える。

「三番隊の隊長からだ。一班の連中が馬鹿なことをしたようだ、迷惑をかけた、と。本来の試験は別のものを用意してあったが、今回の件についての報告を受け、必要ないと判断した……ということだ」

「『不合格証』を受け取らなかったから、合格ってことかい?」

 腑に落ちない顔をしながらも、リーファはそれを受け取った。

「明日また、職人街に行こうと思ってたんだけどな」

 何気ない風に言い、シンハの顔色を窺う。案の定、微かにたじろいだ気配が浮かんだ。

「やっぱりな」

 ふーん、と合格証をひらひらさせ、リーファはじろりとシンハを睨みつけた。

「何が『やっぱり』なんだ?」

 シンハはとぼけようとしたが、あまり上手くいっていなかった。リーファはため息をつく。

「オレを職人街から遠ざけようって魂胆だな? おまえの方じゃ、どこまで把握してるんだい。例の……」

 塩のことは。と、ささやきよりも小さな声で締めくくる。シンハは緑の目を天に向け、お手上げの仕草をした。

「参ったな。どうやらおまえは予想以上に観察力があるらしい。まあ入って掛けろよ」

「へえ、じゃあ本当にあれは塩だったのか。確かめる手間が省けたよ」

 言いながらリーファは部屋に入り、遠慮なく椅子に座る。シンハは愕然として彼女を見つめ、次いで片手で顔を覆って呻いた。

「……おまえな……ああくそ、今後はおまえが相手でも気が抜けないわけか」

「隠し事をするからさ」

 楽しげに言って、リーファはこれ見よがしにそっくり返って足を組む。シンハは渋面で向かいに座り、諦めた風情で話し出した。

「白状すると、まだほとんど霧の中だ。ロトに調査を進めて貰ってはいるんだがな。伯爵の領内にある岩塩の採掘場で、実際には報告以上の量が運び出されていることが分かったのが、二ヶ月前。巡察官が気付いた時には、既に関与した者は逃亡した後だった」

「ってつまり、現場監督とかが、ってことかい?」

「そうだ。名簿にない人夫を使って、密売用の塩を掘らせていたらしい。巡察官が行く前に監督は病気を理由に退職、そのままどこぞに行方をくらませた。持ち出された塩の行方を追う内に、どうやら王都に流されているらしい、というところまでは見当がついた。それも一人二人のこそ泥の仕業じゃない」

「だろうね」

 リーファは相槌を打った。採掘場からこっそり幾許かの塩を持ち出して近隣で売るだけなら、人夫ひとりでも可能だろう。しかし大量に、それも王都で売りさばくとなると、輸送から売買の交渉まで人手が必要になる。

「で、取引に使われてるのがあの空き家だってことは、いつ分かったんだい」

「恥ずかしながら、今日だ」

「今日? まさかラヴァスの奴が調べてたんじゃないよな」

 あれを調べていたと言うならば、だが。リーファがあまりに信じ難いという顔をしたので、シンハは苦笑して「もちろん違う」と首を振った。

「あの空き家には別筋から行き当たったんだ。おまえが帰った後で、隊長が改めて一班に調査を命じた。まぁもっとも、以前から職人街か、新市街の一部が怪しいと睨んではいたがな。だが慎重に調べを進めないと、トカゲの尻尾だけを捕えても意味がない」

