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王都警備隊  作者: 風羽洸海
本編
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五章 空き家のオバケ(2)


(くそったれ!)

 歩くうちに凍った怒りが溶けだし、悔し涙となって溢れそうになった。懸命にそれを堪え、走るような勢いで大股に歩いて行く。

 すれ違う通行人が驚いて振り返るのを視界の端で捉えながら、リーファは王都をまっすぐ斜めに突っ切る形で歩き、王立魔法学院に飛び込んだ。何度か訪れたことがあるので、義従妹の研究室は知っている。

 室内にいたフィアナは、リーファの姿を認めると、優しい鳶色の瞳を丸く見開いた。そして何も言わずに駆け寄り、ぎゅっと強く抱き締める。

 リーファは波打つ金髪に顔を埋めて、声を立てずに泣き出した。

 しばらくしてからフィアナはリーファを隣室にいざない、椅子に座らせてくれた。ぽつぽつとリーファが事情を話す間に、熱い紅茶を用意する。すべてを聞き終えると、フィアナは大きなため息をひとつ、ゆっくりと吐き出した。

「なんて酷い……最低の輩もいたものね。姉さん、そういう奴を呼ぶのにふさわしい言葉を教えてあげるわ。『人非人』よ」

「人でなし、ってことかい」

 リーファは最後の涙を拭って、そっと用心深くカップを手に取った。フィアナは向かいに座り、「そう」とうなずいた。

「人の姿をしていながら人でない、そんな奴は人間扱いしてやるに値しないわ」

 声に含まれる不吉な響きに、リーファは眉をひそめた。まさか、何ぞ過激な行動に出るのではなかろうか。いや、自分とて蹴りや拳を見舞ってやりたいとは思うが、フィアナの場合はもっと陰湿な何かをやらかしそうで恐ろしい。

 リーファのそんな心情を読み取り、フィアナはおどけた仕草で肩を竦めた。

「心配しないで。姉さんに迷惑はかけないわよ」

「いや、そうじゃなくて……」

 言いかけて、思わず苦笑がこぼれた。泡が弾けたように、温かいものが胸に広がる。

「……ありがとな。なんか、味方がいるってだけで、すごく……楽になった」

 フィアナの方はそれが不満だったらしい。渋面を作り、やれやれと頭を振った。

「ああもう、姉さんったら……まったく、人が好いんだから。そんな奴、容赦してやる必要なんかないのに」

「オレだってあいつは嫌いだよ。でもまぁ、居候は事実だしな。試験に合格したら見返してやるさ」

 その時は奴も文句はないだろ、とリーファは言い、紅茶を飲む。フィアナはじっと考え深い様子で黙っていたが、ややあって悔しそうに言った。

「私は姉さんがこの国に来てから、どれだけ努力してきたか、この目で見て知ってる。言葉の壁や常識の違いに苦労して、認められずに悔しい思いもして、それでも陛下やセス伯父様のために、誠実に生きようと努めてきたじゃない。人には目に見える成果や肩書とは別の、大切なものがあるわ」

「そんなに大した事はしてねーよ」

 さすがに面映ゆくなって、リーファはちょっと頭を掻く。

「ラヴァスの弁護をする気はないけど、生い立ちや苦労は皆、それなりに色々あるもんだろ。オレは自分なりになんとかやってきただけだよ」

「そんな風に簡単に言うけれど、それって結構、難しいことよ? 『なんとかやって』行くことを放棄して、堕落する人間が多いんだから。それにね、姉さんが警備隊員になった時、仮にそいつが認識を改めたとしても、結局のところ姉さん自身を侮辱していることに変わりはないわよ」

「……なんか難しい怒り方をするんだな、フィアナは」

 思わず感心してしまう。フィアナは毒気を抜かれた顔になった。

「他人事みたいに言わないでよ」

「ごめん、ごめん。オレ、そこまで考えなかったからさ。愚痴ってごめん、もうあんな奴のことはどうでもいいよ。用事があって来たんだ」

 立ち直りの早さに呆れたのか、それともまた「お人好し」と言いたいのか、フィアナは曖昧な表情で肩を落とした。

「用事って?」

「実はさ、そいつと調べに入った空き家で、塩みたいなものを見付けたんだけど」

 リーファが本来の用件を話すと、フィアナはすぐに「それなら」とうなずいた。

「薬包紙がいいんじゃないかしら。小さな瓶もあるにはあるけど、高い上に割れやすいから。紙なら多少形の不規則なものでも挟んでおけるし……」

 言いながら席を立ち、実験台の抽斗から薄い紙を出してきた。正方形で、リーファのてのひらより一回り大きい。

「これよ。本来はこうして、粉薬を一回分ずつ包むためのものだったんだけど、実験に使う少量の薬品を取り分けるのにも使われているわ」

 こんな風に、とフィアナは台の上で包み方を指南してくれた。リーファは一回でそれを覚え、きれいな包みを作る。自分の作品を満足げに眺め、リーファはにこりとした。

「へえ、便利だな。これなら中身もこぼれにくいし、使えそうだ。とりあえずちょっとだけ、分けてくれないかい? もっと必要になりそうだったら、まとめて買うよ」

「もちろんいいわよ、遠慮しないで。……でもそれ、本当に塩かしら?」

「わからない。だから舐めるのはやめたんだ。どっちにしろ埃が……」

 リーファはあの部屋の状態を思い出し、眉を寄せた。陽光を受けてきらめいた結晶。その一粒を拾い上げた時、確か……

「埃……は、そんなに積もってなかったけど……」

 空き家にしては、きれいだった。部屋の隅の方には埃が白く積もっていたような気がするが、中央付近は足跡がつかなかったほどだ。頻繁に誰かがあの部屋を使っているのだろう。箒や雑巾は見当たらなかったから、何かを置いたり引きずったりして、そうと意識せずに掃除している、ということか。

(玄関前で見張りをしていた怪しい男……そいつは、二階に運び込んだ『何か』の番をしていたんだ)

 もし、それが塩だったら?

「密売……?」

 小さくつぶやいた声を、フィアナが聞き咎めた。

「塩の密売は重罪よ。五十年ほど前の東方辺境伯が爵位を剥奪されて、今のリュード家に変わったのも、その罪を犯したから。それ以前にもちらほらと、個人で密輸・密売を行って吊るし首になった人がいるって話よ」

「はーん、なるほどね」

 リーファは納得してうなずいた。もし今回また、この王都で誰ぞが良からぬ商いを始めたのであれば、そして辺境伯がそれに気付いたのなら。

「それで伯爵御自らおいでになったわけか」

「姉さん、何の事? 入隊試験の話じゃなかったの」

 フィアナが不審げに問うたので、リーファは「いやぁ」ととぼけた。

「ちょっとした好奇心。何でもないよ。どっちみちオレの出る幕じゃないみたいだから、明日からまた試験に専念するよ。あ、でも、この紙は貰ってくな」

 んじゃ、と言うだけ言って、リーファは席を立つ。フィアナの不満顔に苦笑で別れを告げ、彼女は急ぎ足に城へ帰った。


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