「ふーん……でかい本体があると睨んでるわけだ」

「どの程度でかいかはともかく、可能性はいくつか浮かんでいる。俺やリュード伯の方でも探りを入れているんだが」

 そこまで言い、曖昧に言葉を濁したまま沈黙する。どうやらこの先は立ち入り禁止らしい。リーファは口をへの字に曲げた。

「そんな状況だってのに、オレは呑気に試験なんか受けてていいのかよ。猫の手だって借りたいんじゃないのか?」

「先延ばしにしたところで、また別の厄介事が持ち上がるかも知れん。早くおまえに警備隊員としての権限を得て貰う方が、俺も助かるんだ」

 しらっと応じるシンハ。しかしどうにも嘘臭い。リーファはしつこく相手を見つめ続け、無言の圧力をかけた。ややあって根負けし、シンハは曖昧な顔で頭を掻いた。

「……あのな。たまには、俺の事じゃなく自分の事を考えてくれ」

「はあ?」

 リーファは呆れ、次いで怒りをおぼえた。

「何回言わせるんだよ、オレは自分がしたいようにしてるんだ、って! そりゃ確かに、恩返しって気分もあるけど……何より、おまえの役に立ちたいんだよ」

 勢いで言ってしまってから赤面する。だが、いつもならこんな台詞には照れる筈のシンハは、先日と同じく困ったような苦笑を浮かべているだけ。リーファは急に不安になった。

「それが迷惑だ、って言いたいのか?」

 きゅっと胸が締め付けられ、子供のように泣き喚きたい衝動が込み上げる。

「そうじゃない」

 シンハは穏やかに否定し、考えを整理するように沈黙した。リーファは息を詰めて続きを待つ。出てきたのは、予想外の言葉だった。

「俺はおまえと対等の立場でいたいんだ」

「……は?」

 そんなわけあるか、という台詞が喉まで出かかった。相手は国王で、こちらはどこぞの馬の骨である。対等の立場になどなり得ない。いくらぞんざいな物言いや無礼な態度が許されるとしても、だ。

 そんな彼女の内心を察してか、シンハは苦笑した。

「私人として、ということだ。おまえは意識していないだろうが、おまえがただ身近にいてくれるだけで、俺は随分助けられている。だから、おまえはおまえ自身の事を優先させてくれ」

「オレは……」

 言いかけて言葉に詰まる。顔が真っ赤に火照っているのが自覚できた。

「オレは、何にもしてない。おまえの助けになるような事は、何もしてないじゃないか! タダ飯食って、好きな事ばっかりして……」

 昼間ラヴァスに投げつけられた侮辱が、生々しく脳裏によみがえる。感情が昂って、これ以上言いたくはないのに、口が勝手にまくしたてた。

「そうだよ、オレはよそ者のくせに態度がでかくて、邪魔者で役に立たなくて、女のくせに生意気だよ! おまえこそ何だよ、オレに貸しばっかり押し付けて、何が対等だよ!」

「貸しは返して貰っているさ。おまえは俺の援助に見合うだけの努力とその成果を、常に見せてくれている。自分が水をやった苗木がまっすぐに育ってくれたら、こっちも励まされるんだ。まっとうな人間が身近にいるというのは、おまえが考える以上に大切なことなんだよ。特に俺のような立場にいるとな」

「な……ん、だよ、それ。ずるいぞ、そんなの……」

 反論する声が震え、かすれた。熱い滴が頬を伝い、テーブルの上にぽたりと落ちる。

(オレが苗木だってんなら、おまえがくれたのは水だけじゃない)

 それこそ太陽の光そのものだ。そして、悪意に満ちた嘲笑の嵐で打ち倒された身体を、優しく立て直してくれる誠実な手。その温もりが感じられて、涙が次々に溢れだす。

 気遣われたり慰められたりしたくなくて、リーファは乱暴に袖口で涙を拭った。悲しくて泣いているのではないから。

「ちっくしょ……」

 なかなか嗚咽が止まらなくて、リーファは歯の間から唸った。

「リー? 大丈夫か」

 流石に心配そうに、シンハが席を立ってこちらに回ってくる。

(うわ、こっち来んな馬鹿!)

 リーファは腕で顔を隠そうとしたが、シンハがそばまで来た途端、自分でも予想外の衝動的な行動に出た。いきなり椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、思いきりシンハに抱きついたのだ。

「――っ!?」

 ぎょっとなってシンハが立ち竦む。その広い胸に顔を押し付け、背中に回した手にぎゅっと力を込める。温かい。

「ちくしょ……」

 もう一度、同じ言葉をつぶやいた。今度は苦笑と共に。そして、きゅっと唇を引き結ぶと腕をほどき、一歩離れて顔を上げた。

「大好きだよ!」

 ほかに相応しい言葉があったろうか。ありがとうとか、嬉しいとか――だがどれも、それだけではとても足りない気がして。

 驚きに目を丸くしているシンハに向かって、リーファは拳を振り上げて見せた。

「ああもう、この野郎、見てろよ! 泥棒だろうが密売人だろうが、なんだってオレがとっ捕まえてやっから、待ってろこん畜生!」

「え? あ、おい!?」

 唐突な宣言にシンハはついて行けず、当惑したまま立ち尽くす。リーファの方は言うだけ言って、では早速、とばかり部屋から飛び出して行った。後ろの方で、

「こら待て、少しは人の話を聞けー!」

 ……とか叫ぶ声がしたようだが、もちろん頓着しない。リーファは高揚した気分のまま、浮き立つ足取りで自室に戻った。

 惜しみなく光を注いでくれるというのなら、こちらは根を張り、枝を伸ばして葉を茂らせよう。それに見合うだけの大樹になって見せよう。

(だから、待っててくれよ)

 必ず豊かな実りをもって報いるから――。


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